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ロシアを壊す奴の定宿はドイツのままらしい

2020-08-27 17:38:02 | 欧州情勢複雑怪奇

お騒がせのロシアのブロガー(TASSの表現)ナワリヌイは、ドイツの有名病院に入院し、その後、ドイツ政府と入院先の病院から毒薬の可能性は否定できない、みたいな声明が出て、それを受けて西側の主流メディアで、プーチンの毒殺は失敗か、みたいな騒ぎがついてまわっていた。

馬鹿みたいというより馬鹿。なんでわざわざ忙しいプーチンがナワリヌイの身の振り方を心配せなならんねん、という話。

だもんで、主流メディアが書いて書いて書きまくるほどには、一般人はたいして反応していない感じがする。

 

西側メディアがロシアに難癖をつける時には、highly likely(可能性が高い)などといって全然真偽に迫る気がないのは、もはや新しいことではない。こんな調子でロシアの外交官をヨーロッパ各国から追い出したことさえあった(スクリパル親子事件)。

恐ろしいことを平気でやっているのが西側のステルス帝国を守る会の皆さんといったところでしょうか。

 

で、この成り行きを見て、ドイツ政府は豚だな、などと私は一層の軽蔑感情を持ったんだけど、でもロシア国内で出回ったという記事を読んでちょっと笑い、まぁそういうことで、と気を取り直した。

数日前のNezavisimaya Gazeta紙の記事によれば

https://tass.com/pressreview/1192951

ドイツでナワリヌイが入院したのは、

ウクライナの元大統領のユシュチェンコが毒をもられたとして入院し、

ウクライナのティモシェンコが刑務所から出てきた時に入院した病院だった。

(また、今般のナワリヌイの扱いは「首相のゲスト」という待遇なんだそうだ。ドイツにおいてそういう枠があるらしい。)

 

さらに、同紙は、専門家の声としてこんな話を盛り込んでいる。

ナワリヌイが海外にいるからといってそれで政治活動ができないわけけではない。古くはレーニンが海外にいながらロシア帝国議会の社会民主派を管理して、新聞も出してた。今はインターネットがあるんだからよけいできる。

"For instance, Lenin managed the Social Democratic faction in the State Duma and published the Iskra newspaper from overseas. It is even easier over the Internet. 

https://tass.com/pressreview/1192951

 

海外といってもレーニンがいたのはドイツかスイスという、要するにドイツ圏。

(1917年4月にはこのルートでスイスからペテルブルグに戻ってきた。)

 

そして、そうだからこそロシア国内ではあいつはドイツのスパイだろうと怪しまれ、事実ドイツのために、ボルシェビキが暴れてドイツと単独講和をして(ブレスト=リトフスク条約)、ウクライナをあげちゃう上に、賠償金まで払う約束までした。

この人はほんと、困った人だったなぁって感じ。ロシア愛もないけど、ドイツに尽くすそのドイツがどこのドイツなのかがいまいち不明だし、総じていえば、世界史に弱いことがガンだと思う。これは、考えてみれば後の左翼の原型なのかもしれない。個別具体的な事情にとても弱い。

そこらへんが、どうあれロシアがなくなったらどうするんだという危機感が先に来るスターリン、モロトフとは異なるタイプ。こっちの方が民衆派というべきでしょう。調子の高い西洋グループに褒められてもロシアがなくなって、一般人の生活空間がなくなったら意味ねーじゃん、という発想。ちなみに、ボルシェビキ第一世代を生き延びたのはスターリンとモロトフだけといわれている(他はむしろこの人たちによってみんな粛清か放逐されたわけだけど)。

 

で、そう、思い返せば、ロシアを壊す奴の定宿はドイツなのだ。

そう思えば、またやってるのかという話なので、心に余裕を持って、ドイツの東方侵略マインドって病気だなと理解して対策を考えたらいいわけだね。

再々書いてる通り。

■ 連続性:ドイツ

同時期のドイツでは、これもまたヒトラーの特殊性とかいうけど、ヒトラーのやってたことはドイツ帝政時代からの連続性を持っているという点を指摘して、「フィッシャー論争」なる論争をドイツ国内で引き起こした。

