・フランスの哲学者ボール・ジャネーとその甥の心理学者ピエール・ジャネーは、感じられる時間の長さは、年齢と反比例的な関係にあるという仮説を立てた、一般に「ジャネーの法則」として知られている。
しかし、この法則にはいくつかの問題がある。同じ年齢でも人によって、年齢による時間の感じ方の変化は異なる。どうやら、年齢は感じられる時間の長さの変化は、ジャネーが仮定した反比例的な関係よりも、ゆるやかなのである。
・物理学的時間とは?
ニュートン力学的な時間は均一で、必然的な特徴によって他の次点と区別されるような、特別な辞典というものもない。地上の環境であれば、時間の進行は一様である。しかし、アインシュタインの相対論的な理解では、時間の進行は、たとえば重力によって影響を受ける。ブラックホールの周辺のような強い重力が働く場所での時間の進行は、地球上の時間の進行よりもゆっくりになる。運動も時間の進行に影響を与え、地球から光速に近い速度で遠ざかる宇宙船に積まれる時計は、地上の時計よりゆっくり進む。
・時計の時間である世界時間は、もともと地球の自転を元に決められた時間である。地球の自転を時計代わりにして決めた時間といってもよいかもしれない。
・歴史的にみると、時計の時間が人間の生活パタンに大きな影響力をもつようになったのは、農耕に関わる作業に大量の労働力を投入する必要が出てきたからである(「時計の歴史」)。
・カエルは鼻先にあるのが紙片だと気づかないばかりか、その運動方向によって、その紙片を餌(長編方向)とみたり、危険な存在(長軸に直交する方向)と見なしたりする。
・フレーザーの錯視
同心円ではなく、らせんとして見えてしまう。知識があっても錯覚は回避されないのである。
ミューラー錯視、ボンゾ錯視、水平垂直錯視、ツェルナー錯視
錯視を利用した技術は、私たちの日常生活にすでに深く広く浸透しているのである。
・ここで重要なことは、ここまで紹介してきたような錯覚の体験を、人間が共有できることなのだ。
・月の錯視(天体錯視)
月は地平近くにあるほど大きく感じられる。
・体内時計は、機械的な時計ほど正確ではない。日光の入らない部屋で、眠くなったら寝て目が覚めたら起きるという生活を何日か続けた場合は、起きる時間と寝る時間は毎日少しずつずれていく。人間の体内時計の周期は、平均するとおよそ25時間といわれている。
・同時性の窓の幅として見られる知覚処理の時間解像度も、資格は聴覚や触覚と比べると粗いことを、ベッベルの研究は示している。
・漢字のような複雑な文字の場合、色の処理のほうが文字の処理よりも早くなるので、先に提示された文字が後に提示された色で書かれたように知覚されることが多くなる。
・フラッシュラグ効果
等速で左から右に移動する光点がディスプレーの中央あたりに達したとき、光点の直下に別の好転を一瞬提示する。このとき、移動する光点が瞬間的に提示された光点よりも右にずれているように見える。このフラッシュラグ効果については、サッカーのオフサイド判定の誤審の一因とも指摘されている。
・プルフリップ効果
刺激の明るさの違いが、資格の処理時間を変えることが知られている。
サングラスを通して観察された刺激の処理は、裸眼で観察された刺激の処理よりも遅れる。
・フットステップ錯視
この錯視を発見したS・アンスティは、背景のこんとらすとが強いほど資格対象の処理速度が速くなることがこの錯視の基礎にあると考えている。
・人間の視覚系は本来、変化に敏感です。
・色の見え方は、複数ある色の処理系のアウトプットのバランスによって決まる(「色彩の科学」)。
・身体的代謝が落ちると、それに伴って心的時計の進み方も遅くなる。
・感情によっても心的時計の進み方は変わる。
クモ恐怖症の人は、クモに対して恐怖を感じない人と比べるとクモとともに過ごす時間をより長く感じることが見出される。
死の恐怖も時間を過大に評価させ得ることが知られている。
事故のときのような極度の緊張を感じる際には、心的時間の方が物理的時間よりも速く進行する。
・カフェインのような興奮作用のある物質の摂取には経過した時間を過大評価させる効果があり、逆に、鎮静作用のある薬物の摂取には、経過した時間を過少評価させる効果がある。
