江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

窟女(岩窟の女)  諸国里人談

2024-05-26 22:09:55 | 諸国里人談

窟女(岩窟の女)   諸国里人談

             2024.5

勢州壱志郡(いちしぐん:三重県中部)川俣川剱が淵に万一丈余の岩窟があった。
寛文のころ、この岩窟の中に人がいた。川向うの家城村より、これを見つけてあやしんだ。里人は筏を組んでその所に至った。
三十ばかりの女が、髪をみだし、仰向けになって、髪のさきの岩に漆を以って付たようにしていた。髪の毛を、つるして、特に苦しそうな様子もなく、岩窟の中にいた。
里人が、抱きおろそうとしたが、髪がはなれず、中より髪を切った。そして彼女を岩窟よりおろし、里につれ帰った。水をそそいで洗い、薬などを与えると、正気を取り戻した。
事情を問うたが、どうして、その場にいたのか、本人には、わからなかった。だた、美濃の国(岐阜県)の滝が鼻村(?)の妻であると言う。
ここは津(三重県)の領分であるので役所に訴えた。国主(藩主)より濃州(美濃:岐阜県)に連絡をした。
そして、迎えの者が大勢来て、つれて帰った。
 

諸国里人談巻之二 妖異部 より


皿屋敷   諸国里人談

2024-05-24 22:02:00 | 諸国里人談

皿屋敷   諸国里人談

               2024.5

正保(しょうほう:1644~1648年)年中の事である。
武士の下女が、十の皿の一つを井に落としたる咎により殺害された。その亡魂が、夜々 井の端に現れ、一より九まで数え、十を言わないで泣き叫ぶ、と。
この事は、広く世に知られた事である。
この古い井の屋敷は、江戸の牛込御門の内にある。
又、雲州(出雲:島根県)松江に件(くだん)の井がある。
又、播州(播磨:兵庫県)にもある。
三カ所ともに同じ内容の話である。
どれか、一ヶ所のが真実であるのだろうか?

皿を割った話と、亡霊の話を附会した説である。
   
訳者注:これは、番長皿屋敷ですね。各地に、似たような話があるようです。

 

諸国里人談巻之二 妖異部 より


訳者注:これは、番長皿屋敷ですね。各地に、似たような話があるようです。

 

諸国里人談巻之二 妖異部 より


鬼女   諸国里人談

2024-05-23 21:59:50 | 諸国里人談

鬼女   諸国里人談

           2024.5

享保のはじめ、三河国保飯郡舞木村新七と言うものが女房(原注:いわと言う、年ニ十五)を京都よりつれて来た。しかし、彼女は、常に心が尖っていて、ただ狂人のようであるので、夫は、これを嫌って逃げて出ていった。
女は、逃げた夫を慕って、遠州の新井まで追って来たが、関所を通ることが出来なかった。もどって、もとの所に住んで、ますます怒りの焔をさかんにして、乱心のごとくなった。
その折節、隣家に死んだものがあった。田舎の習慣として、あたり近くの林の中に、火葬した。
彼女は、そこに行って、半焼けであった死人を引き出し、腹を裂いて臓腑をつかみ出し、飯子のような器に入れて、素麺(そうめん)などを喰くように喰べている所へ、喪主の者が、火のありさまを見に来た。そして、この様子を見て大いに驚ろいた。そのことを聞いた村中の者が、棒を持って、その女を追いかけてきた。女は大いに怒り、「これほど美味いものはない。お前たちも、食え。」と言って躍り狂って、蝶や鳥のように飛ぶように走って、行方しれずになった。
その夜、近い所の山寺に入って、持って来た器より肉を出して、前のように喰べた。
僧侶は驚ろいて、早鐘で、里へ危急を知らせると、村民がかけあつまってきた。彼女は、この様子を見て、また、ここもうるさいと、寺の後ろの山の道もない所を、普通の平地の道を行くように駆け登って、姿が見えなく
なった。
生れながら鬼女となった事を、代官へ訴えた。
すると、役所より、件の事を文書にして村々へ知らせた、との事である。

諸国里人談巻之二 妖異部 より


河童の歌 諸国里人談

2024-05-22 21:57:53 | 諸国里人談

河童の歌    諸国里人談

              2024.5

肥前の国の諫早(いさはや)の辺(あたり)に河童が、多くいて、人々を取り殺していた。

    ひやうすべに 川たちせしを忘れなよ 川たち男 我も菅原

この歌を書いて海や河に流せば、河童は害をなさないと言う。
ひやううすべは兵揃(ひょうすべ)であって地名である。
この村に天満宮のやしろがある。それで、菅原(天満宮は菅原の道真を祭っている)と言ったのであろう。

○又、長崎の近くに渋江文太夫という者がいた。河童を避ける符(おまもり)を出していた。
この符(おまもり)を懐にいれておけば、河童はその人に、あえて害をなさないと言う。
或る時、長崎の番士が海辺で石を投げて、賭をすることがはやった。遠くまで投げた者を勝ちとした。

ある夜、渋江の家に、河童が来て、言った。
「このほど、我がすみかに、毎日毎日、石を投げられて、おどろかされている。これを止めないと、災をしてやろう。」と言った。
渋江は、驚いて、「ひょうすべに・・・」を書いた符(おまもり)を、河童に見せた。
人々は皆、不思議なことだと言った。

諸国里人談巻之二 妖異部 より


天狗にさらわれて、帰ってきた話  諸国里人談巻之二 妖異部

2024-05-14 22:30:15 | 奇異

天狗にさらわれて、帰ってきた話

原題「天狗に雇われる」江戸   諸国里人談  

                    2024.5

正徳のころの事である。江戸神田鍋町の小間物を商う家の十四五歳の調市(でっち:丁稚)は、正月十五日の暮がたに銭湯へ行くと言って、手拭などを持って出て行った。
少しして裏口にたたずむ人がいた。
誰だ、ととがめると、かの調布(でっち)であった。
股引、草鞋(わらじ)の旅すがたで、物入れ袋を杖にかけて、室内に人って来た。
主人は賢い男であって、おどろく体はなくて、
「まづ草鞋をぬいで、足を洗え。」
と言った。
すると、丁稚は、かしこまって足を荒い、台所の棚より盆を出し、袋をから山芋を取り出した。
これを、「土産です」と言った。
主人が言った。
「今朝は、どこから来たのか?」
「秩父の山中を今朝出ました。永々の留主、ご迷惑をかけました。」と言った。
「いつ家を出たのか?」と問うと、
「去年の十二月十三日に、年末の媒はらいをした夜に、秩父の山に行って(さらわれて)、昨日までそこに居りました。
御客に、毎日給仕をしていました。
さまざまの珍しい物を頂きました。
お客は、みな御出家(坊さんなど)でした。
昨日、こう言われました。
「「明日は、江戸へ帰してあげよう。手みやげに、山芋を掘って行け。」」と言われましたので、山芋を掘って、持って来ました。」などと語った。

その家には、この丁稚が、師走に出ていった事を知っている者がいなかった。
彼の代わりに、何者かが丁稚に化けていたことになるが、今になってそのことが知れた。

その後は、何の事もなく、それきりですんだ。

「諸国里人談」巻之二 妖異部 より