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外国人参政権問題 6

2010年01月31日 | 戦後現代史
法律学者が学説を変更したようですね。

長尾一紘(かずひろ)中央大教授が従来の考えを改め「違憲だ」と明言した。
部分的許容説を唱えていた学説を変更して外国人地方参政権は違憲との学説を主張するそうです。
民主党主張の地方主権とか大規模移民について総合的に検討しての事のようです

正式に論文が発表されないと断定は出来ませんが違憲説に立つようです。

利害損得を忘れて国際法学者、憲法学者、法律学者による冷静で慎重な検討を希望します

外国人参政権問題 5

2010年01月31日 | 戦後現代史
ドイツにおける外国人地方参政権の少数の実施例から日本においても法理論的な根拠が在るとする
説が賛成派により主張される事が在るけれども国家主権から考えてドイツは日本とは異なる。
ドイツの国家形態は連邦制である。ドイツ連邦共和国 が正式名と思う。

連邦制とは主権の集合体といえる形態であり単一主権国家とは根本的に異なるのです。
連邦制とは主権の参加や脱退が可能な集合体です。西ドイツが東ドイツを吸収したのでは
ないのです。ドイツ民主共和国がドイツ連邦共和国に集合したという事なのです。

ドイツ連邦共和国においては主権は複数あるので限定した主権として外国人地方参政権を
少数認めたのでしょう。しかし人間だけでは国家主権を構成する事は出来ないのでこの制度
は理論的にも現実的にも無理が在ります。

現在日本の形態は単一主権国家です。憲法と法律に主権に関する連邦規定は在りません。
単一主権国家において主権の一部を失うという事は直ちに外国の介入を意味します
それは独立国の国権を失う事なのです。

第二次世界大戦 11

2010年01月31日 | 日本近代史
1936年。スペイン戦争。スペイン内乱とも呼ばれる。

2年に渡る戦闘でドイツとソビエトは十分に実戦経験を積んだ。その自信から軍事力拡大が
両国で続く。両国での軍事力拡大とくに強力な空軍力は周辺諸国に不安と脅威を与えた。
北欧諸国でも少しづつ空軍の増強が意図された。

フィンランドは運よくフォッカーD-21、7機を買い入れてその後ライセンス生産が決定され
た。1938年10月には第24戦闘機隊が36機のD-21を装備していた。
フィンランド空軍は低速の水上戦闘機から高速で頑丈な陸上単葉戦闘機の時代に変化した。
しかし空軍としては小規模のものであった。

スウェーデンでユンカースJu86K型が56機作られてスウェーデンではサーブB-3と呼ばれた。
戦闘機の主力は55機のイギリス製グロスター・グラジエーターで最新機種では無かった。
スウェーデン空軍も爆撃機は強化したが小規模のものであった。

ノルウェー空軍の戦闘機はグロスター・グラジエーター9機だけでした。

1939年初頭の空軍戦力。
  フィンランド   104機
  スウェーデン   130機
  ノルウェー    50機
  ドイツ     4100機
  ソビエト    6000機

1939年8月24日。独ソ不可侵条約締結。 ドイツとソビエトの軍事協調による領土拡大の密約。

第二次世界大戦 10

2010年01月30日 | 日本近代史
1923年42機の古い飛行機でソ連空軍は始まった。しかし旧式ではあったが1929年までに
2800機の各種飛行機が作られた。ユンカース教授の工場はスウェーデンとモスクワ近郊
に在った。これらはリペズクに運ばれて試験され戦術訓練の模擬戦が行われた。

秘密基地リペズクで最新鋭の各種航空機がドイツとソビエトの共同作業で生み出されていた。
1932年政権についたヒトラーは密かにソ連との関係を解消する命令を出した。
ドイツでも戦闘機はスポーツ機、爆撃機は高速郵便機として開発可能な情勢と成っていた。

1933年秋。リペズクから全てのドイツ人が飛行機と共に引き上げて共同作業は終了した。
1932年頃から航空機年産2000機になり1933年初めには新鋭機だけで1000~1500機となり
20の戦隊に配備された。1933年頃には約1000機の重爆撃機をもつ空前の爆撃隊が出来ていた。

1935年3月14日ドイツ再軍備宣言。覆面の空軍は1000機ほどの堂々たる空軍として姿を現した。
これは周辺諸国に衝撃を与えた。特に北欧諸国には大変な衝撃となった。

