町工場 職人の声

職人と現場人間の想いを誰かに伝えたい!

第二次世界大戦 26

2010年03月19日 | 日本近代史
ユダヤ人医師の心配は深まりました。日本がユダヤ人排撃に出れば
上海ユダヤ人達は生きる場所を失います。注目している日本外交は
イギリス、フランス、アメリカを離れてドイツに接近していきます

自分達に友好的な記者との音信不通は続いています。しかも世界は
不景気から戦争の時代へと進み続けているように見えたのです。
日本が国際的困難を理由にしてユダヤ人排撃に出るのは当然の事と

予想出来たのです。もし記者が逮捕されているとしたら自分が逮捕
されるのはもうすぐだろうと苦悩の中で考えた事でしょう。
しかし有効な手段は何も在りませんでした・・・

そんな日を過ごすうちに遂に自宅の前に何人もの部下を引き連れた
精悍な憲兵将校が自動車で突然乗り付けて降りて来たのです。
遂にこの日が来た、上海ユダヤ人絶望の日が来たのだと感じたでしょう

部下を後ろに従えた憲兵将校は一人で入り口を入り言葉を発した・・・

第二次世界大戦 25

2010年03月19日 | 日本近代史
オトポール事件よりさらに数年前にユダヤ人と日本人の交流が
在りました。当時、上海ユダヤ人達の指導的人物に名を知られていた
医者がいました。ある日この人を日本の新聞記者が訪ねて来ました。

上海に来たばかりなので色んな場所と人々について取材をして記事
にしたいのだが外国人に知り合いがいないので協力して欲しいと。
長くこの地に暮らす貴方の協力が得られれば良い記事を書けるので

お願いしたい。医者は十分な警戒心を有していたので直ぐには信用
しませんでした。当時の上海にはでたらめな行動をする一発屋と言って
良い大陸浪人が多数いたので信用などされるはずが有りませんでした

それに世界中の国がユダヤ人排斥政策を取る現状において日本の新聞記者
がユダヤ人に好意的行動を取る必要も理由も無いのですから。
何よりも日本人は黄色人種であり白人支配に苦しんでいる植民地の人種と

同じという点においても白人のユダヤ人に好意を持つのは不自然です。
警戒する医者を相手に記者の辛抱強い働きがけと誠意ある行動は徐々に
交流を深めて行きました。相談して新聞社に送った原稿が実際に記事と

して掲載されたの共に喜んだりしたのです。信用を得た記者は医者の
家族からも信頼されました。やがて交流は深まりおよそ2年の月日が過ぎた
のです。世界ではナチス党が従来のユダヤ人排斥をさらに強くした政策を

実行しようとしていました。ヨーロッパ諸国の国民はこれに同調しユダヤ
排斥は排撃に強まりました。遠く離れた上海においても日本がドイツに
同調する事は自分達の安全に対して大問題だったのです。

記者との2年間の交流は上海ユダヤ人の運命にわずかな希望と成ったのです
日本がユダヤ人排撃に出る事を新聞を通じて阻止したい。
まさにそのような時期に記者との連絡はぷっつりと切れて音信不通が3ヶ月

ぐらいに及んだのです。医者の脳裏には遂に日本がユダヤ人排撃政策に出る
のだと浮かんだと思います。まず友好的日本人を取り締まり孤立させるで
しょうから。世界中でユダヤ人排撃は進んで行きます。

アメリカでもユダヤ人排撃運動は広がり続けました・・・