
「シェリーに口づけ」を初めて聞いた時には、理屈抜きに「軽快でキャッチーなかっこいい曲」とスムーズに思いましたね。
彼は本国フランスにおいては国民的歌手として絶大なる人気を現在も誇っていますが、ここ日本でも当時「フレンチ・ポップス」の伝道師扱いで大ブレークしました。
来日公演も数多く、日本のみで発売された「ライブ・イン・トーキョー」なんていうのもありましたね。
当時のキャッチ・コピーは「ロックとロマンの出逢い」(上手い表現ですなあ)
デビュー曲の「ノンノン人形」にはじまり、「渚の思い出」「哀しみの終わる時」「愛の休日」「愛のコレクション」「火の玉ロック」「忘れじのグローリア」などヒット曲も膨大。
そのフランス独特の甘美で流麗な美しきメロディ&歌声と共に、ブロンドのカーリーヘアと大きなサングラス(白内障を隠すためとか)がトレードマークの一度見たならば忘れられない強烈で個性的なルックス。
奇行も度々、気難しい性格、潔癖症も有名で
「日本は空気は汚いから酸素ボンベを用意しろ!」とプロモーターを走り回らせたり(べスト盤に酸素ボンベを横に浴衣姿でくつろぐ彼がジャケに使用されているものがあります)、ピアノの上に飛び乗ったため会場サイドから「もう彼には当ホールのピアノ貸し出し禁止!」令が出たり、来日本番直前に「ピアノの足を切れ!」とわがまま言ったり(これは当然却下)、最も有名どころではお尻丸出しポスターでコンサート告知を行い逮捕&罰金刑、しかし次には全裸の上、股間部分に帽子を置いたポスター撮影を行っています(この時にはお咎めなし)などはほんの一部ネタ。
こうように話題にも事欠きませんでしたが、その後もサントラ盤の製作、テレビ出演にセッションとアクティブに活動。
フランス国内における彼の人気は不動のものに。
ポルナレフのコンサートやレコーディングに参加したミュージシャンは大物がズラリです。(中にはえええ!?と遂思っちゃう人も)
デビュー時にはツェッペリンのジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズ。
他にもプロコル・ハルムのキース・レイド。
自他共に認める世界最高峰のベーシスト、ジャコ・パストリアス、シカゴ以前のまだ無名に近い頃のデヴィッド・フォスター、一流セッションマンのマイク・ベアード、プログレメタルギタリストのトニー・マカパイン、「チューブラー・ベルズ」のマイク・オールドフィールド・・・。
その後、彼の長年の夢でもあったアメリカに進出するべくロスアンジェルスに活動の拠点を移します(脱税による逮捕を逃れて・・などのトラブルもあり。これマネージャーの使い込みが原因でポルナレフはその後無罪放免)
そして念願のアメリカ・レコーディング作品第1弾を1975年に発売。それが「FAME A LA MODE(邦題:ポルナレフU.S.A)」です。
全9曲入りでそれまでのフランス語から英語に挑戦。
バック・ミュージシャンも超豪華。
リー・リトナー、アンドリュー・ゴールド、スティーブ・クロッパー、フレッド・タケット、TOTO系列ではリー・スクラー&デヴィッド・ハンゲイト、ドゥービー・ブラザースからウィリー・ウィークス、エルトン・ジョン・バンドからはナイジェル・オルソンが、他にもジム・ゴードン、ジム・ケルトナー、ジェニファー・ウォーンズ(」愛と青春の旅立ち」のシンガー)、シカゴの「愛ある別れ」のオーケストレーションでグラミー・ベスト・アレンジ賞を受賞したジミー・ハスケル、ピーター・セテラのアルバムでも力を発揮していたマイケル・オマーティアンなどなど・・・・。
この大御所たちの中でシカゴ加入前の若きドニー・ディカスがアコースティック・ギタリストとしてクレジットされています。
しかしポルナレフの全米進出は残念ながら失敗に終わります・・・。
日本における彼の人気も次第に失墜。
終いには本国では発売されている彼のアルバムも、日本では長年未発売の憂き目をみることとなります。日本国内契約レコードも切れてポルナレフの記憶は薄れてゆき過去の人扱いに。
もっともフランスでの人気は衰える事も無く、またミュージシャンの間ではポルナレフをリスペクトする人も数多く、カバーやトリビュート作品も続々と発表されています。
70年初期に青春時代を送った若者達の間ではポルナレフを今でも愛してやまない支持者が後を絶ちません。そんな中、日本ではドラマ、映画、CMなどにポルナレフの名曲群がひんぱんに使用される現象が起こり、今の若者達からも新たな評価を得る事となり、近年はベスト盤、オリジナル・アルバムのCD化が話題を集めています。
当の本人は一時、活動を休止していましたが、現在はマイペースで優れた作品を提供し続けています。
彼のコンサート、観たいなあ・・・・。(札幌にも彼は2度ほど来た事があります。北海道のポルナレフ人気は全国屈指だったのですよ!ラジオのリクエスト番組には必ず上位にランクインしていました。ほどよいポップスも涙が出るほどの華麗なバラード・ナンバーも天才的才能に溢れた彼ならではのもの。)


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