第二次世界大戦 9

2010年01月29日 | 日本近代史
ソビエト。

ソビエト空軍首脳バラノフの指示により1925年5月28日貨物船エドムンド・ヒューゴ・スチネス4号は
フォッカーD13戦闘機50機を積んで北海を北欧へと向かったのち東に進路を取りレニングラード港に
向かった。揚陸された後、モスクワの南方400キロの奥地リペズクに輸送された。

2本の滑走路と多数の格納庫、エンジンのテスト台や病院などが作られた。ドイツ人達はロシア人の
中に紛れ込むようにして行動し目立つ場所には古いロシア機が数機置かれていた。あくまでも表向き
はソ連空軍第四航空隊の基地とされていたから。最初の輸送から以後8年に渡り各種の航空機がドイツ

覆面空軍を育てる目的の為に運ばれ続けた。多くのパイロットがリペズクで養成された。1926年最初の
訓練終了に始まり約120名の優秀な戦闘機パイロットが生み出された。事故死は3件と言われている。
秘密は完全に保たれ各種試作機のテストが行われていく。

1929年各種合計66機。北欧空軍と機数は似たようなものだが世界最強空軍を目的に技術開発と新戦術の
研究に全力を上げていた。ソビエト側スタッフはこれらの開発過程を細部にわたり見ていた・・・

外国人参政権問題 4

2010年01月28日 | 戦後現代史
国家主権とはどのような形態の国家にとっても最重要の概念です。
憲法や法律を度外視してでも守らなければならない程大切なものなのです
国家主権が在るからこそ他国の介在を許さずに憲法や法律を制定出来る。

その最重要の国家主権を構成する要素の一つが統治機構なのです
統治機構を構成する公務員に指示や命令を出す人物の選択権が国民に限定される
のは当然なのです。日本では一般国民が選択すると憲法に規定されています。

それが現代の独立主権国家です。

国会議員と地方議会議員は統治機構の公務員に対して指示や命令を出す点において
国家主権から考えると同等であり役割の価値に上下は無い。
国会が最高権力とされるのは指示や命令の優先度を言うに過ぎません

以上の考えから国会議員と地方議会議員の役割は違うとして地方議会議員選挙に
際し外国人に投票権や被選挙権を与えるという主張には強く反対します。

第二次世界大戦 8

2010年01月27日 | 日本近代史
ドイツ。

1920年1月10日ヴェルサイユ条約が発効した。5月8日最後の飛行隊の解散命令が発せられた。
しかしアントニー・フォッカーはオランダに列車一本と共に逃亡。飛行機工場を作ると
フォッカーD7、D13戦闘機の製作を開始。ドイツに対する戦勝国から1922年4月14日軽飛行機

の製造と所有が許可された。1922年4月16日赤色革命ソ連から二国間条約の提案がなされた。
相互援助条約として対等の立場で結ばれたのがラパロ条約です。
ソ連がもっとも欲しかったのはドイツの航空技術でした。

秘密裏にドイツから使節団がソ連に送られた。団長は旧ドイツ帝国航空隊司令部主任であった
リート・トムゼン大佐。別の使節団がスェーデンに渡って交渉を開始。
1923年ワルネミュンデの若き飛行機設計家エルンスト・ハインケルをスェーデン空軍指令

リューベッケ大尉と一団のドイツ人が尋ねてきた。それは条約で禁止されている高性能の
短距離偵察機を開発するためでした。設計に基づき部品を入手してスェーデンに送り組み立てて
試験飛行をする為。当然すべては厳重な秘密だったのです。そしてハインケルHD17、ハインケルHe1

がスェーデンで試験飛行に成功。元ドイツ海軍のビュッカー指令所有の倉庫に分解されて10機を保管。
同時にソ連領内でも開発が進行していた

外国人参政権問題 3

2010年01月26日 | 戦後現代史
主権に関して。

対外関係で国家として承認されるかどうかは主権の有無にあります。
現実の国家において形式的主権か実質的主権かの判断により国家の承認が判定されます。
なので一つの国に対して承認する国としない国に分かれる事があるのです

現実には統治機構として多く用いられる行政組織に対して他国民による支配や介在が
無い事が基本です。それらが在る物を傀儡国家として主権国家と区別する事が在ります。
単に他国の影響が在るとしても国民や国の支配者に制度上の決定権が在れば傀儡では無い。

現在の日本では統治機構の一つである行政において公務員を選択するのは国民の権利と
されています。また行政の命令を強制的に実行する治安を初めとした権力機構は国権の
最高権力である国会と内閣の下にあります。国民は選挙により国会を機能させる事で

