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★旅シリーズ★熱海 起雲閣 其の6

2012年04月30日 | ★旅行★国内
内田信也の別邸

起雲閣の障子は、日本家屋における扉、窓に用いる建具の一つで、明かりを通すように木枠に紙張り(主に和紙、今では「化繊入り紙」もある)になっているものは明障子(あかりしょうじ)ともいう。

元来は現在の襖(襖障子)も含めて障子(さえぎるものの意)と言った。平安時代に「明障子」として襖から分離した。扉を閉じたまま採光できるという機能により広く使われるようになった。ガラスやカーテンが普及するようになって使用は減ったものの、ガラス併用の障子なども作られ消滅することはなかった。一部がガラスになっていて障子部分が開け閉めできるものを雪見障子という。(地域などによって名称が曖昧であり、擦り上げ障子が付いているのもを猫間、無いものを雪見と区別している場合あり)
 


子持ち障子

1本の溝に2枚の明障子を引き違いにしたものを子持ち障子という。たとえば、元興寺の鎌倉時代の禅室にある。当時のみで深い溝を彫るのは、相当の手間であったろう。2本の溝を彫るよりも、幅の広い溝を1本彫るほうがわずかに簡単であったのかもしれない。しかし、禅宗様の建築であることから、技巧的な遊びと考えた方が妥当と思われる。



1本の溝に2本の障子を入れても、そのままでは引き違えないので、工夫がある。召合わせの縦框はそのままにして柱側の縦框をほぼ溝幅に合わせて作ってある。こうすると、明障子は外れることなく、引き違うことができる。

子持ち障子は、禅宗方丈建築の最古の遺構である、東福寺竜吟庵方丈にも使われている。ここでは、一本の溝に四本の明障子が立てられている。中央の2枚が上記の方法で引き分けられ、外の2枚は幅が狭く、開閉のできない嵌め殺しとなっている。 禅宗様の建築では、随所に意匠の工夫や技工の斬新さが見いだされる。



腰高障子

明障子は採光の必要から考案された建具である。採光の為に建物の外回りに使用する。しかし、風雨に曝されると薄紙は破れてしまう。実際の使用状況を絵巻物で見ると、半蔀を釣って内側に明障子を立てている。つまり、下半分の蔀は建て込んだままである。



こうした実際の使用状況から、明障子の雨が当たりやすい下半分に板を張った、腰高障子が考案されている。腰高はおよそ80cmで、半蔀の下半分と同じ腰高であったのも、必然であった。南北朝時代の観応二年(1351年)に描かれた真宗本願寺覚如の伝記絵『慕帰絵詞』に僧侶の住房に、下半分を舞良戸仕立てにした、腰高障子が2枚引き違いに建てられているのが描かれている。



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