世界強国への道/フリッツ・フィッシャー

つまり、ヒトラーがロシア欧州部をドイツの生存圏にするとかいう発想がまったくもってソ連/ロシアにとっての大迷惑だったわけだけど、それはヒトラーのオリジナルじゃないだろ、と読めるわけで、これはこれで大変な騒ぎだったらしい。

プーチンの第二次大戦論文:東西がつながった

 

 

つい30年前のソ連の崩れ方は、とんでもなく多くの人たちを不幸のどん底に陥れた非常に問題のある崩れ方だったことは間違いない。また、「ヨーロッパのピクニック」のような変則的で不法な行動を許した国際社会なるところの判断には大きな問題があった。ここは先々追及されるだろう。

だがしかし、レーニンを拝むような浅はかな体制を終わりにすることができたことは、ロシアとロシアの人々にとって幸福だったと思う。

「ヨーロッパのピクニック」というフザケタ名前を付けた違法行為のカスケードみたいな策謀をしたのもまたドイツ人のオットー・フォン・ハプスブルク。

ドイツ人はそろそろロシア人に迷惑をかけない生き方を開発すべきだと思う。

 

■ オマケ 1

当然のことながら、台湾とか香港のような基本的にチャイニーズの問題であるものに、わーわー言ってあろうことか戦争を煽るようなことを日本人がするのなら、上記のドイツ人と同じような視線にさらされる。

■ オマケ2

統一ドイツは1871年にできた。ここからドイツ民族の運命はわずかな人間の手に委ねられ、言ってみれば、the Westのユーラシア内部への侵入構想のstormtroopers(突撃歩兵)へと再編されたと考えてみることもできると思う(東方拡大自体は中世からある)。

そしてこの鍵を握るのがドイツ系の金融ユダヤ人集団とバチカンだったんだろうと思う。大変な話、ほんと。


 


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7 コメント

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天皇無き文化カースト教のドイツ! (ローレライ)
2020-08-27 19:16:07
日本の差別性は天皇カースト教に支えられているが、ドイツは天皇無きカースト教がロシア敵対を支えている。
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ベラルーシ政変とアレクシエーヴィチの関係 (名無しの在日)
2020-08-27 22:30:15
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチが、ベラルーシの治安当局による出頭要請を受けたという報道がありました。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2020082601169&g=int

氏が当局で訴えたことの核心は
「国民が分断されれば「必ず内戦になってしまう」と警告。「われわれの目標は社会の団結であり、政変ではない」と強調した」
ということのようです。

私は比較的最近になって「戦争は女の顔をしていない」を知り、ソビエト赤軍のこれまで知られていなかった普遍的一面(ステロタイプから脱した「究極的条件下における人間性発現のありよう」)を提示したという点では、同書に並みならぬ信頼をおいています。

上記報道を読んだかぎりでは、彼女は「西欧的民主化推進派」とは言わぬまでも、ベラルーシの硬直した旧ソ連的体制への嫌悪を抱いているというように理解できます。
しかしその「嫌悪」のレベルがどの程度なのかは正直、私の知識では量りかねる部分が大きすぎます。

ブログ主さま含め、どなたか当方のアレクシエーヴィチ理解における補助線を与えていただければ幸いです。
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根拠がなくても信じろと言う (ミール)
2020-08-28 18:33:00
The West お得意のナラティブですね.
我々の言うことは必ず正しい.ロシアの言うことは必ず嘘だ.特に我々の中でも最高水準の医学を持つドイツ様の言うことに楯突くなんて,といった感じで.

この Charite の発表の胡散臭さは,きちんとした医師や薬剤師であれば気がつくはずです.TASS のこの記事でモスクワ市保健局の Shigeev 氏が指摘している通りです.
https://tass.com/society/1193391
コリンエステラーゼの値が低いということでコリンエステラーゼ阻害薬が使われた,という発表ですが,その阻害薬が特定されていない.コリンエステラーゼの値がどの程度低いのか,ナワリヌィの平常の値はどうなのか(Charite が知っているのか?)といった当然押さえるべきことを飛ばしてどうしてそんな結論になるのか.

