黒い瞳のジプシー生活

生来のさすらい者と思われた私もまさかの定住。。。

都は花だった時代

2009-11-29 22:47:39 | 日常
先週まで「天地人」を放送していた時間帯で、
今夜から新たに「坂の上の雲」が放送されている。
私は原作を読んだこともなければ
「秋山兄弟」という主人公たちの存在も
初めて知ったというありさまなので、
今年はレビューも書かずにせいぜいおとなしくしていたい。

ウィキペディアによれば、「坂の上の雲」は初め
1968年(昭和43年)から1972年(昭和47年)にかけて
『産経新聞』に連載されたものらしい。
ほぼ同時代に流行した歌には「大ちゃん数え唄」(昭和45年)、
「東京」(昭和49年のもので、「マイ・ペース」という
アーティストによって歌われたらしい)というのがあるが、
これらの歌はいずれも東京という場所を
「花の東京」「花の都」などと呼んでいるのである。
ひたすら中央志向の「坂の上の雲」の主人公たちを観るにつけ
私はこれらの歌を思い出さずにはいられなかった。
若者が中央志向なのは、何も昭和40年代までの昔話ではない
(つまり現代でも同じだと思う)のだろうが――
ただしかし、昨今の日本で流行している歌に「花の東京」とか
「花の都」などという類のフレーズが出てくるような歌は、
果たして存在するのだろうか??
現代の中央志向の若者にとって、
「都」とは一体どういう所なのだろうか。
もしかすると現代の中央志向の若者にとっても
「都」は「花」なのかもしれないが、
もし「花」とは趣が異なるというのであれば。


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「天地人」が終わって

2009-11-26 13:57:48 | 思索系
先の22日、大河ドラマ「天地人」が最終回をむかえた。
幸運にもその日のうちに放送を観ることはできたのだが、
「天地人」に関する感想は一応、直江兼続を題材にした
昨夜の「歴史秘話ヒストリア」を見てから
載せるつもりであった。
これは「ヒストリア」を観て初めて知ったことであるが、
家康たちに負けた兼続が領地を1/4に減らされても
召し抱えている武士の数を減らさなかった理由については、
ただ単に「義」を貫きたかったからなのではなくて、
「ことごとく家康の味方になっていた周辺諸国から
戦いを再び仕掛けられる心配があるので戦力になる家臣の
数を削ぐわけにはいかない」と考えたからなのだそうである。
「義を貫きたい」などという精神論的な理由よりも
この理由のほうが実際的に思えるので、
ドラマ「天地人」でもこの実際的な理由を採用したほうが
ドラマの内容にリアリティが増して面白くなるような気がする。

――とまぁ例えばこんなふうに、私は
毎週毎週わかったような事を偉そうに記しつづけ
的外れな意見もだいぶ多く述べてきた。
先の「天地人」の最終回自体については
今となっては私の記憶が古くなりつつあるので
もはやそう細かいことを述べるわけにはいかないが、
まずは1年間にわたる「天地人」の放送を振り返ってみる。

