江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

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動物界霊異誌 河童その6 目に見えない河童と戦う 

2023-07-28 21:49:03 | カッパ
6、目に見えない河童と戦う (仮題) 動物界霊異誌 河童その6
              2023.7
先年、寛永の天草一揆の退治(かんえい15年:1638年)が終わって、有馬左衛門佐直純(ありまなおずみ:1586~1641)が帰陣した時の事である。
その家臣の八左衛門と言う者が、有名な有馬の蓮池を一見しようと、そのあたりを散歩していると河童一疋が前後も知らずに昼寝している所へ行きかかった。立寄って一打にすると手答えして、刀にも血ノリがついた思われた。しかし、その姿形は見えなかった。しばらく、そこら辺の様子を窺ったが、河童の死骸は無かった。
暫くして、何かが池の中へ踊り入った音がして、何も見えなくなった。
夕暮れになったので、八左衛門は、立ち帰った。又、その翌日、主人の帰陣にお供して、日州の県(あがた)(宮崎県延岡市)の居城へ帰った。

かくて寛永十五年(1638年)の二月より同十七年(1640年)の秋九月十四日の未の下刻に、彼の河童が来て、八左衛門に向ってこう言った。
「三年前の有馬での疵は、ようやく癒えた。よって、仕返しをするために、はるばるとやってきた。
急ぎ外へ出よ。勝負をしよう。」
と罵しった。
八左衛門は、
「よくこそ来たれり。」
と、刀を引っ提げ、庭に出て、切ってかかった。
受けつ開けつなどする様子を、家人が見れば、気が違ったようだ、と驚ろいた。
八左衛門の家の裏向いは百石小路と言って、小身の面々の屋敷であったので、人をつかわし、親類どもや仲間などを呼び寄せ、その様子を見せた。あたかも狂
人のようであった。しかし、又本当の気違いのような事も無かった。他の人には、河童の姿が見えないので、助太刀もできなかった。
相互に戦い疲れ、
「さらば、今晩は相い引きにして、又明日の事としよう。」と言って河童は立ち去った。
八左衛門も刀を収め、家の内へ入った。人びとは、子細を尋ねると、三年前の蓮池のことを話した。
今度の河童の武器は、梅のすたえ(?)の様なもので三尺ばかり(1m位)あるものを持ってきて闘ったが、そのすたえ(?)が肌に当ったならば、大変にる痛みのあるものだろう。
あの河童は、なかなか、手強く、言葉で説明できないくらいである、と語った。
この河童は、八ッ頃に来て酉の刻まで、続いて三時ばかり打ち合ったが、双方は互角の強さで勝負はつかなかった。
有馬直純は、このことを聞いいて、
「前代未聞なり。見物すべし:」
といった。
翌日、八左衛門の家に来臨した。床几にもたれかかり、召連れた武士たちに、
「河童が、たとえ形が見えずとも、八左衛門と戦いを始めれぱ.その辺を取まいて、逃げられぬようにせよ。」と命令した。
武士たちは、吾も吾もと待ちかまえた。この様子に、おそれを為したのか、その日は河童は、来なかった。その夜、河童は、八左衛門の夢枕に立って、
「年来の恨みをはらそうと来たが、その方の主君が出てきたからには、最早(もはや)我が望みを遂げるのは、難しい。明日は肥前(長崎県)へ帰る。」
と言って立去った。

この話は、豊後の永石其孝の話しである。.
(半日閑話)動物界霊異誌 より


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