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★ジャイアントパンダ★北京動物園

2012年10月07日 | ★動物★
ジャイアントパンダは、哺乳綱ネコ目(食肉目)クマ科ジャイアントパンダ属に分類される食肉類。中国大陸で進化し、アバ・チベット族チャン族自治州域内が主たる生息地である。現在では中華人民共和国のごく限られた地域(四川省・陝西省など)にわずかな頭数が残存する、竹食などの草食傾向が比較的高い雑食性の大型哺乳類。ネコ目(食肉目)- イヌ亜目- クマ下目中のクマ科- ジャイアントパンダ亜科に分類される、ジャイアントパンダ属の、唯一現生する1種。四川と秦嶺の2亜種が知られる。白と黒にはっきりと分かれた体毛が際立った特徴である。

世界の通用名(大小のパンダ)

今では世界中の諸言語で単に「panda、パンダ」と呼ぶ場合、レッサーパンダではなくこのジャイアントパンダを指すことが多いが、学術的に発見されたのは1835年のレッサーパンダが先であり、オリジナルの「パンダ」に比して大きな新種(当時はそのように考えられた)が1869年になって発見されたことを受け、「lesser (レッサー、意:より小さい、小型の)」という特徴が名前に付け加えられた経緯がある。

「panda」という呼び名の由来については、ネパール語で「竹を食べるもの」を意味する「ponga (ポンガ)」「ponya (ポンヤ)」「poonya (ポーンヤ)」(cf. レッサーパンダの現地・ネパール語名:nigalya ponya、nyala ponga、poonya)などに求める説、特徴的な手根骨などの骨格に求める説などがある。ただし、これらの語はどのようなネパール語辞書からも見付けることができないものであり、論拠に疑問がある。

中国語で言う「熊貓(繁体字)」「熊猫(簡体字)」も、レッサーパンダに由来する。猫にあまり似ていないジャイアントパンダであるが、それを指す中国語に「猫」という字が入るのも、元はこの名がレッサーパンダを指していた名残である。 中国の山奥では、竹を食べる等、生態が似ているため、レッサーパンダが大きくなるとジャイアントパンダになると信じられていた地域もある。今でも、熊ではなく猫の仲間だと誤解している中国人が少なくない。






















中国語名

標準名は「大熊猫」(ターシュンマオ)。
もう一つの亜種を「秦嶺大熊猫」として呼び分ける。

中国語ではパンダは「熊猫」(シュンマオ)と呼ぶが、台湾では「猫熊」が一般的である。
ジャイアントパンダはそれに大をつけた大熊猫である。クマの仲間であるジャイアントパンダが猫と呼ばれるのは奇異に感じられるが、奥地に棲むジャイアント・パンダの存在は、近代まで地元民以外には知られていなかった(地元民は白熊と呼んでいたらしい)。
その外部には正体が正確に伝わっていなかった(1934年が初版の辞書『辞海』には「熊猫」の語が収録されているが、60年間に発見され何属何科に属するかいまなおわからない動物(怪獣)とされている)。
結局、正体が知られるようになるより先に、パンダの訳が熊猫で定着してしまったようである。

中華民国では本種の呼称は猫熊で、中国共産党の影響が大きい地域あるいは中国共産党解放後に左書きに誤読され熊猫になったとする説もある。台湾での本種の呼称が猫熊であることも上記が理由とする説もあるが、前述の通り中国共産党の影響が大きくない1934年版の辞海においても既に熊猫の語で収録されている。

文献中に見られる最古の記述を探せば、爾雅注疏では本種と推定される「竹を食べる白黒模様をしたクマのような動物」が貘として記述されており、金属を食べる動物と考えられていた。これは竹を食べる→矢の原料になる竹を食べる→矢を食べる→時代が進んで金属矢を食べる…と変化していったと考える説もある。白居易が記した「獏賛序」では貘は金属を食べるという記述のみが誇張され、唐以前にはそれ以外の特徴が無くなったと推定されている。加えて唐時代に本種と同じ白黒模様をしたマレーバクが混在したと推定されている。説文解字注から、清時代でも貘は金属を食べる生物とされている。

日本語名

日本語では標準和名「ジャイアントパンダ」のほか、古くは「白黒熊(シロクロクマ、シロクログマ)」「色分熊(イロワケクマ、イロワケグマ)」

とも呼ばれていた。これら異称としての和名は今ではほとんど用いられないが、消えたわけでもない。全ての生物名に漢字表記を当てることを旨としていた近代の博物学および生物学では、これらの名のいずれかが標準和名であった。

日本での飼育

神戸市立王子動物園:兵庫県神戸市 (旦旦[タンタン]、メス)

アドベンチャーワールド:和歌山県白浜町(永明:オス、良浜:メス、愛浜:メス、明浜:オス、梅浜:メス、永浜:オス、海浜:オス、陽浜:メス) 良浜の母である梅梅(2008年10月15日死亡)は来日前に中華人民共和国で双子の姉妹(奇縁:メス、奇珍:メス)を出産した経験があり、第3子である良浜を妊娠した状態で来日した。良浜の父は中華人民共和国にいる哈藍(哈蘭とも書く。2006年成都動物園にて死去)であり、永明と良浜の間に血縁関係はない。
愛浜、明浜(および、成都にいる雄浜、隆浜、秋浜、幸浜)は永明と梅梅の間の子である。
永明は梅梅の双子の姉(蜀蘭)との間に、人工授精により、2002年に中国で生まれた子(蘭宝:オス)がいる。
2008年9月13日に良浜が、メスとオスの双子(梅浜:メス、永浜:オス。2008年11月13日命名)を出産した。これらは日本初の3世代目のジャイアントパンダである。なお、父親は永明である。
2010年8月11日に永明と良浜の間に、オスとメスの双子(海浜:オス、陽浜:メス。2010年10月8日命名)が誕生した。9月4日より、一日2回、20分間一般公開されている。
2012年8月10日にも永明と良浜の間に、メスの双子が誕生したが、1頭は死産だった。

東京都恩賜上野動物園:東京都台東区(リーリー:オス、シンシン:メスの2頭、2011年4月1日より公開) 陵陵(リンリン)が2008年4月30日に死亡したため、東京都恩賜上野動物園からパンダが居なくなったのと同時に、日本が所有権を持つジャイアントパンダはいなくなった。

現在、日本国内で飼育されているジャイアントパンダはすべて中華人民共和国から借り入れている。なお、陵陵は血縁上、永明の伯父にあたる。

2011年2月21日に上野動物園へ力力(リーリー)と真真(シンシン)が到着した。公開は2011年3月22日から予定していたが、東日本大震災の影響で4月1日からとなった。


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