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英語脳をつくる!~日本人はいかに効率良く英語を学べるか~

英語学習に関する事いろいろです。日本人がいかにすれば実用英語を身に付けられるか、その最短距離を考察!

英語コラム(27)

2006年01月26日 | コラム
EC26の続きです。EC26では、日本語を例に取って、コトバの可否を判断する上で、文法性の他に、知覚的にどう感じられるか、という、観点も必要であると述べました。今回は、英語を例に取って、以下、見ましょう。

(1)This is the dog that chased the cat that killed the rat that ate the malt
   that lay in the house that Jack built.

いきなり、(1)ですが、はぁ?何ディスカ、これは?となってなってしまいますね(笑)。(1)は、ちょっと不親切な出し方だったかも知しれませんね。では、(1)を、順を追って解釈してみたいと思います。

(2)This is the dog [ that chased the cat ]. 
  (これが、[ そのネコを追いかけていた ] イヌだ。)

(3)This is the dog [ that chased the cat [ that killed the rat ] ].
  (これが、[ [ そのネズミを殺した ] ネコを追いかけていた ] イヌだ。)

(4)This is the dog [ that chased the cat [ that killed the rat [ that ate
   the malt ] ] ].
  (これが、[ [ [ その麦芽を食べた ] ネズミを殺した ]
   ネコを追いかけていた ] イヌだ。)

(5)This is the dog [ that chased the cat [ that killed the rat [ that ate
   the malt [ that lay in the house ] ] ] ].
  (これが、[ [ [ [ その家に積んである ] 麦芽を食べた ]
   ネズミを殺した ] ネコを追いかけていた ] イヌだ。)

(6)This is the dog [ that chased the cat [ that killed the rat [ that ate
   the malt [ that lay in the house [ that Jack built ] ] ] ] ].
  (これが、[ [ [ [ [ ジャックが建てた ] 家に積んである ] 麦芽を食べた ]
   ネズミを殺した ] ネコを追いかけていた ] イヌだ。)

まず、(2)から出発します。カギカッコは関係節です。(EG24、EG26参照)その関係節が、‘the dog’「イヌ」にかかっています。次の(3)では、(2)の関係節内にある目的語、‘the cat’「ネコ」に、新しく、関係節が付加されています。つまり、関係節の中に、もう1つの関係節が、組み込まれるカタチになっていますね。このとき、新しく、内側に組み込まれた関係節内は、‘the rat’「ネズミ」が目的語で、かつ、最後にきている単語であることに、注意して下さい。

次に、(4)でも、同じく、新しい関係節が、‘the rat’に付加されています。ですので、(4)では、また、さらに、関係節の内側に、新しい関係節が追加されている、という状態です。このとき、最後の単語は、目的語の‘the malt’「麦芽」です。次に、(5)でも、同じことを、繰り返しますので、最後の目的語‘tha malt’「麦芽」に、関係節が付加されて、最も内側の関係節が、もう1つ増えています。最後に、(6)でも、最後の目的語‘the house’に、関係節を付加して、同じことを繰り返す。つまり、また、最も内側に関係節が、もう1つ増えています。そうすると、最終的に、(1)のようになる、というわけです。

結局、(1)の成り立ちは、(2)~(5)まで、順を追って、最後の名詞に、それぞれ、新しい関係節をくっつけていくことで、次第に、文がふくれ上がっていった、というだけのことで、生成過程そのものは、単純で簡単なことを繰り返したにすぎません。

ところで、(1)の文は、英語として文法的かどうか、という話になります。順を追って、確認しながらやったので、想像はつくと思いますが、(2)から(6)に到るまでの生成プロセスで、何ら英文法のルールに違反することはやっていません。順序正しく、かつ、規則正しく、関係節を付け足していきましたので、もちろん、自信を持って文法的であると言えるでしょう。

しかし、ここで問題となるのは、実際に、(1)のような文を発話する話者がいるのか、と問われたら、答えは、まず、いないでしょう、と言うしかありません。何かのコトバ遊びで、ゲーム感覚として、意図的に発話されることはあるでしょうが、あまりに長すぎて、通常の会話文としては、あり得ないでしょう。

じゃ、通常の会話文として、あり得ないから、という理由は、コトバではない、という主張に転換可能かというと、そうでもなく、ごく稀に、とは言えども、コトバ遊びで使われることが可能であるのなら、それは、立派なコトバとして成立するんですね。そこで、(1)のような文に、あえて文句を言うなら、「悪文」という言われ方をするのでしょう、きっと。

ところで、興味深いのは、英語を母語とする話者が、(1)のような文を聞いて、どう感じるかというと、長い文だなぁ、とは言うけど、解釈の方はどうかというと、ちゃんとマジメにキッチリと最後まで聞いてさえいれば、さして無理なく、解釈できてしまう、ということなのです。実を言うと、これは、コトバの問題というよりも、「記憶力」の問題であって、(1)のような文が、何語であろうとも、コトバを使う能力とは異質な能力において、エネルギーを必要としますので、コトバからは独立した、ヒト共通の別個の問題なのです。次に行きましょう。

(7)The rat the cat the dog chased ate died.
(8)The rat、the cat、and the dog chased、ate、and died.

