町工場 職人の声

職人と現場人間の想いを誰かに伝えたい!

第二次世界大戦 27

2010年03月20日 | 日本近代史
最初に憲兵将校の言葉を聞いた時、直ぐには意味を理解出来なかった
でしょう。それほどに予想していた言葉とは違うものでした。
今現在軍人の制服を身に着けているが自分は2年間に渡ってここに来て

いた新聞記者であり本当の身分は憲兵将校だ。軍の命令によりユダヤ人
の行状調査を命じられたので新聞記者という偽りの立場であなたの行状
をずっと調べていたのです。調査は終了したので新聞記者として現れる

事は二度と無いので最後の挨拶に来ました。そして将校は本当の名前を
医者に告げたのです。日本軍が命令を発して2年もの調査をしていたのを
聞いた医者の感想は、日本人もなかなかやるものだ。だったそうです

世界の国々のユダヤ人排斥政策を単に真似る事無くヨーロッパ大衆の
感情に組せず日本独自に予算と時間を掛けて詳細な調査を行うという日本人
と日本に感心したという意味でした。

将校が部下を引き連れ去った後で意味を考えた事でしょう。
軍による秘密調査はユダヤ人の多数に対して行われたのは確実という事。
ここに来た将校が実名を明かして秘密調査が行われたのを自分に伝えた

というのは単に一将校の考えでは無いだろう。そんな事をしたらどの軍隊
でも死刑が当たり前なのだから。軍隊の調査を用いた評価がユダヤ人が
悪行を行うという証拠は無く優秀な人物を排出する流浪の民族であるという

事を認めたのを代表者が伝えに来たのだとするのが妥当と言うことです。
そうだとすれば上海ユダヤ人達は日本軍という理解者組織を得た事に成る。
世界中で排撃され希望が失われていくユダヤ人にとって日本軍の理解と

軍上層部の人間との信頼関係の確立は大きな希望と成ったのです。
ここにユダヤ人と日本軍の交流が始まったと言えます

ユダヤ人の指導的立場の医者とは誰で在ったのか?
憲兵将校とは誰で在ったのか?

いずれにしても日本軍は組織的にユダヤ人に対処していたのでありその中で
代表的人物による深い信頼が生まれたのです。
そしてオトポール事件が起き日本軍が組織的に対応したのです。