年末が来るたび日本人とは何かを考えます。
在る人は文化といい歴史の長さと言う。天皇家の存在を
日本という者も居る。あるいは遺伝子を持ち出し血統を
主張する者もいます。それらを聞くたびに釈然としません。
だから考え込んでしまうのですよねえ~
本年最後に考えがたどり着いたのは考え方が日本人を決める。
という事です。考え方の特徴とは何でしょうか?
日本では1000年以上の長期に渡り心で考えを点検するという
事が大勢により行われて来たと言えると想うのです。
言葉は単語や文章を作り出します。ともすれば考えを点検する
という作業まで単語や文章で行ってしまう事が多いのです。
西洋ではこれが発達した事により論理や弁証で教義の正しさを
主張し正義を旗印に圧制や悲惨を社会にもたらして来た。
しかし単語や文章というのは実用的方便に過ぎずそれ自身には
永続性も正義も適切も無いのです。言葉が戦乱をもたらした例
の何と多い事でしょうか。そしてそれらは悲惨な戦いです。
日本人的とは自分の心や他人の心で考えを点検し正義と適切を
考えに導き出し自らの行動を律する人間なのだと想うのです。
愛知県幡豆町に在る三ヶ根山の山頂に在る殉国七士の墓つまり
東京裁判で死刑にされた日本の指導者の墓そばに在る展示エンジン
がB29ではなくて日本製であった事を思い出してほしい。
この様な間違いをしでかすのは知識の不足によるものでは無い。
敵であれ味方であれエンジンを心血注いで作り上げた人々の心で
考えと判断を点検しない事による。心に考えを至らせれば正確を
期す為に専門家の意見と考えを求めたことだろう。
心を忘れてエンジンという言葉を自らの考えに利用する事だけに
目が行く。それは日本人的な考えの姿勢では無いと想うのだ。
2010年は終わる。人という者は何らかの姿勢をよりどころに考え
そして行動する。もしブログを見ている人の中に若い人達がいるなら
単語や文章ではなくて自分自身を含めて多くの心で考えを点検して
欲しいと心から願う。その点検に耐えた考えこそが日本を導くと信じる。
在る人は文化といい歴史の長さと言う。天皇家の存在を
日本という者も居る。あるいは遺伝子を持ち出し血統を
主張する者もいます。それらを聞くたびに釈然としません。
だから考え込んでしまうのですよねえ~
本年最後に考えがたどり着いたのは考え方が日本人を決める。
という事です。考え方の特徴とは何でしょうか?
日本では1000年以上の長期に渡り心で考えを点検するという
事が大勢により行われて来たと言えると想うのです。
言葉は単語や文章を作り出します。ともすれば考えを点検する
という作業まで単語や文章で行ってしまう事が多いのです。
西洋ではこれが発達した事により論理や弁証で教義の正しさを
主張し正義を旗印に圧制や悲惨を社会にもたらして来た。
しかし単語や文章というのは実用的方便に過ぎずそれ自身には
永続性も正義も適切も無いのです。言葉が戦乱をもたらした例
の何と多い事でしょうか。そしてそれらは悲惨な戦いです。
日本人的とは自分の心や他人の心で考えを点検し正義と適切を
考えに導き出し自らの行動を律する人間なのだと想うのです。
愛知県幡豆町に在る三ヶ根山の山頂に在る殉国七士の墓つまり
東京裁判で死刑にされた日本の指導者の墓そばに在る展示エンジン
がB29ではなくて日本製であった事を思い出してほしい。
この様な間違いをしでかすのは知識の不足によるものでは無い。
敵であれ味方であれエンジンを心血注いで作り上げた人々の心で
考えと判断を点検しない事による。心に考えを至らせれば正確を
期す為に専門家の意見と考えを求めたことだろう。
心を忘れてエンジンという言葉を自らの考えに利用する事だけに
目が行く。それは日本人的な考えの姿勢では無いと想うのだ。
2010年は終わる。人という者は何らかの姿勢をよりどころに考え
そして行動する。もしブログを見ている人の中に若い人達がいるなら
単語や文章ではなくて自分自身を含めて多くの心で考えを点検して
欲しいと心から願う。その点検に耐えた考えこそが日本を導くと信じる。