縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

一番高い食事

2010-07-11 21:55:18 | 最近思うこと
 昨秋、香港に行った。妻が楽しみにしていたスペイン旅行をキャンセルしてしまったため、その埋め合わせである。香港ではスペインの代わりにならないが、事情が事情ゆえ我慢してもらった。
 羽田を夜発ち、深夜香港に着いた。僕らは空港近くのホテルに泊まり、翌朝バスで市内へと向かった。急ぐ旅ではない。のんびりと香港の風景を楽しむことにしたのである。ホテルに着いたのは11時前。まだ部屋に入れないかもしれないが、チェック・インして荷物を預かってもらい、それで食事に行くつもりだった。朝から何も食べておらず、二人とも空腹だったのである。

 フロントは思いのほか混んでいた。順番待ちで並んでいるとき、妻が「あれ、何だろう。メールが入っている。」という。僕の母からのメールだった。
 メールには「お父さんが亡くなりました。連絡ください。」とあった。入院していた父が亡くなったのである。
 ここでジタバタしても始まらない。我々は取り敢えずチェック・インした。幸い、すぐ部屋に入ることができた。部屋に入るなり母に電話をした。父はその日の早朝に亡くなったという。突然のことで母も死に目に会えなかったそうだ。ただ看護師さんの話では、父は苦しまずに亡くなったとのことで、それだけがせめてもの救いだった。
 次にJALに電話をした。安いチケットだったので変更は効かない。改めて帰国する便、今から間に合う一番早い成田への便を予約した。出発は15時。あと4時間弱。特にすることはないし、如何せん空腹である。二人は1時間と時間を決め、飲茶を食べに行くことにした。

 日本を発つ前、僕は母に電話した。そのとき母の様子が少しおかしかった。虫の知らせなのだろうか、母は父の様子が何かいつもと違うと感じていたらしい。最近は落ち着いているから大丈夫と話すものの、母はどこか歯切れが悪かった。僕は、香港は近いから何かあったら連絡するよう言ったが、まさか本当に連絡があるとは思わなかった。
 そして香港からとんぼ返り。『世界弾丸トラベラー』というテレビ番組があるが、まさにそれを地で行った感じだ。パスポートには、香港入国2009年11月21日、香港出国2009年11月21日、とある。
 そうか、あの飲茶を食べるためだけに香港に来たのか。飛行機やホテルのキャンセルもあったし、生涯の中で一番高く付いた食事だな、と思った。

 肝心のときにいない不肖の息子が言うのもなんだが、父は良い人生だったと思う。華やかでも裕福でもないし、どちらかといえば地味で平凡な人生だった。勿論、父なりに悩みや苦労もあったに違いない。しかし、総じて、満足の行く、幸せな人生だったと思う。
 僕の方が父よりも、今のところ、経済的には恵まれている。が、だからといって僕が父のように穏やかに人生をまっとうできるかどうか、僕にはわからない。その点、父は立派だったと思う。