いまがいちばん、あしたもいちばん

まいにちたのしい日々でありますように。。。

こいつは生かしちゃあかんのや

2014年03月14日 | 自然観察
もう何年前か。
5、6年前の話。

ある土曜の朝
まだ低学年だったみなみと仁川のパンネルに朝ごパンを買いに行って
そのついでに弁天池のほとりでのんびりしていたときのこと。

池のそばの小さな穴から
カメの赤ちゃんが3,4匹ひょこひょこ出てきた!

わ!カメの赤ちゃんだ!
初めて見た!!


そう。海ガメの赤ちゃんが砂から出て来て
一生懸命に海をめざすテレビドキュメンタリーを見ているかように
弁天池の赤ちゃんカメたちは、次々と穴から出て来て
ひょこひょこと池を目指していたんだ。


すごい!がんばれ、がんばれ!!



みなみと一緒に応援していたら…。




杖をついたどこかのおじいさんが散歩にやってきて…




応援しているみなみと私のそばにきて…



「こいつは生かしちゃあかんのや」



そう言って、

持っていた杖を持ち上げて…



杖の先っぽで…





グシャッ


グシャッ


グシャッ。



カメをつぶしちゃった。。。。。。。。。。



こいつは、アカミミガメで
飼えなくなったヤツが無責任に池に放すから
日本に昔からいるカメがいなくなっちゃうんや。

ほら、あのへんにいるのは、全部アカミミガメや。


外来種は
ブラックバスやブルーギルだけじゃないということを
そのとき初めて知りましたが


何も、子どもの目の前で
つぶさなくったっていいじゃないか。



あまりのできごとに
そのあとどのようにして帰ったか
私もみなみも記憶がありません。


全部、人間のせいだ。



いまがいちばん、あしたもいちばん!

8 コメント

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生き残るのは (mowsan)
2014-03-15 11:51:35
なんとも残念な出来事でしたね。

それでもおじいさんのいうことも間違っていないです。ただその方法がとてもとても残念でしたね。

外来種は今に始まったことでもないし、日本が明治時代になってこのかた数えきれないほどの外来種が何らかの形で日本にやって来ています。あるものは人の手で、あるものは他の物にひっついたり、中に潜り込んでやって来ました。そしてたくさんの日本固有種が脅かされ消えていこうとしています。
長い長い目で見れば、それらの種は日本固有種にとって変わることでしょう。
それを嘆く気持ちもあります。残念だと思います。だからといって、それを完全に排除することは出来ないとも思っています。
なぜなら、そういう外来種が残って来たのは、彼らが固有種よりも強い生命力を持っているからです。それも固有種を駆逐するほどの力を持って生きているのです。

そして思うんですよね。生き残るのは常に強いものだというのダーウィンの考えは正しいのだろうと。それが大きな目で、地球規模で、見た時の種の生き残り方でもあるのだろうと思います。
人の手を介して入ってきた外来種かもしれませんが、外来種はそういう機会を何千年も待って新たな場所で繁栄をしようとしていた、とも言えるのではないでしょうか。
きっと彼らのほうが人間という種よりも何千万年、何億年も長く種として生き延びてきたのですから、種としての存続繁栄の方法もたくさん持ってるんでしょうね。
人とて単に種の1つでしかありません。例え人が何らかの規制をしたところで外来種は、善悪を越えて生き延びると思うのです。
人が悪いとか外来種が悪いとか、そういうのは地球の歴史から考えると些細な事なのかもしれないって思ったりします。

うたかたのかつむすびてかつきえ、久しくとどまりたるなし、とでもいうことなのかなあ。

なんだか訳がわからないコメントになってしまいました。
m(_ _)m
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いのち (ぴあの)
2014-03-15 22:19:42
うんうん。
みなみ君とママさんが
生れてきたばかりの赤ちゃん亀を応援している様子が目に浮かびました。

でも。。
その・・・おじいちゃん、言いたいことは分かるけど、あまりにも非情な行動。

大人ならまだ頭で理解できたかもしれない。
でも・・みなみ君にとってはとても理解なんてできなかったことでしょう。

人間が一番最後に地球上に生まれてきていて
そしていちばん偉そうに生きている。



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れきし (もっち)
2014-03-16 17:41:59
mowsanさん

mowsanさんのおっしゃること同感な点、なるほど!と思う点がたくさんです。

永い地球の生命の歴史からいくと、外来種も固有種もなにもなくて、いろいろな地域からいろいろな手段で種は変化したり発展したり衰退したりしていまがあるのですよね。
でも、現在はそこに人間の欲望が介在しているのが、やはり地球の歴史からいうと望ましくない、ということだと思うのです。
でも、人間も生態系の一部であり、そうするとその人間という生きもの経済活動とか欲望も自然なものであり、それによってある種が影響をうけるのもなんら特別なことではないのかな、と思ったり。
でも、世の中的には、外来種は悪者になってて「生物多様性」の問題からも好ましくないと言われていますよね。たぶん、好ましくないのですよね。
でも、もう仕方ない気もします。mowsanさんのおっしゃるように、生命力の強い種が善悪を超えて生き延びるのでしょうね。
どうあるべきかというのはきっとあるのでしょうが、専門家でもないので、よくわからないですし、その「べき姿」に自分が賛成できるかもわからないですし。
長くなりますが、同じ点で、里山の保全の問題もこのごろよく耳にしますが、これも何が正しいのか疑問を感じるこの頃です。
と、つれづれに、「でも」ばっかり使ってお返事書いてみました。この頃、「外来種は悪者」という環境に身を置いてモヤモヤ賭した疑問を抱くことが多かったので、mowsanさんのご意見になんだか妙にほっとしました。
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誤字訂正 (もっち)
2014-03-16 17:44:40
最後から2行目は
誤「モヤモヤ賭した」→正「モヤモヤとした」 です。
すみません~。
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それが意外と。。。 (もっち)
2014-03-16 17:56:19
そう。あまりにも残酷なシーン。
「志村動物園」(←あんまり好きじゃない番組)なら、モザイクがかかってそうなシーンでしたよ!