いつかも記したように、私はついに
今年の大河ドラマをあまり好きになれなかった。
その理由は一つではないが、おそらく最も大きいのは
その人物描写の強引さや薄っぺらさにある。
具体的には、
「兼続のことを自分でよく知りもしなかったり
兼続に何か大したことをしてもらったわけでもなかったり
むしろある意味兼続の被害にあってたりするはずなのに
どうしてそんなに兼続を高く評価できるのか」と
ツッコミたくなりような登場人物が多かったところ、
また、たまたま兼続の政敵だったからといって
遠山康光や徳川家康を人間的にも悪者に仕立て上げてしまう
ところである。政治的な利害関係と各武将の人間性との間に
必ずしも関連があるとは限らないはずだし、
政敵といえども人として同じように悩み、苦労し、
それでもひたむきに生きようとしていたはずなのである。
例えば遠山康光という武将は実際は
主君・上杉景虎のために追い腹できるほどの
忠誠心の持ち主だったようだし、徳川家康についても――
彼は全ての現代人に好かれているわけではないだろうが、
彼とて上杉と同じように国替えの憂き目にあっていたし
彼が三河武士たちの人望を集めていたことや
「三方ヶ原の戦い」で見せた信長に対する律儀さ
――(家康は若かりし頃、「三方ヶ原の戦い」を経験した。
それは当時、家康が同盟を組んでいた信長よりも強力な
武田信玄を相手にせねばならない戦いである。
もし家康が並の律儀さしか持ちあわせていない武将であれば
ここで信長から武田信玄への寝返りをするはずであるが、
家康はあくまでも信長との同盟関係を貫き、
信長はそんな家康を信頼するようになった――というのが、
別冊歴史読本『徳川家康 天下人への跳躍』に載っている
司馬遼太郎さんの家康論のごく一部である。
またこの家康論によれば、秀吉の死後、
秀吉の大名たちがこぞって家康のもとに奔った理由の一つも、
それまで秀吉に律儀に従ってきた家康に対する
信頼感ゆえであるという――)を思うと、
家康にもむしろドラマの兼続が好みそうな側面が
あったのではないかと思えてくるのである。
最終回のドラマの家康は、自分の人生を振り返って
「裏切ったり裏切られたりの人生じゃった」と言い
息子・秀忠にも嫌われている苦悩を吐露していたが、
家康をそのように描くつもりなら、なぜもっと早いうちから
彼の心の痛みをドラマで描いてやらなかったのだろう。

家康が兼続の流儀を理解し受け入れることはあっても、
逆に兼続が家康の流儀を理解し受け入れるということは
「天地人」ではついになかった。
たしかに自分が守るべき者や自分に似た価値観の持ち主は
大切にする反面、そうでない人間に対しては
非常に了見が狭く、立場や相手をわきまえずに
「義」の布教活動にいそしんだ「天地人」の兼続を
私は好きになれなかったが、
今の私にとって一つだけ確かなことは
そんなかたくなな私も実は「天地人」の兼続と大差が無い
ということなのであった。


それにしても、最近の大河ドラマの戦国武将は
心なしか草食系に見えるよう描かれている気がする。
まずドラマの中心的存在に選ばれる戦国武将が、
上杉謙信(一昨年の「風林火山」・「天地人」)、
山内一豊(3年前の「功名が辻」)、直江兼続などといった
妻を一人しか持たない(あるいは全く持たない)武将だったり、
2002年の「利家とまつ~加賀百万石物語~」の主役・
前田利家の場合は、実際には側室がわんさか居たものの
ドラマでは側室は一人しか出てこなかったらしい。
またさらに、再来年のドラマの主人公の夫・徳川秀忠も
ウィキペディアによれば基本的に恐妻家らしいのである。
現代の男の子たちのみならず、「きったはった」の世界の
戦国武将までもが草食系と化してしまうのは
一人のオンナとして寂しい気もするが、
まぁこのような法則を信じるとするなら
同じく恐妻家である福島正則がいつか主役に選ばれるのも
期待していいかもしれない。
漫画『風雲児たち』の作者・みなもと太郎さんは、このような
草食系戦国武将(山内一豊や、お静の方に恋する前の秀忠)を
バカにしているフシが見受けられるが
(ただし同じ恐妻家でも『風雲児たち』では出番が少ない
福島正則については、そうでもないようである)、
実は個人的にはどちらかというと
みなもと太郎さんの描き方に好感を持っている。