・時間経過への注意
時間経過に注意が向くほど、同じ時間がより長く感じられることも知られている。退屈な会議に出席していたとする。その会議が早く終わらないかと時間の経過が気になって何度も何度も時計に注意が向く場合などは、時間がなかなか経たない印象を受ける。
・脈略やまとまりが時間を短くする。
同じ長さの時間であってもその間に多くの刺激が提示されるほど、長い時間と感じられる。
・難しい課題は時間を短くする
計算式を解いている最中は、時間が短く感じられる。その傾向は、問題が難しいほど顕著になる。
まっすぐな道を走る際にかかる時間よりも、道を曲がる際の時間は短く評価される傾向がある。
・鬱と躁、統合失調症における時間
鬱の状態にある人の中には、どうしようもない過去、取り返しのつかない過去にさいなまれる人がいる。未来への展望ははっきりせず、過去の負い目がしばしば現在に侵食してくることもあるようである。将来について考えることが無意味に思われ、時間がゆっくり進んで感じられたりするという。
躁の状態にあるときは、時間がどんどん過ぎていくように感じられることが多いという。
統合失調症についても、独特の時間間隔があることが指摘されている。たとえば、実際には50歳を越えているのに、いつまでも自分が子供だとか、10代だと自覚したりする場合がある。あたかも時間が止まっているように感じられているといってもよいかもしれない。
・加齢と時間評価
加齢が進むと、神経生理学的過程や心理学的過程における情報処理の効率や処理の速度が低下する。加齢に伴って心的時計の進み方が遅くなるという考え方も、こうした加齢における神経生理学的・心理学的過程における処理の遅れを想定する理論とよく対応している。
・3分間をターゲットと考えた場合、2~4歳年を取るごとに、評定時間が1秒長くなるという結果がでた。また、リラックスした状態では経過時間が過小評価されることが見出された。
・JR西日本の福知山線の事故では、発生当時から秒刻みのスケジュールが問題視されていた。直前に引き起こしたオーバーランに対する処分を恐れた運転士が車掌の無線交信に気を取られ、運転から注意がそがれ、急ブレーキののタイミングが遅れたことが主な事故の原因とされている。
注意がそらされた場合には認知的処理が遅くなり、反応時間が遅くなる。
そもそも秒刻みのスケジュールの設定自体が、人間の能力を超えていたとは考えられないだろうか。
感想;
「3分間をターゲットと考えた場合、2~4歳年を取るごとに、評定時間が1秒長くなるという結果がでた」
⇒(1/180)/3=1/540となり、ジャネーの1/年齢よりもかなり小さい。
嫌いな科目の授業は長く、好きな科目は短かったです。
時間を気にすると長く感じ、時間が気になっていないと短く感じるとのこと。
また多くの刺激があると時間を長く感じているとのこと。
アインシュタインの相対性理論で時間が絶対的なものでないと知ったときは驚きでした。
米国の学生は合間合間によく本を読んでいました。
それを見習って、通勤時間や乗り換え時の時間待ち、待ち合わせ時の時間待ちで本を読むようにしました。
そうすると、その待ち時間が気にならなくなりました。
待たされても、「読書する時間が増えた」と思うと余裕が出てきました。
この本では多くの錯視が出てきます。
錯視するように人間はできているようです。
時間についてもこの錯視があるようです。
人は錯視するものだと理解していることが必要なのでしょう。
見えているものを鵜呑みにせずに本当かどうか常に疑いを持つことなのでしょう。
天体錯視の言葉は初めて知りました。
地平線の太陽が大きく見えるのは屈折理の関係と高校の時に習ったように記憶していましたが、錯視によって大きく見えているのでした。
しかし、この法則にはいくつかの問題がある。同じ年齢でも人によって、年齢による時間の感じ方の変化は異なる。どうやら、年齢は感じられる時間の長さの変化は、ジャネーが仮定した反比例的な関係よりも、ゆるやかなのである。
・物理学的時間とは?
