遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

中原中也ノート17

2019-08-25 | 近・現代詩人論
中也の「詩的履歴書」には「秋の暮れ寒い夜には丸太橋際の古本屋で『ダダイスト新吉の詩』を読む、中の数編に「感激」と書いている。高橋新吉の『ダダイスト新吉の詩』の「ダダイズム」とは第一次大戦渦中の一九一六年頃から戦後に架けて興った文芸運動で、それまでの価値観を覆す先鋭的な主張は、チューリッヒに端を発しヨーロッパの各都市とニューヨークに連鎖したとされている。「イズム」と名付けられているが主義主張があるわけではなく、芸術の側から既成の価値観を否定しようとした、いわゆる半芸術、半文学の表現運動ととらえる方がいいかもしれない。スイスのチューリッヒ、トリスタン・ツアラを中心とする前衛芸術家たちが幼児言葉の「dada」({お馬}を意味するフランス語)を発見し自分たちの言語破戒の表現運動の名称したもの。この表現運動は詩にだけではなく、美術や音楽にも波及していく、やがて一九二一年のシュールレアリスムの登場とともに自然消滅した。
 日本では世界の流行にいち早く反応したのが高橋新吉、当時四国にいて詩集を発刊。『ダダイスト新吉の詩』は大正十二年二月に佐藤春夫の序文と辻潤の跋文を添えて刊行されている。佐藤の序文は、次のように書いてある。
 「ダダイズムといふものがどんなものであるか僕は知らない。だから高橋がダダイストだかどうだ   かだかそんな事も知らない。知る必要もないことだ。ただ僕は知っている。高橋の芸術と生活はア  カデミシャンの様子ぶつた芸術に対する又、平俗的幸福のなまぬくい生活に対する徹底的の犯行と  挑戦とである。」
 中也も此の詩に触れて、ここに書いてある「なまぬくい生活」を棄てる決心をしたものだろうと思われる。
創作ノート之一つ「に書かれた次の詩は中也が「ダダ」の語源を知った事をよく示している。

ダダ、つてなんだよ
木馬、つてんだ
原始人のドモリ、でもよい              「(名詞の扱ひに) 

ダダイストを標榜したとき、中原中也がそれまでの自分の言葉も崩壊した。此の内面の切り替えの早さに驚くしかないが、彼自身の本能手的な姿が掘り起こされたと考えることもできよう。その後は、京都で出合った富永太郎によって、ランボーやヴェルレーヌなどのフランス象徴詩派の詩をしることによって、ダダイズムからぬけでていくことになるのだが、ダダ時代に受け止めた「道化師」という言葉は、以後も中原中也の詩の世界に根強く住み着くことになる。

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