ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

いつまで走るか 東急9020系9021F

2024年02月28日 00時00分00秒 | 写真

 高津駅(DT09)にて、大井町線G各停大井町行きとして運行されている東急9020系9021Fを撮影しました。元は田園都市線の輸送増強用として1992年にデビューした2000系の2001Fで、田園都市線および半蔵門線で活躍してきましたが、東武伊勢崎線・日光線に乗り入れることはなく、2019年に9020系と改められて大井町線の各駅停車用となりました。その際、10両編成から5両編成に変えられています。

 二子玉川駅から溝の口駅までは複々線区間となっていますが、内側は大井町線用となっており、ホームがありません。東横線の複々線区間のようにホームがあればもっと便利になるのですが、スペースの面で無理だったことでしょう。沿線住民の多くは田園都市線を利用するでしょうが、実は大井町線の使い勝手が良いので、私はよく利用しています。

 さて、前の記事二子玉川駅から溝の口駅までの区間が玉電溝ノ口線から東急大井町線に変わるまでの歴史を書きました。今回は、大井町線および田園都市線の起点・終点の変遷を記しておきます(なお、駅名は現在のものを記していることをお断りしておきます)。

 大井町線は、東急の母体である目黒蒲田電鉄の支線として始まりました。最初の開業は大井町駅から大岡山駅までの区間で、1927年7月6日のことです。続いて、自由が丘駅から二子玉川駅までの区間が1929年11月1日に開業します。そして、大岡山駅から自由が丘駅までの区間が1929年12月25日に開業し、全通することとなります。なお、この時点で旗の台駅は開業していません。この辺りについては過去の記事も御覧ください。

 1943年に玉川電気鉄道溝ノ口線が東急大井町線に編入されたことは前の記事で記しました。それから20年後、1963年10月に大井町線は田園都市線に変わりました。この時点ではまだ大井町駅から溝の口駅までの区間の路線でしたが、1966年4月1日、溝の口駅から長津田駅までの区間が開業します。1968年4月1日には長津田駅からつくし野駅までの区間が、1972年4月1日にはつくし野駅からすずかけ台駅までの区間が、1976年10月15日にはすずかけ台駅からつきみ野駅までの区間が開業しました。

 1977年4月7日、大井町線および田園都市線の歴史を変えることになる出来事がありました。東急新玉川線(渋谷駅から二子玉川駅まで)の開業です。同年5月25日にはあざみ野駅も開業します。ここから慌ただしくなります。

 1978年8月1日には当時の帝都高速度交通営団の半蔵門線のうち、渋谷駅から青山一丁目駅までの区間が開業しました。当初から東急新玉川線および田園都市線と直通運転を行っており、しかも最初の3年程は東急8500系のみが運用されていました。つまり、半蔵門線用の営団の車両はなかったこととなります。

 1979年8月12日、当時の田園都市線のうち、大井町駅から二子玉川駅までの区間が大井町線となります。これにより、田園都市線は二子玉川駅からつきみ野駅までの路線となります。また、田園都市線・新玉川線・半蔵門線の直通運転が全面的に行われるようになりました。

 1984年4月9日、田園都市線のつきみ野駅から中央林間駅までの区間が開通します。これによって田園都市線は全通し、二子玉川駅から中央林間駅までの区間となりました。

 これでしばらく落ち着きましたが、2000年8月6日にまた動きがありました。輸送の実態に合わせるような形で、新玉川線が田園都市線に統合され、田園都市線は渋谷駅から中央林間駅までの路線となりました。既にこの頃には二子玉川駅から溝の口駅までの複々線化工事が始まっており、2008年3月には大井町線の急行運転(大井町駅から溝の口駅まで)が始まります。2009年には大井町線の運行区間が大井町駅から溝の口駅までとなります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする