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★旅シリーズ★熱海 起雲閣 其の4

2012年04月30日 | ★旅行★国内
内田信也の別邸

昭和会の解散後、内田は昭和会に所属していた他の議員らとともに院内会派の第一議員倶楽部に所属したが、1939年に政友会が分裂すると旧昭和会所属議員のうち政友会出身者の大半は親軍的な政友会革新同盟(革新派、中島派とも呼ばれる。総裁・中島知久平)に合流したが、内田は同じく政友会から昭和会結成に参加した守屋栄夫とともに政友会革新同盟には合流せず、第一議員倶楽部に残留した。



宮城県知事の後、1944年2月19日に東條英機内閣の農商務大臣に就任。その後貴族院議員。東條内閣の閣僚ではあったが、戦中はむしろ近衛文麿グループの一員として吉田茂ら早期終戦派と会合を行った。早期終戦のため宇垣一成の首相担ぎ出しも試みるが宇垣は近衛に不信感を持っていたため失敗した。



戦後は公職追放にあい、追放解除後の1952年に再び衆議院議員。第5次吉田内閣で農林大臣をつとめ、明治海運取締役会長等を歴任し海運界に重きをなした。1971年1月7日90歳で死去。



熱海市指定有形文化財の起雲閣を別邸として建設。旧制水戸高等学校開校のために、100万円を寄付したことでも知られる。

著書に『風雪五十年』。




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