さて、昨夜の「歴史秘話ヒストリア」の題材は
厳密に言うと直江兼続一人ではなく、彼以降の世代の
「義の心を持った」米沢の武士たちも題材になっていて、
例えば、明治維新の戦いに敗れた挙句に職を失った
浪人たちのために職業を探すかたちで
彼らを立ち直らせようと奔走した雲井龍雄という
身分の低い一介の米沢藩士も題材になっていた。
しかし、当時の明治新政府はそんな雲井たちの求職活動を
新政府への反乱のための工作活動と見なして雲井らを逮捕し、
雲井は斬首されてしまったということである。
以前同じ番組で勝海舟が取りあげられ、
彼もまた明治維新で職を失った幕臣たちの再就職のために
日々奔走していたことを思い出すにつけ、
もし雲井龍雄が勝海舟の知遇を得ていたら
それが雲井にとってどれだけプラスになっただろうかと
残念に思ってしまった。勝海舟は豊富な人脈を持っていて
西郷隆盛にも高く評価されていたそうなので、
もし雲井が海舟の後ろ盾を得ていれば
それだけで斬首も逮捕も免れ、浪人のための求職活動も
少しは容易になったかもしれないのである
(雲井が斬首になった明治3年の時点でも、
西郷隆盛はまだ下野していないようである)。

昨夜の「ヒストリア」だけでなく「天地人」を観ていても
思ったことだが、やはり「義」を貫くためには
権力、数の力、後ろ盾などといったある種の「力」が
必要なのだということを覚えておかねばならない気がする。
というのも、自分が持っている「力」が大きければ大きいほど、
自分の影響力が及ぶ範囲も広くなっていくと思うからである。
昨夜の「ヒストリア」で取りあげられた
江戸時代後期の米沢藩主・上杉鷹山にしても、
米沢の領民を天明の飢饉から守りぬくことができたのは
彼の力が米沢一だったので米沢領内の隅々にまで
彼の影響力を及ぼすことができたからなのではないだろうか。
また、上杉鷹山の時代は比較的平和な時代であったが、
直江兼続が生きた戦国時代や幕末維新の時代のような
権力の定まらない時代において「力」を得ようとするなら
「次は誰の手に権力の座が転がりこむのか」を見極める
先見の明というものも必要になると思われるのである。
秀吉の死後になって家康を敵にまわしてしまった
「天地人」の兼続たちは、果たしてこれらのことを
認識できていたのだろうか。


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サウダードはしたものの

2009-11-25 08:56:04 | 日常
23日、私は九州での法事から帰宅した。
親戚の人たちは私たちを歓迎してくれて印象が良かったし、
九州という場所自体もよかとこだと思ったのだが、、、
ただ、今回のように父と2人で行くのはもうコリゴリ・・・!
毎日、気がつけば朝起きてから夜眠りにつくまで
ずっと父のワガママに振りまわされ続け、ほとほと疲れ果てた。
おまけに、おとなしくしてたのに初めて会う親戚からは
「どんな仕事をしてるのか」と聞かれてしまったし――
(結局、仕方がないので「仕事はしてない」と正直に答えた)
たしかに半分は私自身の意志で行ったことではあるが、
母が父のツレの役目を私に押し付けるようにして送った理由が
今になってよく分かる次第である。

亡くなった人をサウダードすることは
本来どんな場所にいてもできるはずだし、
今度九州に行く機会ができれば一人で行きたいものだ。


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祖母へのサウダード

2009-11-19 18:21:37 | 日常
明日から私は、1年前に亡くなった祖母を
サウダードするために外泊する予定である。
(つまり、法事に行くということ――)
私はしばらく自宅を留守にすることになるので、
「天地人」の最終回のレビューも
23日じゅうにこのブログに載せることはできない。
それどころか、下手すると最終回じたい
リアルタイムでは観られなくなるかもしれない。


例によって親戚の誰かに
「いま何してるの(どんな仕事をしてるの)?」などと
質問されるかもしれないと思うと
気が進まないが――もしかすると同行する家族も
同じことを心配しているのかもしれない。

思えば、一度も祖母をサウダードしに行ってないのは
今や私一人だけ。
みんながサウダードしに行っていた一年前、
私だけは地元にどとまって
当時のカレシとデートしていたのだった。
そんなことだからバチが当たって
あの人と別れることになってしまったのだ、
というわけではないにしろ――
私だけサウダードしていないという胸のつかえから、
ようやく開放されそうだ。