まず、(7)の文を見てください。(7)の文は、(1)と比べるとはるかに短いですね。しかし、解釈の方は大丈夫でしょうか。実は、(7)のような文を、英語のネイティヴに見せて、解釈させてみると、ほとんどの話者は、以下のように解釈してしまいます。

(9) そのネズミとネコとイヌは、追いかけ、食べ、死んだ。

確かに、一見したところ、(7)は、(9)の解釈であるかのように感じますが、しかし、(9)の解釈は本来、(8)の文に対する解釈であって、(7)に対する、正しい解釈ではありません。かなり、わかりづらいとは思いますが、実は、(7)の文は、(1)と同じく、関係節による文なのです。以下は、カギカッコによる、(7)の成り立ちと、その正しい解釈になります。

(10)The rat [ (which) the cat [ (which) the dog chased _ ] ate _ ] died.
   ([ [ そのイヌが追っていた ] ネコが食べた ] ネズミは死んだ。)

英語のネイティヴでも、(7)を読む際、結構、注意深く読んでも、なかなか(10)のような解釈に気付かないようです。もちろん、(7)は、(10)が示す通り、文法的な文であり、かつ、(1)よりも短い文であるにも関わらず、解釈としては、(7)の方が、(1)よりも、はるかに間違う確率が高いということなのです。ここで、(7)の解釈が、なかなかうまくいかない原因として、EC26で述べた、「知覚困難」があげられます。

どちらも関係節を使っているとは言え、(1)と(7)の決定的な違いが、(6)と(10)から明らかです。(1)に関しては、(2)~(6)の生成プロセスにあるように、「最後の単語」に、関係節を順に付加していくようなつくりになっています。これは、文が終わってから、次の文、また終わってから、次の文、というようになっています。つまり、解釈のユニットがそれぞれ、まとまっているため、切れ目の良さがあり、故に、文が長いために記憶力のエネルギーが多少必要とされる、という点を除けば、解釈ユニットとしてのまとまり自体は、読みやすさに貢献しています。

しかし、一方で、(7)に関してはどうでしょうか。まず、(8)と比べてみると、姿カタチが、とてもよく似ている、と言えます。目的語の関係代名詞‘which’の省略があるため、最初の出だしからして、あたかも、「名詞(the rat)+名詞(the cat)+名詞(the dog)」というカタチで、それが「ネズミとネコとイヌ」のように解釈することを、要求している感じがしてしまいます。ここから、(10)のような関係節の成り立ちが予測できない話者は、手っ取り早い、単純な解釈にしようとして、本来の(7)対する解釈の意識が、どうしても(8)と被ってしまうのです。

さらに、解釈ユニットという点からも、(10)は、主語‘the rat’「ネズミ」に対する、述語‘died’「死んだ」にたどり着くまでの障害要因が多く、関係節内の主語‘the cat’「ネコ」が、その述語‘ate’「~ を食べた」にたどり着くまでに、一度、‘(which) the dog chased’という関係節を、またがなければなりません。つまり、主語‘the rat’「ネズミ」に対する、述語‘died’「死んだ」に向かうまでに、ジッとガマンしている最中に、その中の関係節内にある、主語‘the cat’「ネコ」の述語‘ate’「~ を食べた」が現れるのを、さらに待つという、ガマンが追い討ちをかけ、トータルで関係節2回分の、「二重ガマン」を強いられる状態になりますので、解釈上の精神的ストレスがここから発生します。

以上の観察から、コトバの「知覚困難」は、文の長さとは関係なく起こる、ということがわかったと思います。そして、さらに重要なのは、こういったことは、そのコトバが、「文法的」であるか否かとは、全くもって無関係である、ということです。

「文法の問題」と「知覚の問題」は、全く、別個に独立していて、ヒトが、コトバを、文法という観点からしか使用しない生き物であれば、ことは単純なのですが、そうはいかず、たとえ文法的ではあっても、その文法の使い方によっては、解釈上の「知覚困難」が発生して、結果的に「容認度」が低下することがある、ということです。この「容認度」低下の原因を、あたかも、非文法的であるからだ、として安易に結論付けるようなことはせずに、コトバを使用する上での処理の仕方の問題である、と捉えることが、外国語を学ぶ上での上達の早道なのは、言うに及ばないと思います。

●関連: EG24EG26EC26

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