遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

大手拓次再読1田中勲

2019-10-24 | 近・現代詩人論
今日から大手拓次をすこしつづけます。

 夢想とは夢の中に神仏の示現のあること、心に思うあてのないこと。だから夢想は一瞬の儚い揺らめきを、あるいは一連の恒久的持続を要求したりするものなのか。


わたしには他愛ない空想からとびだす希有な歓喜の一瞬さえも、他人のことばでしか見えない世界があった。ひさしぶりに大手拓次の詩集を読んで、もう三十年前に初めて呼んだ頃とは違って全くつまらないと思って通過していものが、急に足止めにあう。あの頃はなぜか、萩原朔太郎の詩と比べても内閉的で特異な情感と意味の通らないグロテクな感覚についていけなかったのかのしれない。

大手拓次が詩を書き始めた頃の同時代的、世相をふりかえると、昭和七年いわゆる「坂田山心中」が社会的な話題になり、慶応大学理財科三年在学中の調所五郎が恋人の湯山八重子と大磯の通称八郎山で心中した。当時の新聞によると心中事態の報道は扱いも小さくひともめを引くものではなかった。ところがその翌日、大磯法善院に火葬された八重子の死体が盗まれ墓地から少し離れたところから全裸のまま砂まみれで発見され、事件は一転して猟奇な様相を呈する。犯人は橋本長吉という火葬人夫。結末は女性が処女のままであったことが証明されプラトニックラブとして新聞紙上で大きく取り上げられることになる。東京日々新聞は見出しに「天国に結ぶ恋」となづけ、坂田山心中として社会的に映画や流行歌となった。また昭和十一年には阿部定事件がおこりこれも大きな話題として報じられた。ところが映画は後年になってから制作されたが、歌や映画の世界では無縁であった。また坂田山で同じ心中した人々は二十組もあった。昭和四年から自殺者が急増していることは統計がしめしている。その背景には世界不況に巻き込まれた不景気が影響している。東北地方にみられた飢餓状態、子殺し、娘売り、または都会での失業者の行き倒れなど深刻な問題が起き起きていた時代である。

 大手拓次は同時代の世相など関係なくひたすら、ボードレールを読み、北原白秋の「ザムボア」「地上巡礼」などに作品を発表し続けていたのだろうか。昭和十一年十二月、アルス社から刊行された『藍色の蟇』は、やはり粘着的な感覚の故にか注目を浴びたという詩集である。



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