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風呂場にスズメバチ

2009-11-17 17:22:56 | 日常
昨日の疲れがどうにか取れて目を覚まし
寝ぼけまなこでまずはトイレに行こうとしたら
バスタブの縁に見慣れぬ何かが居るのを見つけた。
季節はずれのゴキブリだろうか、それにしては大きいなと
思いながらメガネをかけて目を凝らして近づいてみると、
なんとそれはゴキブリではなく一匹の巨大なスズメバチで、
出口を求めて風呂場を飛び回るでもなく
時々バスタブの底に滑り落ちそうになりながらも
モゾモゾと縁の周りをはいまわっている
(ちなみにバスタブにはお湯も水も一切入ってなかった)。
頭が半分寝ぼけていたこともあって
しばらくは目を凝らしてジッと見つめていたものの、
それはやはり、どう見てもスズメバチであった。

――外は雨。予期せぬ恐怖のあまり、
「トイレに行きたい」という生理的要求が、ひっこんだ。


とりあえず風呂場のドアを閉めて
スズメバチが別の部屋に行かないように閉じこめたものの、
しばらくはどうしたらいいか分からなかった。
私の(実体験ではなく)見聞きした知識によれば、
スズメバチはゴキブリ以上によく飛びまわり
下手に近づくと刺してくるかお尻から毒をかけてくる。
その毒にやられれば、きっとひとたまりもないだろう。
何とかして外に追い出したいものだが、
そのための道具として活用できそうなものが
我が家にあるとは思えなかった。

家には誰もいなかった。
トイレで用を足したり家のなかをグルグル回りながら
おおよそ10分ほど考えあぐねたあげく、
私は素人考えで風呂場にワナを仕掛けることを思いつく。
ビニール袋のなかに黒糖味のアメちゃんを入れて
風呂場のドアの外の私の手の届く範囲に置いて
スズメバチをビニール袋の奥深くに誘いこむつもりだった。

――が、スズメバチはなかなかワナに近づいてこない。
アメちゃんの匂いにさえ気づいていないのか
私が最初に見たときと同じように、
スズメバチは鈍い動作でバスタブの縁を右往左往するばかり。
次第に、こちらがシビレを切らし始めた。


私はまた数分ほど考えた。

アメちゃんの匂いがちゃんとスズメバチに
届いていないのだろうか。
でもあんまりスズメバチに近づくのは恐いし――
こちらが近づいたためにスズメバチがパッと飛んできたら、
運動神経の悪い私はどうしよう??

・・・・・・いや、もしかするとこのスズメバチは、
体が弱っていて動きも鈍っているのかもしれない。
時間が20分近くたっているのに、相変わらずモゾモゾとして
ほとんどその場を動かないのだから。


――そうだ、水鉄砲ならあった!!


たいてい、虫は水圧に弱い。
私は遠くからスズメバチの体を濡らして
スズメバチを飛び回れなくしてしまう方法を
思いついたのだった。

私は急いで水鉄砲に水を満たしてそれを手にすると、
万一スズメバチがこちらに飛んできても
風呂場のドアでスズメバチの攻撃を防げるよう、
風呂場のドアの外からスズメバチを狙って
一心不乱に水をかけまくった。
スズメバチのほうはしばらくは水圧に耐えていたが、
やがて案の定バスタブの底に落下した。私はすかさず
風呂場の備え付けのシャワー(お湯)を勢いよくかけて、
ついにスズメバチをバスタブの底から
お湯と共に排水溝へ流し出すことに成功したのである。
スズメバチが排水溝に流されまいともがく姿や、
流されそうになりながらも
お尻から一生懸命毒をかけようとしていたしぐさが、
未だに目に焼きついているが・・・・・・


一件落着した今だからこそ
こう思う余裕も出てくるわけだが、
スズメバチには気の毒なことをしてしまったようだ。
(心なしかスズメバチが茹であがっているように見えたし)
こんな退治の仕方はしょせん無知な人間のやることだが、
あの時の私はこれしか方法が思いつかなかった――
ただそれが全てなのである。