ニュートン力学的な時間は均一で、必然的な特徴によって他の次点と区別されるような、特別な辞典というものもない。地上の環境であれば、時間の進行は一様である。しかし、アインシュタインの相対論的な理解では、時間の進行は、たとえば重力によって影響を受ける。ブラックホールの周辺のような強い重力が働く場所での時間の進行は、地球上の時間の進行よりもゆっくりになる。運動も時間の進行に影響を与え、地球から光速に近い速度で遠ざかる宇宙船に積まれる時計は、地上の時計よりゆっくり進む。
・時計の時間である世界時間は、もともと地球の自転を元に決められた時間である。地球の自転を時計代わりにして決めた時間といってもよいかもしれない。
・歴史的にみると、時計の時間が人間の生活パタンに大きな影響力をもつようになったのは、農耕に関わる作業に大量の労働力を投入する必要が出てきたからである(「時計の歴史」)。
・カエルは鼻先にあるのが紙片だと気づかないばかりか、その運動方向によって、その紙片を餌(長編方向)とみたり、危険な存在(長軸に直交する方向)と見なしたりする。
・フレーザーの錯視
同心円ではなく、らせんとして見えてしまう。知識があっても錯覚は回避されないのである。
ミューラー錯視、ボンゾ錯視、水平垂直錯視、ツェルナー錯視
錯視を利用した技術は、私たちの日常生活にすでに深く広く浸透しているのである。
・ここで重要なことは、ここまで紹介してきたような錯覚の体験を、人間が共有できることなのだ。
・月の錯視(天体錯視)
月は地平近くにあるほど大きく感じられる。
・体内時計は、機械的な時計ほど正確ではない。日光の入らない部屋で、眠くなったら寝て目が覚めたら起きるという生活を何日か続けた場合は、起きる時間と寝る時間は毎日少しずつずれていく。人間の体内時計の周期は、平均するとおよそ25時間といわれている。
・同時性の窓の幅として見られる知覚処理の時間解像度も、資格は聴覚や触覚と比べると粗いことを、ベッベルの研究は示している。
・漢字のような複雑な文字の場合、色の処理のほうが文字の処理よりも早くなるので、先に提示された文字が後に提示された色で書かれたように知覚されることが多くなる。
・フラッシュラグ効果
等速で左から右に移動する光点がディスプレーの中央あたりに達したとき、光点の直下に別の好転を一瞬提示する。このとき、移動する光点が瞬間的に提示された光点よりも右にずれているように見える。このフラッシュラグ効果については、サッカーのオフサイド判定の誤審の一因とも指摘されている。
・プルフリップ効果
刺激の明るさの違いが、資格の処理時間を変えることが知られている。
サングラスを通して観察された刺激の処理は、裸眼で観察された刺激の処理よりも遅れる。
・フットステップ錯視
この錯視を発見したS・アンスティは、背景のこんとらすとが強いほど資格対象の処理速度が速くなることがこの錯視の基礎にあると考えている。
・人間の視覚系は本来、変化に敏感です。
・色の見え方は、複数ある色の処理系のアウトプットのバランスによって決まる(「色彩の科学」)。
・身体的代謝が落ちると、それに伴って心的時計の進み方も遅くなる。
・感情によっても心的時計の進み方は変わる。
クモ恐怖症の人は、クモに対して恐怖を感じない人と比べるとクモとともに過ごす時間をより長く感じることが見出される。
死の恐怖も時間を過大に評価させ得ることが知られている。
事故のときのような極度の緊張を感じる際には、心的時間の方が物理的時間よりも速く進行する。
・カフェインのような興奮作用のある物質の摂取には経過した時間を過大評価させる効果があり、逆に、鎮静作用のある薬物の摂取には、経過した時間を過少評価させる効果がある。
・時間経過への注意
