ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

都営三田線西台駅北側の人工地盤

2013年04月04日 23時03分51秒 | まち歩き

 〔私のサイトにて続けている「待合室」では、時折、本務校である大東文化大学の最寄り駅の一つ、都営三田線の西台駅を取り上げています。今回は、第517回として3月15日から24日まで掲載したものを、一部修正の上でここに載せることとしました。〕

 板橋区高島平には四つの駅がありますが、九丁目一番一号にあるこの西台駅には、唯一、「高島平」という文字が使われていません。これは、三田線が開業した当時の地名が志村西台町となっていたからで、高島平九丁目、および西台駅のすぐ南側の一丁目は、1960年代に高島平に編入されたそうです。現在、西台という地名は首都高速5号線の南側に広がっています。

 西台駅の北側に、都営三田線の車庫である志村車両検修場があります。東京都交通局の6300形が所属していますが、東急3000系や5080系(5000系シリーズの目黒線版)も留置されており、駅の南行ホーム(巣鴨、目黒方面ホーム)からも見ることができます。この日は5080系の5185Fが入線していました。

 なお、志村車両検修場に入る線路は、西台駅からではなく、隣の高島平駅から伸びています。但し、乗務員の交代は西台駅で行われます。

 志村車両検修場の真上には人工地盤が造られています。高島平と言えば団地で有名でしたが、車庫だけでは土地を有効に活用しているとは言えないからでしょうか、団地の建設によって人口を増やすためでしょうか、御覧のような形に仕上げたのでした。

 車庫の上にある人工地盤の上には、都営西台アパート(東京都住宅供給公社西台住宅)が建てられています。しかも一棟ではなく、四棟です。車庫の北側に東京都交通局志村寮があり、そこからの連番となっているので、東から5号棟、6号棟、7号棟および8号棟が建てられているのです。また、区立の高島平さつき保育園が6号棟に設けられています。

 西台駅のすぐ南側に伸びる道路から脇に入り、高架線の下を抜けて都営西台アパートのある人工地盤まで歩けるように、御覧のように通路が設けられています。左側が西台駅のホームで、右側が人工地盤です。

 都営三田線の巣鴨から高島平までが開業したのは1968(昭和43)年で、西台駅の開業も同時です。そして、都営西台アパートは1970(昭和45)年に入居開始となっていますので、既に40年を超えています。

 ちなみに、高島平駅は、開業当初は志村と称していました。三田線には志村坂上駅と志村三丁目駅もありますが、両駅とも高島平地区にはありません。蓮根駅と西台駅をはさんでいますので、少々紛らわしいように感じられたかもしれません。

反対側にも都営西台アパートへの通路があります。右に少しばかり見えるのは、西台駅のホームの真下にある職員用通路です。

 西台駅の高架下から都営西台アパートに向かう通路は幾つか存在しており、上の写真は、これまでとは違う場所にあります。東京都交通局の職員が業務用に使用する通路(従って乗客は利用できません)が手前に見えます。西台駅の高架下には飲食店や書店などが並んでおり、私も時折利用しています。

 さて、西台駅の西口の近くに、全く使用されていない通路があります。「非常口」となっており、「高島第四小学校」の文字も見えます。やはり都営西台アパートの人工地盤の上にあった小学校です。

 おそらく、今後も開けられる可能性は少ないでしょう。高島第四小学校は2002(平成14)年、高島第六小学校(高島平一丁目)と統合される形で廃校となっています。板橋区による正式の扱いは、2002年4月1日、高島第四小学校と高島第六小学校の双方を閉校とし、同時に新校としての高島第六小学校を開校する、というものです。同区では、やはり2002年4月1日に板橋第三小学校および稲荷台小学校を閉校として同日に加賀小学校を開校しています。その後、2005(平成17)年4月1日には若葉小学校を廃止して若木小学校に吸収統合しており、2007(平成19)年4月1日には高島第七小学校(高島平三丁目)を廃止して高島第二小学校(高島平二丁目)に吸収統合しています。

 高島第四小学校の閉校から10年余りが経過していますが、メインテナンスの手は入れられているのでしょうか。

 たまたま、板橋区教育委員会が2003(平成15)年11月26日付でまとめた「板橋第四中学校適正配置実施計画」という文書を見る機会がありました。そこには、次のように書かれています。

 「板橋区の人口構成は急速に少子高齢化が進んでいて、子どもの数は今後も減少していくものと見込まれています。また、区立学校の児童・生徒数をピーク時と比較すると、小学校は昭和56年の51.8%、中学校は昭和60年の47.6%に半減していて、全体として学校規模の小規模化が進んでいます。さらに、区立学校間の学校規模のひらきが大きくなり、児童・生徒数の増減についても学校や地域ごとにバランスを欠く状況にあります。」

 高島平では、昭和30年代から団地の建設が進められ、昭和40年代に多くの入居者を抱えるようになりました。しかし、1992年を境に人口が減少に転じます。とくに団地地区では高齢化が顕著に進んでおり、これが小学校の統廃合にもつながっています。大東文化大学で高島平プロジェクトを推進しているのも、少子高齢化による人口減少という問題があるからです。


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