注):以上のような方法では、
スズメバチ退治における安全性は保障できません。
良い子はマネしないでね^^;


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自分の家来より人の家来

2009-11-16 00:11:02 | 思索系
大坂の陣の時代をむかえていよいよ大詰めになった
大河ドラマ「天地人」。個人的には残念であるが、
私は今日は早朝から外出せねばならない
(つまり今回は、このレビューのために
月曜まで時間を費やすということができない)ので、
今回はいつもより手短に記していきたい。


まずは、今回のドラマと史実との相違点を
私の分かる範囲でまとめておきたい:
・大坂城にいる千姫を直接救出したのは、
堀内氏久という豊臣方の武将や、坂崎直盛という
徳川家の家臣であって、真田幸村でもなければ
ましてや直江兼続でもない。
・そもそも、真田幸村は大坂城が燃え始める前に
討ち死にしていたはずである。
・さらに幸村の実戦経験は大坂冬の陣の前の段階で
たったの一度か、多く見ても2度。しかもそれは
父親がする戦いに協力したかたちのものと思われる。
したがって大坂の陣の直前の幸村の実力のほどは
大坂方にとっては未知数だった可能性があり、
淀殿も幸村に対してはドラマのように
「頼もしい」などと評価していたとは思えない
(史実の淀殿たちは、真田幸村ではなく
むしろ父親の昌幸の参戦を期待したと思われる)。


秀忠は今回のドラマのなかで
さかんに娘・千姫の身を案じていたのだが、
彼はいざその娘の助命を画策しようというときに
どうして直接徳川に仕える家来たちよりも
外様大名の家来である兼続を信用して、兼続に
「大坂城攻め中止を父上(=家康)に諫言してほしい」と
頼む気になれるのだろうか。
たとえ秀忠の目には兼続が「義」に厚い武将に見えても、
それだけでは決して「秀忠を裏切らない」という保障には
なりえないのである(しょせん兼続は、自分の家来ではなく
ヨソさまの家来なのだから)。このドラマは例によって、
その点を動機付けるような描写がきちんと描かれていない。
そもそも正直言って私は、今回の放送の兼続の出番は
大坂・冬の陣の戦闘シーンだけで充分だと思っていたのだが
――まあ、やっぱり兼続はこの「天地人」の主人公、
そこまで言ってしまっては身もフタもないのだろう。


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港町の哀愁の音楽

2009-11-14 23:49:24 | 美術・音楽系
つい最近になって初めて興味を持ったものに、
「ファド」というポルトガルの音楽がある。
ファドの演奏に用いられる楽器というのは
ポルトガルの言葉で「ギターラ」と言うものであるが、
これが世界中で一般に「ギター」と呼ばれている
楽器とはまた違う種類の楽器である
(ややこしい話であるが、世界中で一般に
「ギター」と呼ばれている楽器のことを
スペイン人は「ギターラ」と呼び、
ポルトガル人は「ヴィオラ」と呼ぶのだそうである)。
哀愁ただようその音色はどこか海原のさざなみに似て、
私は海というゆりかごに揺られた赤ん坊のごとく
その音色に心地よさを覚えるのである。

隣国・スペインや彼の地のフラメンコが
よく「情熱の」などと形容されるのに対して、
このポルトガルやファドにふさわしい形容詞というのは
思うに「哀愁の」、である。
そして思うに、ファドやそれを生んだポルトガルから
醸しだされる哀愁の源というのが
「サウダード」という感情ではないのだろうか。
<ファドの魂>というアマリア・ロドリゲスの
CDの解説書によれば、「サウダード」とは
「遠い、あるいは消えてしまった人や物への、
ノスタルジックであると同時に心やさしい思い出のこと、
それらをふたたび見たり、もったりしたい欲望を
ともなう」感情、つまり、
「自分のそばにない――かつては、あった――ものを
想う甘美な悲しみ」の気持ちなのだそうである
(ポルノグラフィティというアーティストのヒット曲の
題名「サウダージ」は、その歌の内容からして
「サウダード」のブラジル的な発音なのだと思われる)。
同じく<ファドの魂>の解説書によれば、
国土が豊かなわけではない小国ポルトガルでは
「男たちは生きるために船に乗りだし、故郷を」想い、
「残された者たちは不安のなかに」生きたという
歴史があったので、サウダードという感情が
国民のあいだで育まれてきたのだということである。