まだ幼かった(今でも幼いけど)みなみには、杖をついたよろよろのおじいさんのいきなりの行動は、かなりショックが大きかったみたいです。
でも、なんでおじいさんは杖でカメの赤ちゃんを潰したかを翻訳して話してやったら
みなみはちゃんと理解できたみたいですわ。
意外と子どもの心にはすんなり入って行けたみたいです。子どもの心の残虐性と理論がうまくフィットしたのか。。。それが今、みなみが生きものについて興味をもつきっかけの一つにもなってるんじゃないかなとも思ったり。
でも、「さすがに、あれはないよな~」と今でも話していますが。。。
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1つ上のコメントは (もっち)
2014-03-16 17:57:57
なんどもすみません。
先ほどのコメントは

「ぴあのさん」へあてたお返事です。

あわてんぼうさん、なの。ごめんね。
↑反省があまり見られません。
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う~ん、そうですねえ (mowsan)
2014-03-16 23:19:02
人間。身体の大きさと数で、他の種を圧倒しているので、人という種が環境を変てしまいました。
でもその環境を変えたことが成功だったのか失敗なのかは、今はまだ明確な答えは出せないのかもしれません。
それが今までにあった環境から大きくかけ離れてしまって、人という種そのものに危害を加えるものに変わっていくということもありえます。
今の世界情勢というのがその現れかもしれません。

人間の意志というのも所詮は地球に誕生した1つの種である「人」が「生き残る為」に選択した進化の結果だと思うのです。
そういう意味からも、人が環境を変えたというのは自分の種が生存に適した環境を創りだそうとしたからだとも言えます。
それは、例えばある種のシロアリが巨大な塚を創りだしてその中に生きるのと何ら変わりないのではないでしょうか?
例えば他の種類のアリは、巣の中にキノコを栽培する場所を設けたりして食料を得ているというのは聞かれたことありませんか?
それもまた、特定の種によって環境が変えられた1つですよね。

人という種を主体とし、その種が作り上げた個々の社会の中でのルールに沿って生きるのですから、他の種を淘汰したり、自分の好みに活かしたりするこ事が起こるわけですよね。
そのルールの中に入り込んできた外来種は、限られた範囲での人間の環境に影響を及ぼすから悪と言われると思います。
里山も同じだと思います。限られた範囲で暮らす人間にとってより好ましいと考えられているから、それを再生させようとしているわけです。

でも、どんな種であったとしても、例えばセアカゴケグモでもセイヨウタンポポでもいいんですが、それらの種が目指すのは種の繁栄だと思います。
それはどんな生き物にとっても同じだと思っています。
そこには外来も日本固有も違いはありません。強いものが環境により適したものが弱いものを淘汰する。これが生命のあり方。

外来種を悪とし排除する、あるいは自分の生活環境を整えたいから里山を整備するなんていうのはすべて「人間の作り出した社会のなかのルールに於いてのみ」是非を問われているのです。
でも地球レベルでは人というのはたった1つの種。たくさんのある種の中のたった1つでしか無いんです。
他の種を淘汰するのは、強い種として当然なのかもしれない。そう思うと人が外来種という言葉で呼ばれる生き物を淘汰しようとするのも当然なのかもしれません。

考えてみれば、この地球に存在するすべての生き物は、そのたった一つの目的のために生きているわけです。
そして、そのためにいろんな場所で生き延びる力を持ったものが目的を達成するわけです。
そのいろんな場所は、人という種が作り出した環境をも含みます。
他の種は人間の作り出した環境にでさえ、適合しようとし、あるいは適合できたものだけが生き延びるわけです。
どんなに人間が外来種を淘汰しようと、環境を整えようと、生き残るものは人の思いとは裏腹に、強いもの、適合したものでしかありえないからです。
それが多くの場合、我々一部の限られた日本という地域の中に住む人間が、外来種と呼ぶ、より強い生命力をもった種であることが多い。
というのが今の現状だと思います。

そこに善悪はありません。なぜなら善悪そのものが人間的な考え方だからです。
そもそも人間的という言葉自体がとても限られた範囲を指し示しているとも言えます。

まあつまり、いろんな考え方があって、それらのどれが正しいかは、どこに目を付けるかで大きく変わるということですねえ。
大きな目で物事を見ていたいですね。

長文のコメントごめんなさい^^;
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Unknown (もっち)
2014-03-18 08:50:07
mowsanさん

ふだんもやもや~と考えていることをmowsanさんが言葉にしてくださっている感じがしてます。
生物多様性にしても里山にしても、「持続可能性」というのはあくまでも人間的な考え方なのですよね。
そんなことをいつも考えて山を歩いたりしているわけではまったくないのですが、でも、たくさんの人がそういうことを少しでも考えてくれたらな~と思ったりします。
子どもたちや若い子育て世代のみなさまには、是非家族で自然に親しむ時間をもってほしいな、と考える次第です。そして、今自分が暮らしている普段の生活のなかにたくさんの生きものが一緒にくらしていることを感じてほしいなと思う次第です。
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