9日「モダンタイム」でのSTAライブ・イベントでシン率いるB・N・Pがマサのお気に入り、スティーリー・ダン最大のヒット曲「リキの電話番号」を再演してくれました。嬉しいなあ!それを記念して(!?)曲紹介を。
1974年4月に発売されたスティーリー・ダン3作目のアルバム「プリッツエル・ロジック(さわやか革命)」のオープニング・ナンバーです。(4:30)ビルボード・ホット100において1974年8月3日付第4位。
BNPの音楽百科辞典「てっちゃん」の選曲。素晴らしいセンスしてるね、これを取り上げるとは。(単発再結成の四人囃子もこの曲をライブ演奏したことがあるそうです)
まずは音楽業界にも非常に受けの良いスティーリー・ダンお得意のひねくれたどこかマカ不思議な音世界に酔ってみましょう。
いきなりイントロ数十秒にわたって聴かれる民族楽器カリンバ(?)のようなサウンド。そのまま淡々としていてどこかクールなリズムがゆったりとリラックスムードで進行。
ダンディズム溢れる独特の歌声でドナルド・フェィゲンがやや抑え気味ながらもぐいぐいと聴き手を独自の世界に引きずりこんでいきます(ドナルドは当初ボーカルには消極的だったのですが周囲が励まして、適任だ!と後押ししてVO担当となったとか)。おしゃれなシティジャズ感覚あふれる彼らの代表曲ですね。中間部に登場するジェフ・スカンク・バクスターの愛器テレキャスターによる枯れた味わい深いギター・ソロが理屈抜きにかっこいい。ドラムスはジム・ゴードン。
写真の白黒ジャケットのプリッツエルを焼いているおじさん・・・・アルバム・ジャケットに使用したい趣旨を本人に伝えると拒否されたそうです。でもよくよく調べてみるとこのおじちゃん、無許可で出店していたらしく(だから写真を嫌がったのかな・・・?)「それならば俺らスティーリー・ダンも無許可でフォト使用するべ」となった次第(笑)。
スティーリー・ダンはマサが大ファンです。高校生の時に深夜の音楽番組で彼らのスタジオライブ2曲を見てぶっ飛んだそうです。
ちょうどデビュー・アルバム発売時だったらしく今となっては貴重な若き日の生演奏を披露。
初期のシングル「ドウ・イット・アゲイン」「輝く季節」
一般的にはラテンカラー満載で鍵盤音が独創的な「ドウ・イット・アゲイン」のほうが圧倒的に知名度大なのですが、マサは「輝く季節」に琴線レッドゾーン振れまくりだったとか。
巨漢ギタリスト、デニ―・ダイアスがファズのかかったトリッキーなイントロを延々と滑らかにはじきだしたとたんにメンバー全員がアップテンポのリズムを一体となって演奏。そしてドナルドのまくしたてるような早口言葉風(?!)ボーカル。
衝撃的だったのはデニ―とジェフによるギター・バトル。お互いに向かい合って火花の散るようなフィンガリングの応酬。ジェフはヒートアップしてぴょんぴょんと飛び跳ねてのりのり。バックのメンバー達もそれに呼応するかのようにドンドンとパワーが増してきて物凄い状態になっていきます。今でもあのシーンは鮮明に目に焼き付いています。眠気も一気に吹っ飛んだくらいの極めつけの決定打。
すぐに雑誌でこのシングル曲を調べてレコード店に注文をしたのですがすでに廃版、結局EP現物はいまだに見たことがありません。その後、ジャパニーズ・ロックンローラー内田裕也氏主宰による第1回ワールド・ロックフェスティバルが札幌で開催された際、市内レコード店にて友人がジェフ・ベック「ブロー・バイ・ブロー」を購入、BB&Aのペンダントをもらいにやけている姿を横目にマサはレッド・ツエッぺリンの「ライブ・イン・ジャパン(ブート・・・ジャケも音も演奏も???)」、そしてオイル・ショックにより値上がりシールが帯に貼られたばかりのスティーリー・ダンのデビュー・アルバム「キャント・バイ・ア・スリル」をめでたく購入して「輝く季節」とご対面となったわけです(しかしこのジャケットもかわったデザインだね)。
それからはずっと今現在もスティーリー・ダンはフェヴァリット・バンドとして愛聴しております。ただひとつ未だ悔やまれるのはちょうど再結成ステーリー・ダン2度目の来日公演が日本武道館で行われる前日に、マサは東京にいたので見に行くつもりだったのですが急遽札幌に戻らなければならなくなったこと。あの失望感といったら言葉では表現できないですね・・・ああ・・・。
そうそう、前述の澄川モダンタイムはSTAが初めて自主企画ライブを開催した場所ですがその記念すべき第1回の時に出演したミツのジャズ・トリオのメンバーからSTAのブラス・サウンドを聞いて「今度、スティーリー・ダンの幻想の摩天楼からも1曲、やってほしいなあ・・」と言われたことがありましたっけ。
うるさ型の音楽通にも絶賛されるスティーリー・ダンはこの「さわやか革命」発表後、ツアーに出るのですが観客が求める難解な音楽性に失望感をおぼえたドナルドとウォルターによってライブ活動を封印してしまいます。ライブ熱望派のジェフの願いは届かず、彼はドゥービー・ブラザースに加入(スタンピードから)。
スティーリー・ダンのバンド名はそのままに、相次いでメンバー達は脱退、ウォルター&ドナルド2人によるプロジェクトと化していきます。
スタジオを長期にわたっておさえ、完璧主義ゆえ、曲ごとに贅沢にも1流スタジオ・ミュージシャンをとっかえひっかえ呼びながらのじっくりレコーディング。
ゆえに発表作にはハズレはなし、名作ばかりです。今聞いてもまったくの古さを感じることもありません。
TOTO結成前の若きメンバー達、無名だったマイケル・マクドナルドらがずらっと名を連ねています。
ちなみに最初に話を戻すとこの「リキの電話番号」の邦題は誤約、正しくは「リッキー、この電話番号を忘れるなよ」です。
戻ってきて・・と言いたいのにプライド先行でそのことを言い出せず煮え切らない男心の歌。