以下のことは私の曖昧な記憶にすぎず
間違って記憶している部分があるかもしれないが、
かつてNHK系で放送された「世界は踊る 世界は歌う」
という番組(アルゼンチン・タンゴの回)によれば、
アルゼンチン・タンゴの哀愁も港町の哀愁からくるもの
なのだそうである。たしかアルゼンチン・タンゴの場合は
(主にスペインやイタリアなどといった)故郷を離れて
ブエノス・アイレスに移民してきた者たちの哀愁と、
それとは逆にこれから愛する者を残して
ブエノス・アイレスを離れねばならない者たちの哀愁が
アルゼンチン・タンゴの哀愁に由来するのだと。

そもそも飛行機なんてものが無かったり
あっても実用的ではなかったその昔、
港町という場所はおそらく現代以上に
「出会い」と「別れ」の舞台としての性格が強く、
したがって「別れ」ゆえの哀愁を心に秘めた人々も
現代以上に多く存在したのではないのだろうか。
私は基本的に海無し県民なので何ともいえないが、
港町と呼ばれる場所にはどんな地方であっても
未だにどこか哀愁がただよっていて、
それが訪れた人々の心をよくとらえたり
音楽関係のアーティストにインスピレーションを
与えたりしている――ということなのかもしれない。
実際、日本の演歌・歌謡曲にしても、
港町やそこに生きる人たちをテーマにした作品の
なんと多いことか。


城下町もさることながら、以前から私は港町を愛した。
そこに生きる人々の哀愁などというものを
実際に感じたり、意識してきたりしたわけでは
なかったが――これからも、
港町とその音楽が好きになれそうな気がしている。


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Twitterをつけてみる

2009-11-12 18:18:43 | 日常
自分の今の心境を140字程度でつぶやくという、
Twitterというもののブログパーツを
今日あらたに貼った。(それにしても、
我ながらずいぶんたくさんブログパーツを
貼ったものだなあ・・・ーー;)
えいみさんがブログでTwitterを使っているのを
拝見するにつけ、私もTwitterなるものが
実際に使ってみてどんなものなのか
気になり続けていた次第である。


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了見の狭い描き方

2009-11-09 08:48:41 | 思索系
大河ドラマ「天地人」。時代は、大坂の陣前夜である。
家康が「国家安康 君臣豊楽」の文言に難癖をつけるという
いかにも意地の悪い手段で豊臣をつぶす策に出たところで
今回の放送が終わった。この策を家康に進言したのは
ドラマでは遠山康光という武将になっているが、
以前ここで記したように
遠山康光は本当は上杉景勝との跡目争いに負けた上杉景虎と
共に自害して果てたはずの武将。
主人公の顔が「天地人」の謙信公(役の俳優さん)に
ソックリな某アニメの名ゼリフではないが、
「お前は既に死んでいる」はずだということである。
また、これはドラマでは隠されていたことであるが
直江の婿どのになっていた本多政重が
新たに兼続からもらった「妻」というのは
高野山に行った兼続の弟の娘であり、彼女をもらった政重は
そのあと一人で勝手に直江家を「出奔」して
前田家に再就職し、置いてかれた新しい妻や
上杉・直江家臣も政重の許についていったのである。

