環境にやさしい?翻訳者日記

環境分野を専門とする地方在住の翻訳者が、自らもなるべくエコなライフスタイルを目指します。がんばりすぎず、ぼちぼちと。

子どもの頃、大きくなったらなりたかったもの

2013-02-08 05:40:19 | もろもろ
子どもの頃、よく聞かれた
「大きくなったら何になりたいか?」

記憶に残っているいちばん古いものは、
「オーケストラのバイオリン奏者」。
たぶん小学校低学年の頃。
母が連れて行ってくれた地元の交響楽団の子ども向けコンサートに行って、バイオリンの音がステキだな~、と思ったから。

それを母に言ったら、
「ああいう人は、3歳くらいからバイオリンを習ってる特別な人なんだよ。」

そっかー、じゃ無理かー、とすんなりあきらめ(その程度の想いだったってこと)、
3年生の文集には
「大きくなったらオーケストラに入りたい」
とだけ書いた。

で、ピアノは習っていたので、その後はずっと
「ピアニストになりたい」
と思っていた。

そのまま中学生2年生になって。
ピアノの先生に、「音大を受験しますか?」と尋ねられた。
受験したいなら、声楽の先生をつけたり、準備を始めるから、と。
そのとき、「ピアノ科でも声楽の試験がある」ということを初めて知った。
実は私は人前で歌うのがあんまり好きじゃない。
学校の音楽の授業でも、ピアノの伴奏をしてればよかったので、あんまり歌う必要もなかったし。
それで一気に熱が冷めた。

それに、同じ学年に2人、とてもピアノがうまい子たちがいて、私は到底かなわないな~、と、感じていた。
こんな田舎の中学でも自分より2人も上がいるのに、一流ピアニストになんかなれないんじゃないか、と。

ピアニスト以外なら何がいいかな~と考え始め、
「なんとなく英語が好きだから翻訳とか通訳とかどうかな~、私はしゃべるの得意じゃないし翻訳の方がいいのかな~」
と思うようになった。
ちょうどその頃、学校でも進路指導みたいなことがあった。適性検査を受けた後、担任の先生との個別面談。
そのときに
「ピアニストか翻訳者か考え中」
みたいなことを話したら、その担任はたまたま学生時代に吹奏楽をやっていて、音楽の好きな数学の先生だった。
「それだったら、音楽のわかる翻訳者になれよ。昔、吹奏楽をやってたとき、外国人が教えに来てくれたんだけど、音楽をしらない通訳者で、ちっとも話が通じなかった。だから、音楽のわかる翻訳者になったら喜ばれるんじゃないか?」と。
私は、これだーっっと思った。
私はこの先生があまり好きではなかった(反抗期まっさかりだったし)けど、このアドバイスには今も心底感謝している。

それから数年間はそういう路線で、考えていた。
細かいことを言えば、
「英語じゃなくてドイツ語もいいな」とか、
「学部は語学じゃなくて国際関係学にしようかな」
とか、多少の揺れはあったけど。

でも、ちょっと血迷って、高校2年からは理系クラスに入り、理系の大学に行った。
なんとなく。高校の先生に勧められたのがきっかけで。
もちろん最終的には自分がそれもいいなと思って決めたわけだけど。

でも、大学に入ってから、1年間行ったけど、その文化がなんともしっくりこなくて、どうしてもこのままじゃ幸せな人生は送れない、と思えてしかたなくて、やめて、アメリカに留学して、アメリカの大学を卒業して帰ってきた。
専攻は
「平和学」。
高1くらいで目指していた国際関係学部に戻ったような感じかな。

留学中もピアノはずっと趣味として習っていた。
この言葉を介さない芸術活動に、本当に助けられた。
英語ではろくに言いたいことも言えないことも多い中、ピアノなら一人の人間として同等に扱われ、演奏活動やら伴奏アルバイトやら、楽しい世界が広がった。

そして今。
気付けば翻訳の仕事を10年間。
中2くらいからやりたいと思っていた職業についている。
途中で育児休暇など2回もとらせていただきながら、今もお仕事のご依頼をくださる方たちに恵まれて。
なんと、ありがたいこと。

それプラス、なんとか暇を見つけてはバイオリンを練習し、子どもと一緒に週1回レッスンに通っている。
小さい頃からずーっとずーっと心の中であこがれていた世界にやっと足を踏み入れることができた、この喜び。

大いなる幸せをかみしめ、日々の小さなイライラやら自己嫌悪やらをぐっと飲み込み、毎日を過ごしている。
人生、夢をもつのも悪くないかもね。

そしてこのブログにも、「音楽」カテゴリーを作ることにしたのでした(笑)