ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

松浦鉄道西九州線(伊万里→佐世保)乗車記(その2)

2013年06月14日 00時02分55秒 | 写真

 (以下は、「待合室」第527回として、2013年6月2日から6月10日まで掲載したものです。)

松浦鉄道西九州線の旅を続けています。松浦駅に到着し、ここで6分間停車します。かなりの客が降りました。

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 前回も記しましたが、松浦鉄道西九州線は長距離にして長時間の運転をする路線です。しかし、1両しかないMR-500形を除き、トイレ付きの車両はありません。そのため、比較的長い停車時間を利用し、駅のトイレを使うしかありません。私もそうしました。松浦は列車交換の可能な駅ですが、ここでの列車交換はなされていません。時間帯によってはあるのでしょうか。

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 駅名標に各駅独自のデザインの絵やマークを入れている会社があります。その代表がJR九州です。また、福岡市営地下鉄も同様です(逆に、西鉄は太宰府駅を除いてこのようなことを行っていません)。松浦鉄道も、元国鉄の路線を運営しているからか、ほんの短い間だけJR九州の路線であったからか、JR九州と同様のことを行っています。松浦駅は、平安時代から中世まで割拠した武士団である松浦党(「まつらとう」と読みます)をモチーフにしています。松浦党は、嵯峨源氏の子孫と称する一族が、摂津、つまり現在の大阪府北部から今福(松浦市の東部にある地域)に移り、土着したことによるものでした。江戸時代、松浦市などの領域は平戸藩松浦氏の領地でした。

 松浦市には炭鉱が多く、松浦線も、とくに西のほうでは石炭運送に活用されましたが、1967年には全炭鉱が閉山となっています。また、国鉄時代には急行列車「平戸」も走っていましたが、松浦鉄道への移管を前にしてJR九州時代に廃止されています。

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 吉井、佐世保方面の線路を見ています。玄界灘が近いのですが、海は見えません。そればかりか、山が迫っています。この先、松浦発電所前、御厨、西木場、東田平と西のほうへ進んでいきますが、複雑な海岸線と山地の間を縫うように走るため、カーブも多く、海も東田平など、所々でしか見えません。

 それにしても、有人駅の割には閑散としています。松浦市の代表駅と言えばここなのでしょうし、駅から南に少し離れた所には市役所などもあるのですが、とてもそのような場所とは思えない雰囲気を漂わせています。

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 よく見ると、松浦駅には3番のりばまであります。写真の右側の島式ホームに1番のりば(右)と2番のりばがあり、左に3番のりばがあります。列車を増発する際に3番のりばを作ったそうですが、線路が錆びているようにも見えます。時々は使用しているのでしょうか。西九州線は非電化線なのでまだよいのかもしれませんが、電化線の場合は線路が錆びると走行に支障をきたすようになるため、一日に一回は電車を走らせなければなりません(錆取り電車とも言われています)。

 時刻表では10時52分発となっていましたが、10時53分に、私が乗っていたディーゼルカーは松浦駅を発車しました。有人駅の松浦では6分も停車しながら列車交換が行われなかったのに、無人駅の御厨では列車交換が行われました。この御厨駅が長崎県最北の駅となります。ちなみに、長崎県で最も南にある駅は長崎電気軌道の石橋駅(停留所)、最も西にある駅は松浦鉄道のたびら平戸口駅、最も東にある駅は島原鉄道の南島原駅です。

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 松浦鉄道西九州線で数少ない有人駅の一つ、たびら平戸口駅に到着しました。ここは、ただのローカル駅ではありません。国鉄時代およびJR九州時代は平戸口と称し、1989年に現在の名称に改めたこの駅は、(第二次世界大戦で沖縄県の鉄道が徹底的に破壊された上に廃止となってから)2003年に沖縄都市モノレールが開業するまで、日本最西端の鉄道駅でした。東経139度35分、北緯33度21分。車内放送では「日本最西端の駅」と案内されます。たしかに、二本の線路の上を走る鉄道の駅としては最西端であり続けています。ちなみに、この先、次の西田平駅に向かう途中に西九州線の最西端地点があり、そこから同線は南東に進路を変えます。従って、西田平駅はたびら平戸口駅より東に位置することとなります。

 平成の市町村合併の波を受けて現在の平戸市が成立するまで、この駅の所在地は田平町でした。旧平戸市は平戸島にあり、最寄り駅という位置づけであったため、平戸口と称されたのです。松浦線が松浦鉄道に移管されてから、田平町の中心部にあったということで現在の名称となっています。

 ついでのことなので、ここで日本の鉄道駅の最東端、最西端、最北端および最南端を記しておきます(たびら平戸口駅、佐世保駅および南島原駅を除き、これらのどの駅も、残念ながらまた通ったことすらありません)。

 最東端:東根室駅(JR北海道の根室本線)

 最西端:那覇空港駅(沖縄都市モノレール)/いわゆる普通鉄道ではたびら平戸口駅(松浦鉄道西九州線)/JRグループの駅では佐世保駅(JR九州の佐世保線)

 最北端:稚内駅(JR北海道の宗谷本線)

 最南端:赤嶺駅(沖縄都市モノレール)/いわゆる普通鉄道では西大山駅(JR九州の指宿枕崎線)

