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★イベント★香取神社 勝矢祭

2012年05月05日 | ★イベント★
勝矢祭 平成24年5月5日

午後一時/亀出神社(江東区大島)を出発明治通りを北上午後3時ころ香取神社到着。

平将門の乱を平定した藤原秀郷が戦勝の返礼として弓矢を奉納したとの故事に由来した行事です。
平安時代の鎧兜の装束や陣羽織、裃などを身にまとった氏子たちの武者行列が香取神社の兼務社である亀出神社から亀戸駅前を通り香取神社までの約2Kmを練り歩きます。
香取神社到着すると、本殿で「勝矢」奉納の儀式が厳かに行われます。

香取神社の御祭神、経津主神(ふつぬしのかみ)は千早振る神代の昔畏くも皇祖の神勅を奉じ、鹿島大神と共に豊葦原瑞穂国(日本国)の平定に手柄を立てられた威霊優れた国家鎮護の神として仰がれる我国武将の祖神であります。然も御本宮が神武天皇の御代に東国下総に鎮座されましたことは非常に意義のあることで、日本国の守護を固めた事になり、更に農業に深い関係があり、国土開発に多大の功績のあった産業の祖神でもあります。 故に大和朝廷におかれても殊に崇敬が篤く、中臣氏(後の藤原氏)は香取・鹿島両宮を氏神として忠誠を捧げ崇敬を尽くされたのであります。
経津主神(ふつぬしのかみ)
相殿に武甕槌神(たけみかづち)
大己貴神(おおなむじ)
























香取神社創設は天智天皇4年(665)、藤原鎌足公が東国下向の際、この亀の島に船を寄せられ、香取大神を勧請され太刀一振を納め、旅の安泰を祈り神徳を仰ぎ奉りましたのが創立の起因であります。 天慶の昔平将門が乱を起した時、追討使俵藤太秀郷が当社に参籠し戦勝を祈願して戦いに臨んだところ、目出度く乱を平らげたので神恩感謝の奉賽として弓矢を奉納、勝矢と命名されました。現在でもこの古事により勝矢祭が5月5日に執り行われております。 以来、益々土民の崇敬が篤く郷土の守護神というばかりでなく、ご神徳が四方に及びましたので、葛飾神社香取太神宮と称え奉るに至りました。(当時の葛飾は下総国の大半を意味します。) 元禄10年検地の節は改めて社寺の下附があり、徳川家の社寺帳にも載せられ古都古跡12社の中にも数えられています。

香取神社奉納刀七振  江東区有形民族文化財

香取神社に代々伝えられてきた奉納刀。本社である千葉県の香取神宮、茨城県の鹿島神宮と並び、武士の神として信仰を集めていたことにより奉納されたものである。 銘文のある刀のうち、「陸奥會津住道長」は、寛文・延宝期(1661~80)に活躍した刀工、三善道長の可能性がある。こしらえはさほどではないが、貴重な作例である。また、「備州住兼光」銘の短刀は、有名な備前長船派の名刀工、兼光を模したものと推定されている。

香取大神は天より国土平定に当たられ、日本建国の礎を築かれた大功神であり、歴代の天皇をはじめ源頼朝・徳川家康・秀忠・頼房等の武将の篤い崇敬を受け、又塚原ト伝や千葉周作をはじめ多くの剣豪の崇敬も篤く、現代でも武道修行の人々は大神を祖神と崇めております。 最近ではスポーツ振興の神として広く氏子内外を問わず参拝されております。その他交通 安全・家内安全・厄除・開運祈願等御神徳の随に毎日このような趣旨による御祈願を受け付けて御奉仕いたしております。

宝船 (道祖神祭祭具)

江東区有形民俗文化財
「千艘万艘御ふねが参った。銭でも米でもどんと一ぱい、おっつめろ。さいの神を祝う。」と氏子の子どもたちがはやす文句がある。江戸時代には毎年正月14日に道祖神の祭りが行われていた。この宝船はその時に使われていた祭具で、竿から垂らした縄で船を吊るしてかつぎ亀戸から両国の辺りまでを練り歩いた。 紙本淡彩道祖神祭図
安藤広重筆 江東区有形文化財(絵画)
道祖神祭の人物や宝船を墨で描き、朱、青等で淡彩を施している。画面右側から宝船が進み、それを担ぐ人物とその周りではやす子どもたちが描かれている。画面 右上に「年中行事亀戸道祖神祭」と題があり、右下には「廣重」の署名と落款がある。宝船の旗には「寶船 亀戸村 氏子」と描かれている。安藤広重肉筆の貴重な作例で、晩年の作と推定されている。 安藤広重(1797~1858) 浮世絵師。江戸の生まれで、本名は徳兵衛という。代表作「東海道五十三次」

建武年間(1334~37)香取伊賀守矢作連正基が始めて当社に奉仕し、香取神社初代神職となり、応安4年(1372)社殿再建、降って大永3年(1524)修造を営み、後寛永3年(1627)4月8日本殿改築に着手、同年9月24日竣工、文政年間(1818~29)拝殿造営、明治5年11月16日村社に定められる。昭和20年3月9日第二次世界大戦にて本殿炎上、同23年8月社殿再建。更に昭和63年10月19日現在の社殿が建立されました。

明治11年に完成したもので、約5年の歳月をかけて製作されました。一度担がれれば、屋根の部分・胴体の部分・台座の部分とそれぞれが別の動きをすることから、俗称で「こんにゃく神輿」と言われ、現在国内に2基(1基は九州)しか存在しない、珍しく、貴重な神輿です。


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