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THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

雪山の恐怖を伝えるにはこれだあ!

2022-03-01 17:18:13 | CHICAGO

今冬の爆弾低気圧による豪雪地獄。
あまり理解できない人は
「ふわふわした雪の山」くらいのイメージなんだろうなあ!
あの巨大なグランドピアノが屋根の上に冬の間ずっと乗っかっていたり、地上真っ逆さまに落下する…と想像してみてください!
なんまらコワイべさあ…😱

ああ、実家のブリキトタン製の車庫が急に心配になってきたあ…😩


VOL,185 小樽雪あかりの路オールディズライブ14(パンドラーズ編)

2022-03-01 16:48:45 | Live Set List

こちらのライブレポートも長年書き続けていて最近、やっとこさ、あちこちから好意的な意見を頂戴するようになりました。

これが縁でビックリするような展開に発展したこともあったりしてね。

この日も対バンや観客たちから、励ましのお言葉なんかもたくさんあり、単純明快なる私は嬉しくなりおだってしまいましたよ。

 

2,13:30~13:50

「パンドラーズ」

ハイ、さっそくライブレポートの続きです。

地元の小樽で活動中の若者たち。

彼らから、熱きメッセージが届いています。

「結成して間もないですが、ただひたすらにロケンローでやっていきたいと思います!」

そうなのですよ。

大体、このイベントに初出演でも、どこかで会っていたりするものですが、彼らは正真正銘の初陣。

だからこそ、その振る舞いが初々しいくらいだ。

ステージ上ではちょっと強面なイデタチですが、オフステージでは気のよい気さくな連中。

気軽に近況や楽器などの会話なんかも交わしちゃいましたよ。

そうそう、小樽の大御所「ホットワックス」リーダー(G&VO)のモーリー君も観客として訪れていましたが、このバンドを見たとたんに血が騒いでしまい居ても立ってもいられなくなったそうだ。

そうだろうねえ。

その気持ちは痛いほどに理解できるよ。

それぐらいに迫力の3コードビート大会が炸裂しまくったのだ。

 

写真からもお判りの通り、男性ばかりの4人編成。

応援団も大挙して駆けつけてきていましたよ。

これは心強きこと。

持つべきものは仲間たちだね。

美しき友情が手の取るように伝わってきたよ。とにもかくにも頑張れ!

ジョニーはVO&SIDE・G(サンバーストカラーボディのストラトを使用)、ジョージはLEAD・G&CHO(真っ赤な色が鮮やかな愛器リッケンバッカー330。大切そうに手入れしている姿が印象に残ったよ。嬉しそうに機種について説明してくれたしね)、BASS(艶消し黒ボディのミュージックマンを使用。フィンガーピッキング)&CHO、そしてDR(ジャージ)という基本的な編成。

ギターの2人は革ジャンでバッチリと決め込んでいた。

全員が黒ずくめのファッションで身を固め、サングラスないしは眼鏡を装着。

ボーカル以外はコロナ感染予防対策の一環として、黒のマスクを着けています。

リードヴォーカルは持参してきたシュアーのベストセラー「骸骨マイク(エルビス・プレスリーでも有名な伝説の機種)」に向かって雄たけびをあげる。

「オールライト,アーユーレディ、YEAH!ウィーアー・パンドラ―ズ!!オーケー、ここは小樽だぜい、レッツゴー!」

軽快なリズムにのって、いきなり序盤から爆発サウンドだ。

オープニングのアナウンスもジョニー・パンドラを参考にしている。

なるほど、芸が細かい。

凝りに凝っている。

何度もリハーサルを重ねた血と汗の涙の結晶。その成果が花開いた瞬間がこれだ。

「タイム・トウ・ビー・ア・スター(ジョニー・パンドラ)」

まさにライブバンドの面目躍如。

下手な屁理屈なんか一瞬でぶっ飛ばせ。

躍動感あふれる強烈無比なる爆音炸裂の連続。

文句なしにウキウキ気分さ。

オリジナルのジョニー・パンドラは海外のバンドかと思いきや日本のバンドでした。

それもそのはずで海外進出をも視野に入れての結成。

実際に数多くの海外ツアーも実現させている。

確実に知名度を高め、実績を積み重ねている実力派。

ロックンロールにとどまらず、ロカビリー、パンク、ブルースなどのルーツミュージックなどをも取り込み、そこに日本独自のテイストを加味しつつ新たなスタイルを確立。

他に類をみないほどのカリスマ性を伴い評価は高まる一方だ。

今後もどん欲なまでの快進撃はとどまることを知らない。

 

間髪入れずに、2曲目は「ラバンバ」(アルバム、リッチー・ヴァレンスに収録)

これは元々メキシコの民謡。

それをロック調にアレンジしたもの。

ロックの原点の一つとも言われている。

1958年11月12日リリース。

ビルボードホット100では22位が最高ランク。

でもこれはリッチーの死後の話なんだよね・・・・。

それ以降、リッチーは神格化された。

往年の悲劇のスター、リッチー・バレンス永遠の代表作。

彼は若くして飛行事故で亡くなったんだよね。

映画化にもなって大ヒットしたなあ・・・・。ロス・ロボスがカバーしてリバイバルヒットした。

これはビルボードの1位をはじめ世界中でチャートの1位を獲得したただ一つの「ラバンバ」

懐かしいなあ・・・。

パンドラーズのメンバー達は皆、若いのにこんな大昔の曲に取りつかれているなんてひじょうに素敵な事。

ジョニーはドラム台に上って腰振りダンスまで不敵な笑みを浮かべつつ披露。

 

その勢いそのままにメドレーで、これまた超がつくほどのスタンダード「ツイスト&シャウト」に雪崩込み。

ビートルズが取り上げたことで有名になった曲だけど、いかにもライブの熱狂を想定して制作されたような曲構成だけに熱狂の度合いもピカイチ。

初のリリースはトップ・ノーツで1961年2月23日。

ただし最初のチャートインは、かのアイズレー・ブラザースでビルボード17位を記録。

でも最大の功労者はやっぱり先のビートルズ(デビューアルバムのプリーズ・プリーズ・ミーに収録)。

ビートルズのカヴァー曲で唯一のミリオンセラー。

ビルボード4週連続2位を獲得。

リードヴォーカル担当のジョン・レノンはレコーディング時、酷い風邪をひいていたというのは有名な話。

牛乳を飲み、咳止めシロップを服用して2テイクを歌ったら声が出なくなったそうだ。

それはあの絶叫でリアルに伝わってくるね。

それを意識したのかジョニーも血管がぶち切れる寸前までの咆哮。

 

ジョニー「今日はコロナ禍の中、こんなにもたくさんのお客さんに集まってもらい感謝しています・・・・チューニングタイムです・・・」

ジョージ「あ、何かこの間はしゃべらないとね・・・・でも何もありません(((´∀`*))

ありがとうございます!!」

ステージ前面の床に置かれたステンレス製のケースには「パンドラ―ズ」の派手なロゴステッカーが貼られていて、さりげなくアピール。

「横浜クルージン」(ジョニー・パンドラ)

これまた生きのよいノリノリなナンバーの登場。

ちょっとストレイ・キャッツを彷彿とさせるダンサンブルにはじけまくるチューン。

チャレンジ精神旺盛なジョニー・パンドラに心底ぞっこんなパンドラ―ズ。

そのバンド名にもそれは如実に表れているね。

アクションも交えてすでに汗まみれさ。

ちなみにジョニー・パンドラは、あの横浜銀蝿とも交流があるそうだ。

ここ小樽で五十嵐君が経営しているライブハウス「クルーズ」にもジョニー・パンドラは訪れているんだよ。

もちろんパンドラ―ズも見に行ったんだろうなあ。

ジョニーは脳天から湯気が漂うほどに汗ぐっしょり。

潔く革ジャンを脱ぎ捨てた。

左腕に燦然と輝く見事なタトウのデザインが神々しくて鮮やか。

黒のタンクトップが全く贅肉のない引き締まった体にジャスト・フィットしている。

 

ドラムが地響きのようなボトムラインを刻む中をメンバー紹介。

ジョニー、ジョージ、ベースはワクティ、そしてドラムスはいつもジャージ姿なのでストレートに「ジャージ」と呼ばれているそうですよ。

 

「マイ・スィート・ホンダ」(ジョニー・パンドラ)

この曲も基本的な構成は王道の路線。

ストレートすぎるくらいのロックンロールの原点回帰。

でもいつ聞いても古臭さを微塵も感じさせない。

不思議な魅力だよね。

世代も国籍も性別も軽く超越しちゃう魔力が秘められているのか。

リード・ギターのジョージくんがライブ後、色々と親切に解説してくれました。

その端々にジョニー・パンドラ愛が充満していて微笑ましかったよ。

その気持ちをずっと忘れないように膨らませて「第2のジョニー・パンドラ」、「小樽の・・・いや北海道のジョニー・パンドラ」を目指してくれよ。

そうなった暁には私も鼻高々だよん。

編成は本家と同じですが、ジョニー・パンドラのジョニーはベーシスト&リード・ボーカルなんだよねえ。

めちゃくちゃにかっこいいなあ。

ルックスや振る舞いも含めてキャロル時代の永ちゃんからの影響が濃厚みたい。

こうやって色あせることもなく、代々受け継がれていくんだね。

 

「最後の曲です・・・・ロック・ミー・ベイビー」

一生懸命さがこちらサイドにまで、ビンビンと伝わってくるほどに渾身の大熱演。

それは最初からラストまでだれることもなく、エネルギー全開の疲れ知らず。

羨ましいほどの逞しさだ。

どの曲も基本的には3コード命を貫いているのでシンプル・イズ・ベストの3分台。

だから一気に次々と何曲もが畳みかけるように疾走していく。

その単純明快すぎるほどの暴れ具合が素晴らしい。

若さの特権だ。

でもジックリ聞き込むとあちこちに隠し玉が潜んでいるからその発見も楽しみの一つ。

 

と言っている間にノリノリのパーティーショーは終了。

本当にお疲れさまでした。

プレシャーの大きいセカンド・アクトという重責を軽く果たしてくれました。

 

イベント主催者のサイトウ氏からのアナウンス

「もう一度パンドラ―ズの皆さんに盛大なる拍手をよろしくお願いします!!」

 

会場内に響き渡るBGMは

ミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」

ハミルトン・ジョン・フランク&レイノルズ「恋の駆け引き」

あろうことかその次に流れてきたのはヴァイオレンスチックなビースティ・ボーイズで「ファイト・フォー・ユア・ライト」

これは誰のセレクションだ!!?

 

****ライブ・レポートはこの後にも続くよ。

覚悟のほどを!!

3番目は我らが歌姫ミキミキちゃんと伊達男のセッキーが大人のJ-POPをしっとり甘く聞かせてくれます****