ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2011年8月8日、三角線に乗る

2020年04月22日 00時16分15秒 | 旅行記

 最初にお断りです。今回は、私の「川崎高津公法研究室」に掲載していた「待合室」の第450回「三角線に乗ってみた」(2011年11月6日〜13日掲載)の再掲載です。写真撮影日は2011年8月6日です。若干、文章を修正しておりますが、基本的な内容は変更しておりません。したがいまして、後の事情変更なども一切反映しておりません。御注意ください。 

 

 ようやくと言うべきか、早いものでというべきか、このコーナーは第450回を迎えることができました。始めたのは2002年4月27日ですから、私が大分大学教育福祉科学部の助教授になったばかりの頃ということになります。自分でも「よくもまあ続けてきたものだ」と思いますが、どんなに「つまらない」と言われようとも続けて参ります。

 さて、2011年、私は、8月9日~12日に福岡大学法学部の「財政法」、8月30日~9月8日(途中2日間の休みあり)に西南学院大学法学部の「税法」を担当させていただきました。その間に、可能な限り、九州の各所を周りたいと考えており、これまで、このコーナーでも折に触れて取り上げています。今年は、大分大学を離れる寸前とも言える2004年2月以来訪れていなかった熊本市へ行きました。8月8日、非常に暑かったことを覚えています。熊本市は九州の中でもとくに暑い所です。

 2008年9月1日に熊本駅を通ってはいますが、降りてはいません。市街を歩いていないのです。そのため、新市街などを歩いたのは2004年2月以来、約7年半ぶりでした。熊本駅の改札口を利用したのは2003年8月以来、ちょうど8年ぶりです。熊本駅、および熊本市の中心部も撮影してはおりますが、それは別の機会に取り上げましょう。

 西鉄天神大牟田線、鹿児島本線を乗り継ぎ、熊本駅に到着しました。ここまで来た目的の一つは、三角線に乗ることです。天草半島の入口、三角港の近くまで走るこのローカル線がどのようなものであるのか、少しばかり知りたかったのです。

 三角線は1時間に1本くらいしか走らない非電化路線で、正式には鹿児島本線の宇土駅から分岐して三角駅までとなっていますが、全ての列車が熊本駅から三角駅まで運行されています。10時25分に到着したのですが、11時34分まで待たなければなりません。これが政令指定都市になろうとしている都市の公共交通機関の事情であるかと疑いたくもなりますが、自動車社会となっている所です。熊本市電以外の鉄道路線は不便です。

 しばらく熊本駅周辺で時間をつぶし、駅の中のコンビニエンスストアで弁当を買いました。11時を過ぎてから改札口を通り、三角線のホームへ向かいます。鉄道ファンなどの間で言われる切り欠きホームが三角線の発着場所で、11時34分発は上の写真のキハ31 19の1両だけです。 

 国鉄最末期に九州向けとして登場したキハ31形は、バス用の部品を多用し、ワンマン運転に対応しています。扉は折り戸で、その扉から車内に入るとすぐに整理券発行機があります。運転席の後ろには運賃表示も出ます。つまり、ワンマンバスと同じようなものになっている訳です。もっとも、私のように川崎市内や東京都23区域内のバスしか知らなかったような人間には、このような仕組みは慣れにくいものです。

 1997年、私は初めて九州に足を踏み入れました。大分大学に就職するまで、西は西明石までしか行ったことがなかったのでした。大分市に住むために部屋探しをしたのですが、その際に九州の鉄道で初めて利用したのが、大分からの豊肥本線のキハ31でした。それまで首都圏と京阪神の鉄道しか利用したことのない私(しかも、この記事が最初に掲載された2011年11月6日の時点においては中京圏の鉄道を利用したことがなく、大手私鉄では名鉄だけ利用したことがなかったのです)は、バスを利用しているのか鉄道を利用しているのかわからなくなりました。整理券方式はわずらわしさしか感じません。大分市に住んでいた7年間でも、バスに乗って何度か整理券をとり忘れたくらいです。鉄道でこんな面倒なシステムを採用していたら、乗客も減るだろうというものです。

 それはともあれ、キハ31形は、大分大学時代によく乗りました。豊肥本線と久大本線で運用されていたからです。現在、大分地区では運用されていないようで、筑豊本線の桂川~原田、後藤寺線、三角線で運用されています(この他についてはわかりません)。

 

 11時34分に熊本駅を発車し、しばらく鹿児島本線を走ったキハ31 19は、宇土駅から鹿児島本線を離れ、単線非電化の三角線を走ります。1両しかないとはいえ、意外に乗客は多く、混んでいました。宇土駅からは眠気半分でしたが、赤瀬駅付近などで東シナ海が見えました。しかし、海のそばを走る割には山の中を走るような路線です。石打ダム駅付近はとくにそうです。

 波多浦駅を発車して、しばらく経つと道路沿いに商店街、さらに海が見えてきます。そして終点の三角駅に到着しました。ここは宇城市、そして三角港のそばです。私を含め、多くの客が降ります。

 三角駅を降りるとすぐ目に入ってくるのが、この建物です。何に使われているのかわからないのですが「海のピラミッド」と名づけられています。

 かつて、三角港は天草諸島の玄関口として栄えました。しかし、三角駅前を通る道路を進めば天草諸島へ行けるようになりました。天草五橋が開通したためです。これにより、船便も鉄道も衰退しました。陸上に限定すれば、機動性の点で自動車に勝る交通手段はありません。とくに機動性に優れるのは小型乗用車です。自家用車が自由に通行できる道路が完成すれば、鉄道も船も必要がなくなります。通常の生活範囲であれば飛行機も不要です。こうして、三角港も三角線も衰退していきました。

 

 〈追記〉文中に登場するキハ31形は、2019年3月のダイヤ改正で営業運転を終えています。三角線は、キハ31形が最後まで活躍した線区の一つです。 


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