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 たびら平戸口駅で乗客が少なくなり、私を含めて4人となりました。西田平駅は、水田に囲まれたような開けた場所にありますが、山は近く、ここを発車するとまた山の中を走っていきます。すえたちばな駅から佐世保市に入ります。「すえたちばな」と平仮名で書くのが正しいのですが、何故か「末橘」も併記されています。高台にあり、海が見えます。交換駅の江迎鹿町(えむかえしかまち)を過ぎると海から離れ、潜竜ヶ滝駅を出てしばらくすると南に方向を変え、また西のほうへ走り、かつて国鉄世知原線の分岐駅であった吉井に着きます。交換駅ですが、337Dは列車交換を行いません。ここから乗客が増えてきました。運行の拠点である佐々(さざ)駅まで、南西に進みます。

 佐々駅で運転士が交替しました。車庫もあり、何両かのディーゼルカーが見えました。吉井、佐々、真申(まさる)、相浦、上相浦、中里、左石、北佐世保が交換駅なのですが、実際に337Dが列車交換をしたのは真申、中里、北佐世保のみでした。

 相浦駅の次に、大学という漠然とした名前の駅があります。「一体何所の大学があるのか」と思っていたのですが、長崎県立大学佐世保校があるとのことです。左石駅の辺りから、郊外の住宅地らしい車窓が広がります。

 北佐世保駅で、遠くに市街地が見えてきました。山の中なのか、よくわからないような、変化のある地形です。次の中佐世保駅が、市街地に最も近い駅です。ここも鉄道ファンなどの間では有名で、佐世保中央駅との間が200メートルほどしかありません。これは日本一の駅間最短距離です(特殊な鉄道を除きます)。しかも、佐世保中央駅で降りる客が多いのです。これは、四ヶ町アーケードやイオン佐世保店に最も近いためです。

 佐世保中央駅を出るとすぐにトンネルに入ります。非常に複雑な地形であることが、車窓からでもすぐにわかります。

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 10時8分に伊万里駅を発車した337Dは、2時間31分をかけ、定刻の12時39分、佐世保駅に到着しました。私自身にとっては3年ぶり、2度目の同駅利用となります。既に記したように、JRグループの駅としては最も西にあります。

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 佐々行きのMR-602を撮影しました。松浦鉄道西九州線の時刻表を見ればすぐにわかるとおり、佐々~佐世保の本数は比較的多く設定されています。実際に乗ってみると、この区間の乗客は少なくありません。従って、佐世保市の交通としての役割は小さくありません。この区間のみをとるならば、今後も存続する可能性は高いものと思われます。

 しかし、御多聞に洩れず、松浦鉄道の経営状況は苦しいものです。2000年度まで黒字経営を維持していたものの、沿線における過疎化の進行により、乗客数は1996年度以降、減少の一途をたどっています。現在、長崎県、佐賀県、沿線市町村から補助を受けていますが、2014年にその補助が切れるとのことです。その後も補助が続けられなければ、一気に存廃の岐路に立たされることとなります。その際、全線(有田~伊万里~佐世保)が廃止されるのか、(のと鉄道のように)一部のみの存続となるのか、収入状況、利用状況などを見て判断されることとなるでしょう。2009年に有田~伊万里、2012年に伊万里~佐世保を、それぞれ一度利用しただけなので、私がここで何かを語ることに無理はありますが、それを承知で記すならば、佐々~佐世保、あるいはもう少し伸ばして吉井~佐世保のみを存続させるという選択肢はあるものと思われます。しかし、それ以外の区間については、存続に対して高い障壁が待ち構えているとしか言えません。

 とくに、平戸や松浦への観光ルートとして使うには不便であることを否定できないでしょう。西九州線には快速も運転されているのですが、それは佐々~佐世保のみであり(一部、それ以外の区間では普通列車として走る便もあります)、上りの1本が夕方に走る以外には朝のみの運行です。設備の関係で難しいかもしれませんが、伊万里~佐世保で快速を運行するほうがよいのではないでしょうか。たびら平戸口~佐世保での快速運行でもよいでしょう。

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 今回は別の目的もあるため、佐世保市には1時間弱しか滞在しません。駅ビルの中で佐世保バーガーを食べ、13時25分発の快速シーサイドライナー長崎行き(市布経由)に乗ることとしました。佐世保線は全線電化の路線ですが、大村線のハウステンボス~諫早が非電化のままであるため、キハ200系などが使われます。

 1990年代から製造されているキハ200系は、まず、筑豊本線および篠栗線に投入されました。車体が赤色であることから「赤い快速」とも言われました。その後、香椎線、指宿枕崎線、豊肥本線、久大本線、長崎本線・大村線・佐世保線などにも投入されています。指宿枕崎線では黄色、長崎本線・大村線・佐世保線では上の写真のように青系(但し、乗降扉は赤のまま)となっています。

 筑豊本線の折尾~桂川および篠栗線が電化されたために、現在は両線を走っていません。また、何故か香椎線からも離脱しました。

 私は、1999年に鹿児島へ行った際に指宿枕崎線の快速に乗り、山川駅に行ったことがあります。その時にこのキハ200系に初めて乗りました。たしかにキハ58系やキハ40系などより速いのですが、とにかくうるさいディーゼルカーであるという印象があります。国鉄型ディーゼルカーは床下が振動しますが、キハ200系は床下どころか車体全体から騒音が発せられているように感じられるのです。しばらくしてから大分地区にも登場したので、豊肥本線で時々乗っていましたが、何度乗っても好きになれない車両の一つでした。

 ともあれ、この快速に乗り、諫早を目指すこととします。


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