それに加えるとすると,コリンエステラーゼ阻害薬が使われて中毒を起こしたのであれば,筋肉の痙攣や縮瞳が起こるはずで,オムスクの病院の医師がそれに気づいてアトロピンを打ったはずです.そうしないと助かりませんから.当然その時点でコリンエステラーゼ阻害薬中毒という判定をするはず.

とにかくこんな発表を突っ込まない西側の“専門家”はどうなっているのでしょう.

それでもさすがにそういう批判をする人が出てきたのか,今になって Charite は「抗アルツハイマー病薬のコリンエステラーゼ阻害薬」と言い出していますが,そんな弱いものだったら,どれだけ使ったのでしょう.矛盾だらけです.
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ドイツエリートの異常性 (石井)
2020-08-28 21:51:20
を示す動画
https://www.youtube.com/watch?v=ELh5v86cEXk&t=1s
ナバリヌイがベルリンの空港から病院へ移送される様子です。白バイ数十台、パトカー、救急車計14台が車列をなし厳戒態勢でひとりの「ビデオブロガー」を運んでいます。メルケルの車列でも精々5台だろうと言っています。

昨晩の番組
https://www.youtube.com/watch?v=B_UDHuNmX7s
「陰謀論」めいていますが、このモスクワの医者の説明は面白かったです。「糖尿病、強い酒、抗うつ剤、嘔吐、激痛、失神は急性膵炎を示すもの。ドイツから来た医者は患者を診ようともせずホテルにこもりきりで、オムスクの医師団の説明に何の興味も示さなかった。仮に急性膵炎であれば2日ほどで快方に向かうはずで、それまでにドイツへ送るのが彼らの使命だったのではないか。」
また番組では続けて、シャリテ病院の医師団からの直接の説明はなく、政治家やマスコミが「病院側からの話」として毒を盛られたと騒いでいるだけだ。完全に政治化された騒動は、ロシア制裁に繋げ、ノルドストリーム2の中止、ロシアのワクチン開発の軍の拠点研究所への制裁に向かおうとしている。

僕は、ナバリヌイに関しては、3年位前の露大統領選前のキャンペーンで、サプチャクと彼女のテレビ局で討論した時、彼女の質問にマトモに答えることができず、それ以来討論を避けており、政治的には既に無力な存在だと思っていました。寧ろ、役人政治家の汚職を暴くある意味便利な役割を担っていたかもしれません。という意味で「西側」にとっては、死んでプーチン政治の犠牲者になってくれる方が有り難いと考えても不思議ではありません。

個人的には去年スタンフォードに入って、「奨学金」を月4万ドル貰っていると噂される彼の美人の娘さんの運命はどうなるのか気になっています。いずれにせよ、リトビネンコ、ベレゾフスキー、スクリパリと、西のエージェントになった男の末路は哀れなものです。
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レーニンは夢想家ですか? (特命希望)
2020-08-30 19:44:49
内政干渉はともかく、これはレーニンを弁護せざるを得ません。あの当時、ロシアは参戦国の中で社会が遅れた方だったので工業生産力が追い付かず国内が疲弊してました。バルト海ルートの貿易も出来ず(ドイツなどによる封鎖)、物資不足が続き、「パンをよこせ」デモが頻発したのは皆さんもご存知でしょう。
こんな状態で戦い続けたとしたら、ロシア人は何を得られたでしょうね?物資不足、食糧不足、徴兵に依る労働力不足で農工業は壊滅、元々独立国だったポーランドやフィンランドからは「何時までこき使うんだ」と背後から刺されても不思議はなありません。
その一方でドイツも、イギリスのタンクなどの兵器に苦戦させられたり、膠着状態のために厭戦気分が前線・後方問わず蔓延していました。ドイツ帝政崩壊前ですら、ビスマルクやその後継者の弾圧にも耐えて社会主義運動に参加する人は一万二万じゃすみませんでした。そもそもこんな戦争、君主・政治家や金融屋どもの人間チェスですよ。「ドイツから(ロシアから)土地を分捕ったとしよう。で、私はどれだけ腹が膨れるんだね?」と言う事を、自分の立場で考えられない人間がどれだけいたでしょうね。
レーニンや他のボリシェビキとしては「こんな状況が続けばどっちの労働者も共倒れ、しかしピンチはチャンスでもある」「拳を上げ続けるのに疲れている今革命を起こせば、ドイツの労働者に貸しを作れる」「向うも戦争に嫌気がさして反乱や逃走を始めるだろう」と考えたとして、荒唐無稽と言えるでしょうか?あと、Wikipedia見てきましたが、条約交渉中もウクライナを投げ売りしていたわけじゃないようですが。
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グランドスケールのカラー革命 (ブログ主)
2020-08-30 21:36:29
特命希望さん

