
2012年も偉大なるミュージシャンやシンガーが惜しまれつつ、この世を去りましたが桑名正博氏の死もとても残念でした。
1970年代、日本にまだ本格的なロックフィールドが根付く以前、東のキャロル、そして桑名氏が在籍していた西のファニー・カンパニーなどと話題を振りまきデビュー。
「スィート・ホーム大阪」なんていうどこかで聞いたことのあるタイトルの曲が鮮烈に脳裏に焼きついています。
恵まれたルックス(俳優業もこなしていました)、ずば抜けた歌唱力プラス男が聴いても妙に甘い色気を感じる歌声。
数年前にチャーと共演した番組内で「キーを下げているんだ」と言っていましたけど、そんなこと微塵も感じさせないほどの存在感は益々円熟味の境地に達した感があり今後の活躍が楽しみな矢先の訃報でした。
私が東京で音楽楽器業界の裏方をやっていた1981年、桑名氏が心機一転改名し社長のところにその挨拶として「桑名将大」と書かれた名刺が届けられていました。
すぐに「正博」に戻りましたがあまりこのことは世間一般には知られていませんね。
その10年後、私が勤務していた某楽器店が経営していた音楽喫茶店内にて桑名氏のショーケースギグが行われました。
ところがリハーサル中、あまりにも無神経なウェートレスの食器の雑音が鳴り響き続けたために桑名氏、遂に「俺はあんたらにとっちゃあ単なるくだらない男なのかもしれないが、こと音楽にかけちゃあ誰にも負けないくらい命をかけているんだ!」迫力の一言。
私はミュージシャンとしての熱い男気に圧倒されました。
2,3年前に札幌の音楽事務所の知人がよく旧知の仲でもある桑名氏を自身主催イベントにゲスト招待していました。
あれは、日本中を精力的にくまなくツアーで回っている最中の突然の出来事でしたね。
それにしてもあまりにも若すぎます。
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