気軽にでっちゃん

誰にでも立ち寄って欲しいので「気軽に」とつけました。でっちゃんと呼んでください。。。

●消息

2006-05-03 10:16:00 | weblog
年末から連絡がつかなくなっていた人に改めて電話してみた。いつもはこちらから会社にeメールして半年か一年に一度程度晩ご飯を食べる人です。年末にeメールしたときは、長期休暇中ですとの返事が返ってきました。変だなって思って、その会社にこっそり電話してみると、やはり休暇中です。とのことでした。年明け、しばらくして1月下旬にもeメールしてみるとやはり、同じ様子で、もう一度会社に電話してみると、電話に出た人はしどろもどろに同じ返答をしました。こちらから「会社辞めたんですか?」と聞くと、「いえいえ、まだ在籍はしています」とは言われました。2月か3月に、再び会社に電話してみると電話口の女性が優しい口調で「まだ日本にはいますよ。誰からか連絡あったときは、お伝えすることになってます。」

なぜか、その人の携帯電話には電話をしなかった。なんとなく。そして、昨日、その会社に電話してみると、もういません。と冷えた口調の男性の一言でした。そしてそして、携帯電話に電話してみると、英語で、「ただ今、この番号は使われていません」との音声でした。ほんとにいなくなってしまいました。

この人は、昔の仲間の一人というか、日本的に言えば、新卒で入った会社の最初の上司です。日系アメリカ人で、僕のお気に入りの、飯倉片町の鉄板焼きのPANICを教えてくれた人です。そういえば、この人との出会いは、この人が今のでっちゃんの年齢の頃でした。もう50代になってしまっています。いろいろなことを学ばせてもらいました。僕はこの人がすごく好きですが、この人はでっちゃんのことをそんなに特別には思っていないと思います。まあたまに連絡くる昔の部下程度で。この人はすごいインディペンデントな人です。苦しいとき、辛いとき、孤独になっても、家族と一緒に過ごすことで乗り越えていくという非常にアメリカ人のなかでも典型的な敬虔なクリスチャンの人です。表参道のUNION CHARCHという教会に連れて行ってもらったことがあります。毎週、聖書の勉強会をやっているのです。宿題もあります。あるページのこのフレーズはどういうことなんだろう?そうやって毎週、現実社会で仕事や人との関りを反省し、またこれからを考えるというわけなのです。その教会に行ったのはこれっきりです。

でも毎週、生活を振り返り、軸を修正する機会って大切だと思います。学生時代、教育課程の選択教科である先生のクラスをとりました。翌年は英語のクラス担当でご縁となりました。校舎が移った専門課程でも、取得単位にはならないのですが聴講生という形でその先生のクラスを3年、4年のときも受けました。この先生のクラスは、毎週、生活を振り返り反省するいい機会になっていました。また違う機会に綴るとして、今、でっちゃんからとれる連絡手段が絶たれた昔の上司・仲間の人の消息を先輩を通して探してみます。月日は流れていっているんだと感じています。
コメント
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