江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

髪を切られる  諸国里人談巻之二 妖異部

2024-05-13 22:20:51 | 奇異

髪を切られる

原題「髪切」諸国里人談
           2024.5

元禄の始めに、夜中に往来の人の髪を切る事件があった。
男女共に結ってままで、元結際(もとゆいぎわ)より切って、結んである形で地面に落ちていた。切られた人は、切られたという自覚がなく、何時きられたのか、わからなかっった。
このような事件は、あちこちの国にあったが、特に伊勢の松坂に多かった。
江戸にても切られた人があった。

私自身(著者)が、知っているのは、紺屋町の金物屋の下女のことである。
夜に買い物に行ったが、髪が切られた事に気づかず、宿に帰った。
人々は髪が無い事を言った所、驚いて気を失った。
彼女が、帰って来た道を、探すと、世間のうわさの通りに、髪は、結んだままに落ちてあった。
その時分の事である。

「諸国里人談」巻之二 妖異部 より

 

 


森の中から聞こえるお囃子の音  諸国里人談巻之二 妖異部

2024-05-12 22:13:29 | 奇異

森の中から聞こえる怪しいお囃子の音

原題「森囃(もりばやし)」諸国里人談

               2024.5

亨保のはじめ、武州(東京)相州(神奈川県)の境界の信濃坂に、毎夜、お囃子の音が聞こえた。笛、鼓(つつみ)などの音がし、五人が歌っていたが、その中に老人の声が一人いた。
近在又は江戸などより、これを聞きに来る人が多かった。十町四方に響き聞こえていた。はじめはその所がわからなかったが、しだいに近く聞きつけて行くと、その村の産土神(うぶすながき)の森の中であった。時として篝火が焚きいている事があった。翌日に見れば、青松葉の枝が燃えたのが境内にあった。或いはまた青竹の長さ一尺あまりの大きいのが、森の中に捨ててあった。
これはかの鼓(つつみ)であるのだろうと、人々は言いあった。ただ囃の音のみであって、何の禍い(わざわい)もなかった。一月をすぎても囃子の音は、止まなかった。夏のころより秋冬かけてこの事があった。しかし、次第次第に間遠に成った。三日五日の間、それから七日十目の間をあけるようになった。
はじめの頃は、聞く人も多くいて、何ともおもわなくなったが、その後は、自然とおそろしく感じるようになった。
翌年の春の頃、囃のある夜は、里人も門戸を閉めて外出しなくなった。
お囃子の音も、段々と低くなって、春の終わりには、いつともなく止んでしまった。


諸国里人談巻之二 妖異部 より

 


幻術で釈迦の説法を見せる  原題「成大会」  諸国里人談巻之二 妖異部

2024-05-11 21:37:27 | 諸国里人談

幻術で釈迦の説法を見せる

原題は、「成大会(大会をなす=有り難い光景を見せる)」

                       2024.5

永承(1046~1053)の頃、西塔の僧が京に出て、帰って来た時のことである。東北院の北の大路にて子供達が集まり、古鳶が縛りからめられて、杖で打ったりなどしていた。この僧は、慈悲を起して、扇などを子供達に与えて、鳶をもらい受けて放してやった。
その飛んで行った先の藪の中から、異形の法師が出てきた。
「先ほどは、御憐(あわ)れみを以って、命を助けていただきました。お礼をしたく思います。」
僧は、思い当たることがなくて
「そんな事は、思い当たりません。人違いでしょう。」
「そう、思われるのはもっともでしょう。私は、東北院の大路にて、ひどい目にあっていた古鳶です。私は、神通を得たので、大変嬉しいことです。お礼に、此よろこびに何ななりともお望みに任すべしとなり。」
さては、ただの鳶ではなかった事をさとった。
「私は、出家の身なので、世俗的な望みはない。しかし釈迦如来、霊山にて説法をされた様子を見せてください。」と言った。
すると、「それは、たやすい事です。」
と言って、下松の上の山に連れて行って登った。
「ここで目を閉じていて下さい。お釈迦様の説法の声が聞こえて来たら、目を開いてください。かならずしも、貴いと思っては、いけません。信仰心を起こされたら、私のためには、悪い事が起こるでしょう。」
と言って去った。

しばらくすると、御法の声(お釈迦様が話をする声)が聞えてきた。それで、目を開けると、山はたちまち霊山となり、地は血瑠璃、草木は七重宝樹となった。
お釈迦様は、獅子の座にいらっしゃって、文殊、普賢が左右に座り、菩薩や聖衆は雲霞のごとく、空より四種類の花が降ってきて、かぐわしい匂いの風が吹いて来て、天人は雲の上につらなって、すばらしい音楽を奏でて、如来は、大変に深い法門を演説されている有様であった。僧は、そのありがたさに感激し、随喜の涙を浮かべ、渇仰の思いが骨に徹り、思わず掌をあわせ、帰命頂礼すると、山が鳴動して、今まで見えていた光景は、かき消すように失せて、ただ草深い山中であった。僧は、これはどうしたことかと、寺院に帰り、水を飲んでいると、先ほどの法師が来た。

「あのように、信仰心を発してはいけないと約束したのに、その約束に反してしまいましたね。それで、護法天童が、地上に下り給い、このように信者を誑かしてはいけないと言って、われらを債めました。それで、私に従っていた小法師達も逃げていきました。私も、ひどい目にあいまして、どうしようもありません。」と言って、去って行った。(本朝語園)

注:この文の原文通りに現代文に訳しました。
  どうにも、理解しにくい内容です。
  小法師は、命を救ってもらった事のお礼として、幻術を使って、釈迦の説法の場面を見せた。しかし、それは真実ではなく、小法師が作った見せた芝居のような物である。
僧は、感動して、手を合わせて帰命頂礼した(信仰心を強く起こした)。その情報が、天上界に伝わった。そして、鳶=小法師が、幻術を使って、それらしい説法場面(真実でない、偽りの)を見せたことも、露見した。
それで、鳶=小法師は、罰を受けることになった。
始めに信仰心を起こさないで欲しい、と言ったのは、そのためでしょう。信仰心を起こすことは、良いことですが、嘘偽りの場面を見せるのは、良くないと、天上界の考えでしょう。しかも、お釈迦様などの姿を使ってでは、特に重罪という事でしょう。

諸国里人談巻之二 妖異部 より

 


反哺の孝・・・烏の雛は親の顔を忘れる  慈元抄

2024-05-10 18:25:36 | キツネ、タヌキ、ムジナ、その他動物、霊獣

反哺の孝・・・烏の雛は親の顔を忘れる

                 2024.5

烏の子は、大人になって巣立つと、親の顔を忘れてしまう。
しかし、親の恩を忘れず、養い返そうとおもうが、どれが親ともわからない。
深山などに、老い極まった烏が飛べなくなっているのを、
もしかして我が親かもしれないと、若い烏たちは、老いた烏を養うのだ、と言う。
これを、反哺(はんぽ)の孝と言う。

「慈元抄」広文庫より


日光山の烏  「嬉遊笑覧」

2024-05-10 18:24:16 | キツネ、タヌキ、ムジナ、その他動物、霊獣

日光山の烏

            2024.5

日光山のお宮の傍らに烏が二羽いた。
仁王門の門前の茶店のそばにいつもいた。

この茶店では団子を売っていた。
お客がそれを買い求めて、串団子から一つ抜き出して、高く空中になげ上げると、かの烏達が出てきて、空中でキャッチした。

一つも、取り損じる事は、なかった。

「嬉遊笑覧」広文庫より