他国民の支配や介在を防止しています。それがつまり主権国家なのです。
国家機関とは他国に対して主権に基ずく行為をする事が目的の第一なのです
第二の目的が国民にたいする行為です。

地方公共団体は国民に対する行為が第一の目的です。外国人を住民と言う立場で国民と
同じ扱いをする事が在りますがこれは国家機関による他国に対して主権に基ずく行為の
結果として生ずる事態に過ぎないのです。地方公共団体にとって外国人は国の行為の

結果です。公務員とは統治機構を構成して国民にたいする行為や他国に対して主権に
基ずく行為をする人員を言うのです。地方公共団体の公務員も選挙により直接間接に
居住する国民により選択されているのは憲法に規定されているからです。

憲法で用いられる住民とは居住する国民の意味と理解するのが自然です。
一般社会で理解されている単に住んでいる人間の事では無いとおもいます
密入国の人間が憲法で規定されている住民のはずが無いのです

国家の構成要素である居住する国民を扱う重要な役割の公務員選択の選挙権が主権者
と憲法で規定されている国民に限定されるのは重要な事なのです
なぜなら地方公共団体とは統治機構の国家機関が第二の目的を滞りなく進める為の

分業に過ぎないからです。国内法形式では国と地方を分けますが国家主権における
統治機構としては同一の存在です。また統治機構のひとつ権力機構を考えても警察権力
は地方公共団体に所属します。国民にとっても分業に過ぎず根本の違いは無いのです。

国家主権の統治機構を構成する公務員に地方と国の区別は意味が在りません

第二次世界大戦 7

2010年01月26日 | 日本近代史
フィンランド。

1917年10月に帝政ロシア壊滅。1917年12月6日フィンランド赤衛軍と白衛軍が
戦闘を開始。白衛軍は名将グスタフ・マンネルハイム将軍の指揮下であり武器援助はスウェーデン
から得ていた。長い伝統を誇るスウェーデン王国は隣国が共産主義ソビエトの支配下になるのを

避けたかったのです。19世紀初頭にスウェーデン王国からナポレオンとアレクサンドル1世の
陰謀により軍事力で奪い取った土地なのでソビエトロシアからの独立を求めるフィンランド住民
の要求は正義であり善き行いと見られました。なのでスウェーデン王国はフィンランド白衛軍を

影に陽に支援したのです。スウェーデン王国のエリック・フォン・ローゼン伯爵もフィンランド
独立戦争にツーリン博士の遺作ツーリンD型高翼単葉複座偵察機に乗って参加した。
1918年2月末、一番機到着。3月6日二番機が到着して最初のフィンランド航空隊が発足した。

二機のツーリンD型には白地に青いスワスチカ(ハーケンクロイツに似ている形)のマークが描かれて
いた。長い伝統の幸運の紋章に武運を祈りながら戦闘に参加していたのです。
以後に増えていく航空機にも同じく幸運のスワスチカが描かれた。

1918年5月グスタフ・マンネルハイム将軍は赤衛軍を一掃して内戦は終結。ソビエト連邦は
仕方なく1920年12月14日平和条約によりフィンランド独立を承認した。
独立時の空軍は16種類47機。独立後は水上機が1930年代半ばまで優先的に導入された。

これはフィンランドの国情に有った。周囲200メートル以上の湖沼は6万以上。その面積は国土の
8%に達する。国の北三分の一は原生林と酷寒の土地。国土の大部分がスコッチ・パインの原生林。
海岸線1100キロと島の数およそ3万。原生林を切り開き広大な空港を幾つも作るには膨大な資金を

必要とする。水上機なら湖と海岸を利用して安く運用が出来るという訳です。
パイロットの訓練はドイツで行われました。そして1924年フランス製グールドウ・ルサールGLー21
単座戦闘機20機によりフィンランド最初の戦闘機隊が発足した。

ヘルシンキ近郊のカウハバに中央飛行学校が作られて養成されたが小規模でした。
空軍と言うには小規模すぎるままの状態で年月は過ぎて行きました・・・

第二次世界大戦 6

2010年01月25日 | 日本近代史
ノルウェーでの初飛行は1912年5月1日。
潜水艦乗員で士官 ハンス・F・ドンスが仲間達と金を出し合ってドイツに渡り
ルンプラー製タウベ単葉機一機を購入して少しだけ飛行術を習い海上の艦隊上空
を48キロに渡って飛行した。

その後作られた航空隊パイロットは乗る飛行機が無かったのでフランスで学んだ
E・セムヤコブセン達が飛行機を製作したが第一次大戦に参加しなかったノルウェー
では他国のような航空隊の発達はしなかったのです。