時間経過に注意が向くほど、同じ時間がより長く感じられることも知られている。退屈な会議に出席していたとする。その会議が早く終わらないかと時間の経過が気になって何度も何度も時計に注意が向く場合などは、時間がなかなか経たない印象を受ける。
・脈略やまとまりが時間を短くする。
同じ長さの時間であってもその間に多くの刺激が提示されるほど、長い時間と感じられる。
・難しい課題は時間を短くする
計算式を解いている最中は、時間が短く感じられる。その傾向は、問題が難しいほど顕著になる。
まっすぐな道を走る際にかかる時間よりも、道を曲がる際の時間は短く評価される傾向がある。
・鬱と躁、統合失調症における時間
鬱の状態にある人の中には、どうしようもない過去、取り返しのつかない過去にさいなまれる人がいる。未来への展望ははっきりせず、過去の負い目がしばしば現在に侵食してくることもあるようである。将来について考えることが無意味に思われ、時間がゆっくり進んで感じられたりするという。
躁の状態にあるときは、時間がどんどん過ぎていくように感じられることが多いという。
統合失調症についても、独特の時間間隔があることが指摘されている。たとえば、実際には50歳を越えているのに、いつまでも自分が子供だとか、10代だと自覚したりする場合がある。あたかも時間が止まっているように感じられているといってもよいかもしれない。
・加齢と時間評価
加齢が進むと、神経生理学的過程や心理学的過程における情報処理の効率や処理の速度が低下する。加齢に伴って心的時計の進み方が遅くなるという考え方も、こうした加齢における神経生理学的・心理学的過程における処理の遅れを想定する理論とよく対応している。
・3分間をターゲットと考えた場合、2~4歳年を取るごとに、評定時間が1秒長くなるという結果がでた。また、リラックスした状態では経過時間が過小評価されることが見出された。
・JR西日本の福知山線の事故では、発生当時から秒刻みのスケジュールが問題視されていた。直前に引き起こしたオーバーランに対する処分を恐れた運転士が車掌の無線交信に気を取られ、運転から注意がそがれ、急ブレーキののタイミングが遅れたことが主な事故の原因とされている。
注意がそらされた場合には認知的処理が遅くなり、反応時間が遅くなる。
そもそも秒刻みのスケジュールの設定自体が、人間の能力を超えていたとは考えられないだろうか。
感想;
「3分間をターゲットと考えた場合、2~4歳年を取るごとに、評定時間が1秒長くなるという結果がでた」
⇒(1/180)/3=1/540となり、ジャネーの1/年齢よりもかなり小さい。
嫌いな科目の授業は長く、好きな科目は短かったです。
時間を気にすると長く感じ、時間が気になっていないと短く感じるとのこと。
また多くの刺激があると時間を長く感じているとのこと。
アインシュタインの相対性理論で時間が絶対的なものでないと知ったときは驚きでした。
米国の学生は合間合間によく本を読んでいました。
それを見習って、通勤時間や乗り換え時の時間待ち、待ち合わせ時の時間待ちで本を読むようにしました。
そうすると、その待ち時間が気にならなくなりました。
待たされても、「読書する時間が増えた」と思うと余裕が出てきました。
この本では多くの錯視が出てきます。
錯視するように人間はできているようです。
時間についてもこの錯視があるようです。
人は錯視するものだと理解していることが必要なのでしょう。
見えているものを鵜呑みにせずに本当かどうか常に疑いを持つことなのでしょう。
天体錯視の言葉は初めて知りました。
地平線の太陽が大きく見えるのは屈折理の関係と高校の時に習ったように記憶していましたが、錯視によって大きく見えているのでした。
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