ここではないどこかへ -Anywhere But Here-

音楽・本・映画・サッカーなど興味の趣くままに書いていきます。

「愛」という言葉を口にできなかった二人のために/沢木耕太郎

2007-07-04 22:16:22 | 
映画を観る時間がなかなか取れない。
私の場合映画を観るというのは、ぽっと空いた時間に「じゃあ映画でも観るか」という風にはいかないのだ。
前もって「この時間は観るぞ」と決めておいて、ある程度心の準備をしてからでないと観れないのだ。
大袈裟なようだけど、ある違う世界に入っていくための覚悟みたいなものが必要なのだ。
非日常の空間に誘ってくれる映画の時間はだから特別な時間でもある。
特別な時間が早々巡ってこないのはある意味で仕方のないことなのかもしれない。

沢木耕太郎氏はうらやましくなるほどたくさんの映画を観ている。
「暮らしの手帖」という雑誌に映画のエッセイを書いている関係で試写室に通いつめて相当の映画を観ているらしいのだ。
そう言えば朝日新聞にも映画のコラムを書いていたはずだ。
「シネマと書店とスタジアム」、「世界は「使われなかった人生」であふれてる」の2冊でも映画のエッセイを書いている。

そう、氏の場合映画評というよりもやはりエッセイに近い。
映画を通して氏が体験したさまざまなエピソードや、思索が語られているからだ。
たとえその映画を観ていなくてもその映画が語ろうとする何かが透けて見えてきそうなそんなエッセイの数々が綴られている。

書評、音楽評、映画評、いずれも読みたい、聴きたい、観たいと思わせれば勝ちである。
その点本書は完璧に私の負けである。とにかくどれも片っ端から観てみたくなるのだ。
おまけに本書の中に出てくる映画を私は数えるほどしか観ていない。
芳醇な映画の海が目の前に横たわっているのだ。
雑誌という限られたスペースであるにもかかわらず、さりげなく衒いなく読者を引っ張るのはさすがだと思う。

とりわけ興味を惹かれたのは、異星人かもしれない男を描いた「光の旅人」について書かれた「なぜか心が洗われる」。
空港のイミグレーションで足止めを食ってしまい
何日かをそこで過ごすことになってしまった男の物語、「パリ空港の人々」を描いた「淡いが深い」。
そして「肉親の哀しみ」では、母と娘の関係を描いた香港映画「客途秋恨」を通して、
どうして肉親とはこんなに哀しいそんな存在なのだろう・・・と問いかける。
最近肉親を失った私には染み入る文章だった。
この3作品はとりわけ見てみたい作品となった。

それ以外でもどれも氏の深く感応する力と映画から前向きな何かを受け取ろうとする思いが伝わってくる。
率直な書きぶりが却って映画への深い愛情を感じさせてくれるエッセイ集だ。

7/4のランニング

2007-07-04 12:44:22 | ジョギング
梅雨の合間を突いて朝のジョギング。
霧雨のようなわずかな雨の中を走った。
走れるときに走っておかなくてはと思う。

夕べは家人が買ってきた今話題のビーリーズ・ブートキャンプをやってみたが
食後にやったせいもあって、最後はヘロヘロで吐き気を催すほど。
できもしないのにいきなりトップモードでやったのがいけなかったのだろう。
体脂肪を燃やして上半身を鍛えつつ長距離を走れる体を作っていきたい。

今日の距離:3キロ