そのように考える人たちが今でもロシア相手のカラー革命を目指しているのだと思います。

レーニンと32人の仲間がドイツ帝国の情報機関の許可と共に封印列車に乗ってロシアに登場し、東部戦線を崩壊させロシア帝国をばらそうというドイツ帝国の目論見の通りに動いたことは変えようがないでしょう。

また、それを差配していたグループはどうやってロシアで「革命」をさせるかのロードマップまで作ってたし、そのあたりのことをドイツ皇帝ウイルヘルム2世もかなり知っていた、とは2017年にドイツ国営DWが書いていたりもします。

How Germany got the Russian Revolution off the ground
https://www.dw.com/en/how-germany-got-the-russian-revolution-off-the-ground/a-41195312

それをロシア人のためだったというのが後のレーニン派の言い訳なんでしょうが、それはウクライナのクーデターを、アメリカ国務省はウクライナ人のためだったと言うだろうというのと何も変わらないでしょう。

日本でこのあたりが解き明かされないのは、レーニンを好んでいるらしい日本の共産党が神話を護持しているからというのが最大の理由だと思います。

が、もう1つ、ドイツやロシアのオデッサあたりを本拠とするユダヤ人の一群を、日露戦争を代表例に大日本帝国が支持していたことも大きいかと思います。

明石元二郎の工作は秘密じゃないですし、暗躍していたイズライリ・ラザレヴィチ・ゲリファンドは日本政府に支持を求めたという説もあるようです。
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レーニンはキリル文字を唾棄していた (И.Симомура)
2020-08-31 14:55:37
私は1934年にモスクワの『学校教育出版』より出版された,エニセイ河中流域に住むケット族の初等読本(英語で”祈祷書”を意味するprimerに同じ)を研究していた.これは同民族の人口1200人に合わせて,この数しか印刷されなかった稀少本である.ラテン文字表記.国語のラテン文字表記とキリル文字表記の区別は,東方正教とローマカトリックの祈祷書の字母の違いに起因するものだ.
 レーニンは当初より、ツァーリ体制の抑圧的な社会法制度と被抑圧階級にはびこる文盲の象徴的原因とも見えたこのキリル文字を廃止し、英独仏という優越文化をもつ欧州列強と,彼らに親近な文化をもつ西スラヴ民族が使用する文字である,ローマアルファベットを革命後のロシア民族の文字として導入しようと考えていた.レーニン初め革命を主導したユダヤ系ロシア人は,西欧の優勢な言語を知るものが多く,この選択は彼らのロシア人への優越意識をも満足させるものであった.彼はまたロシア帝国内の非ロシア系民族がその独自の文化を保存し発展させるためは,教育水準の急速な向上が必須であると考え,彼ら独自の文字をもつことが肝要であるとも確信していた.そうして印欧語とは異質の言語に対してラテン文字表記の初等読本が作成された.ところが1938~1940年スターリンはスラヴ民族に対しては勿論のこと、国内非スラヴ語系民族全てに対し,キリル文字に復帰することを命じた.1938年という年は象徴的である.あらゆる面での欧州風を嫌悪唾棄し,極端な排外主義を標榜するスターリンの独裁体制が完成した時代であった.
 スターリンは何故ラテン文字をロシア文字に復帰させたのか.グルジア人であるスターリンは歴史的に敵対関係にあったトルコ民族を嫌悪していたからだ.ソ連邦内でチュルク語系民族がその連帯を強めて外にまで広がり,ケマルアタチュルク指導のもと,国字のラテン文字化を成功させて国力と軍事力を充実させている新生トルコ共和国と結びつくことを恐れた,これがスターリンのキリル文字復帰政策の理由の一つであると考えられる.簡単に言うならば,レーニンはロシア人をソ連人化し,スターリンはソ連人をロシア人化したと言えるだろう.
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