それから今回は、謙信公の姉・仙桃院さまが亡くなった。
ウィキペディアによれば彼女の享年は短く見積もっても
数えの81歳、出演回数が長いなと思いながら観てきたが、
ちゃんと計算してみればそれもそのはずである
(これは私の不確かな記憶にすぎないが、彼女が生きた
戦国時代は「人間五十年」、平均寿命はなんと23歳である)。
ドラマの彼女は景勝のどのへんが「謙信公を超えている」と
言いたかったのか具体的に示してほしいと思ったが、
そこは実の母が愛する息子に対して言った言葉、
彼女は真実を語っているとは考えないほうがよかろう
(私自身はそれほど詳しいわけではないが、
景勝が謙信公よりも優れていそうな点など
ちょっと私には思い浮かべることができない)。
――そうすると、これは前回は気がつかなかったことだが
満ち足りた表情でこの世を去った兼続の父や娘や菊姫も、
自分の愛する者を喜ばせようとして
最後まで優しいウソをついてこの世を去っていったと
解釈するべきなのだろうか??
普段は正直すぎるぐらいの彼らが今わの際のときだけ
そんなウソをつくなど、ちょっと解せないことではあるが。

解せないといえば、兼続らが関ヶ原の戦いの直前の時期に
徳川家康をあえて追撃しなかったことに関して
このたび秀忠が兼続を誉めていたが、あの秀忠も
一体どういう神経であんなふうに誉め称えたのだろうか。
今回の秀忠は、当時の敗軍の将・兼続その人の目の前で
「あの時アンタがウチらを逃がしてくれたおかげで
ウチらは勝つことができたんだ」と喜んだようなもの。
まあ「一体どういう神経であんなことを言ったのか」と
思いたくなるような経験は、誰にでも結構ザラにあるもの
なのかもしれないが――
私が毎回ドラマの家康を観て感じるのと同様、
このドラマの秀忠もあまりに悪役にしすぎではないのか。

ところで、今回は久々に
高台院さまと毛利輝元どのが登場した。
そういえば、毛利輝元どのといえば大坂の陣では
自分の一族を家康の味方として戦わせる一方で
内藤元盛という自分の家臣を「佐野道可」と変名させて
豊臣方の味方にさせていた人物。
関ヶ原の戦いの時に家康に積極的に味方したのなら
ともかく、それこそ関ヶ原の戦いで家康に負けたくせに、
である。彼がこのような二股外交をした理由については、
私の数少ない資料の一つ『別冊歴史読本 真田幸村と
大坂の陣』の投稿者の一人の推測によると、
「大坂城が徳川の攻撃に数年間は持ちこたえ、
その間に家康の寿命も尽きるだろうと楽観した輝元が、
冬の陣の直前、勝利の暁には大封を与えると約して
元盛を(大坂)城へ入れた」のではないか、という話である。

だが一方、兼続が仕える上杉景勝については
私の知る限りそのような豊臣家に味方をするような
行為をした話は聞いたことがないし、
実際に上杉家が家康の味方として大坂の陣に参戦する
資格を持っていたという事は
それだけで上杉家の忠義が家康に信用されていたことを
意味するのではないのだろうか(それもおそらくは、
兼続が直江の家を本多に差し出すなどした努力の
賜物と思われる)。その上杉景勝とは対照的に
徳川幕府の感情を逆なでするような行為を続けた
福島正則は、大坂の陣のときには江戸に閉じこめられた。
また、関ヶ原の戦いの後も家康に反抗的だった
黒田如水を父親に持ち、大坂方の侍大将になった男を
むかし家臣にしていた黒田長政も、
やはり冬の陣では江戸に閉じこめられ
自分の妻子を江戸へ人質にやったり武器の材料を
家康に提供したりして誠意をみせることによって
ようやく夏の陣では参戦が許可されたのである。
「家康は上杉を信用するようになっていた」という
私自身の推測を信じる限り、私は
家康の信用を得るための工作していた本人である兼続が
この期に及んでなおも豊臣に近づいていたとは思えないし
少なくとも豊臣に近づくべきではないと思うし
(なぜならそうした行為は自分が今までしてきた工作の
成果を台無しにする恐れがあるから)、
個人的にはむしろ、例えば家康が上杉を信用してくれた
ことに対して兼続が(たとえうわべだけではあっても)
感謝の言葉を述べたり力強く握手を交わすようなシーンが
現れますようにと望む次第であるが、
そこは兼続らのアンチテーゼにはどこまでも寛容でない
了見の狭いこのドラマの演出上、
そのようなシーンもたぶん出てこないであろう。
(おそらくはそれだから、私は
今年の大河ドラマがイマイチ好きになれないのである――)


