遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

中原中也ノート18

2019-08-26 | 近・現代詩人論
帝都東京を中心とする文化が、関東大震災でいったん崩壊した。それまでの文壇で権力を持っていた人々も無名の若者たちも、瓦礫の上では横一線に並んだ風景を想像させてくるれるだろう。
 中原中也が「ダダ手帖」と読んでいたノートがあった筈だが(二冊)現存しない。だが京都時代の作と推定されている未発表小説「分からないもの」に「夏の晝」がまた川上徹太郎の評論{中原中也の手紙」(「文学界「昭和十三年十月号)に「たばことマントの恋」「ダダ音楽の歌詞」の二編が引用されている。ほかに中也の〝ダダ時代〟の詩編は「ノート1924」二八ページに残っている。
ウハキはハミガキ
ウハバミはウロコ
  太陽が落ちて
太陽の世界が始つた

テッポーは戸袋
ヒョータンはキンチャク
太陽が上つて
夜の世界が始つた

オハグロは妖怪
下痢はトブロク
レイメイと日暮が直径を描いて
ダダの世界が始つた

(それを釈迦が眺めて
それをキリストが感心する)            (「ダダ音楽の歌詞」)

 「ダダイストと新吉の詩」を読んでまもなく、大正十二年中日に書かれたものかと推測される。
「ウハキはハミガキ/ウワバミはウロコ」といった語呂合わせめいた連想の}奇抜さや語感の鋭さに詩的才能の閃きが感じられ、「太陽が於いて/太陽の世界が始つた」という逆説的な表現に日常関係を破戒し価値の転換を図ろうとするダダ的姿勢を指摘しする評者もいるが、意味内容を詮索しても無駄だとおもう。ただ、{ダダ}の世界の宣言は、中也が短歌形式から詩形式へと、こんな風に困乱しながら、突き進んでいった事実に注目すればいいとおもう。

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