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大友宗麟の理想と現実

2009-11-05 21:19:16 | 思索系
今日、時代劇専門チャンネルで
「大友宗麟 ~心の王国を求めて~」を観た
(この時代劇は、もともと2004年にNHKで放送された
正月時代劇である)。2004年にリアルタイムで観ていた頃は
話の内容が充分把握しきれず消化不良を起こしていたので、
今日になって改めて観てみたくなったのである。
後に「立花道雪」と名乗ることになる宗麟の家臣の
着物が今年の大河ドラマ「天地人」の石田三成の服と
酷似していたのはともかく――
私としては時代劇とか大河ドラマを根拠にして
歴史上の人物の業績の価値や人格を
決めつけるつもりはないが、今日観たこのドラマは
大友宗麟らを次のように描いていたと感じる次第である:

時代はまさに、身内・家臣との間で「殺し」や「騙し」が
当たり前だった戦国乱世の時代――
宗麟や彼の一族や家臣はみな、キリスト教で言うところの
「愛」とか、それがもたらす「安らぎ」をどこかで求めながらも
現実的にそれらを求めることができないでいて、
宗麟はそんな現実に徐々に疲れを覚えてきたが
既存の宗教はそんな彼の心を救ってくれそうにない。
そんな彼の前に新しく登場した「殺すな」「騙すな」という
教えのキリスト教に、彼は自分の心の救いのカギを見出した。
自分の望み(心の安らぎ)を得ることと現実(乱世の時代ゆえに
必要に応じて人を疑ったり死なせたりせねばならないこと)とを
両立するすべが分からなかった宗麟は、晩年になると
心の安らぎを得たいという願望から逃げなくなった代わりに
必要に応じて人を殺さねばならないという乱世の現実からは
逃げるようになっていった。

しかしながら、こうして宗麟が「殺すな」「騙すな」という
乱世の常識とは相容れない教えに傾倒していくと同時に
彼の戦い方や根性もまた中途半端なものになっていき、
晩年には島津との戦いの支援を依頼した相手である秀吉に
「(宗麟は)なにか悟りきらぬ坊主のような物腰をしている。
あれでは島津に勝てるはずがない」と評されてしまった
(そして、「キリスト教が宗麟の国を滅ぼす」という
宗麟の奥方の言うことが、現実になってしまった)。

晩年の宗麟は戦いのない「(キリスト教の)神の王国」を
築きたいと願ったが、この番組で少ししか登場しなかった秀吉も
実は「おんな太閤記」という大河ドラマのなかでは
戦いのない世を築くという理想ために戦いを繰り返したり
身内を犠牲にしたりせねばならない現実の矛盾と葛藤していた
(もっともこれは、私の古い記憶が正しければの話であるが)。
キリシタンになった晩年の宗麟も、後にキリスト教を弾圧した
秀吉も、実は志す国のかたちが同じだったのかもしれない。
「おんな太閤記」の秀吉はドラマの宗麟と違って
理想との両立が不可能な現実から逃げるような真似は
天下統一を果たすまでしなかったということにも
なりそうだが――まあ、そもそも秀吉は地理的に
大友宗麟よりも天下に近い男だったのだから、
こうした両者(秀吉と宗麟)の条件の違いも考慮に入れずに
現実問題への対処の仕方について両者を比較して
宗麟のほうを相対的に低く評価してしまうというのは
いささか酷な話のように思えるのである。


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