黒い瞳のジプシー生活

生来のさすらい者と思われた私もまさかの定住。。。

2021年が終わる

2021-12-31 21:13:15 | 日常
今年も、いよいよ残りわずかとなった。

今年の大河ドラマは渋沢栄一であったが、
明治新政府樹立の成功が決して西国の外様大名の藩の連中だけの手柄ではなく
旧幕臣の力によるところも大きかったという主張になっていた。
幕末に老中の支配下にあった旧川越藩出身の私も、
そんな内容に対して密かに快哉を叫んでいた口である。
それにしても、この「青天を衝け」を観てあらためて感じたのは
天皇という存在の大切さである。
ドラマで尾高惇忠が明治時代に製糸業に携わる決意をした時には
「お上の御代にもなったことだし」と言っていたが、
彼のようなアンチ倒幕派がかつての倒幕派のもとで働く気になるのも
明治天皇の存在が大きいからのような気がしている。
私の想像にすぎないけれど、もしあの時代に天皇も皇室も失っていたら
当時の日本は史実以上にまとまりが悪くなって
明治維新も史実以上に混乱を極め、下手すると漁夫の利を得た欧米列強の
植民地になっていた恐れすらあるのではないか。
それなりに様々な困難はあっても、幕末維新や終戦直後ほどの国難でもなければ
皇室の必要性に疑問を感じることもあるのかもしれないが、
このように少し近現代史を学べば
皇室は少なくともこれからも日本のために必要であるように思えてくる。
この先も日本がどれほどの国難にみまわれ、そこで皇室という存在が
どれほど日本の役に立つかもしれないのだから。
たしかにその時の国民の意識や皇室の在り方次第ではあるかもしれないが、
その前提としてまず、皇室というものが失われずに存在していなければならない。

――このように感想を少し述べては見たものの、
本当は私は天下国家よりも、まずおのれの健康状態を心配しなければならない。
今日もこの大みそかに及んで少し寝こんでいたが、大事には至らずなんとか持ち直した。

健康でなければなにも始まらない。
――みなさんも、よいお年を。

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映画「信虎」

2021-12-07 12:05:20 | 思索系
ツイッターでもとりあげたのは、武田信玄の父・信虎を題材にした
映画「信虎」であった。仕事や体調不良などあってなかなか
時間をつくれなかったが、先日なんとかすべりこみで鑑賞できた。
なんといっても武田信玄の名声が大きくて
なかなかスポットが当たらないであろう父・信虎の映画を
どうにかして一度観ておきたかった。
なお、この映画のサウンドトラックを手がけたのが
かつて大河ドラマ「独眼竜政宗」のテーマ曲を手がけた
池辺晋一郎さん。映画の最後のキャストのBGMでも心に残ったので
このたびはサウンドトラックをダウンロードした。
今どき珍しいゆったりとしたテンポに
新羅三郎義光以来の名家の気品、老境の諦観、
そして、時折あらわれる往年の気概と栄光の残照。
ーー個人的にはそんなものが感じ取られ、心に残った。

甲斐源氏・武田家の18代当主・信虎は、かつて甲斐国を統一して
現在の甲府の町の基礎をつくり、その後も精力的に外交・軍事を
進めていったが、嫡男・晴信(信玄)や家臣団との関係が悪化したため
彼らによってある日突然、甲斐から閉め出され、「追放」となり、
その後駿河の今川氏、足利将軍家などによった生活を余儀なくされた。
映画は、そんな信虎が息子・信玄の危篤の報を受けて
甲斐国に戻り、甲斐武田家を救おうと模索する物語である。
この時点で、信虎は既に80歳になっていた。
表現上のディテールには今回はあまり気がつくことができなかったが
歴史に関するディテールにについては
例えば「おぶ」と読まれることの多い名字「飯富」を「おお」と
言っていたり(飯富とは、亡くなった信玄の家来の一人の名字のこと)、
越後の謙信のことを武田家中では「上杉謙信」ではなく
「長尾」謙信で通していたことなど、興味深い点があった。
(ウィキペディアの武田信玄のページにある「逸話」によると、
長尾家が関東管領として上杉姓になると
武田姓よりも格式が上になってしまうからだそうである)

しかしながら、特に映画の冒頭については解けない謎が多かった。
まず、信虎が息子・信玄の危篤の報を受けた際に
使者が信玄所有の北斗の軍配を信虎に渡したのはなぜなのか。
使者が勝手に軍配を持ち出すとは考えにくいので
信玄が渡すよう命じたのだろうが、一体なぜなのだろう。
また、軍配を受け取った信虎はこれを息子・信玄からのSOSだと
解釈したが、これを見た使者は明らかに失望した様子である。
信虎の勘違いにすぎないのであれば、なぜ否定しようとしないのか。
そして、かくして信虎は足利義昭によって託された持ち場を
勝手に離れて甲斐にむかってしまうが、その「持ち場」は
その後どうなってしまったのか。

ともかく、武田家を救うべく信虎が命がけで信濃国(武田家の領地)まで
戻っても、あまり歓迎されることはなかった。
このため信虎の解釈は勘違いであったということになるだろう。
信虎とその身内・家臣が、武田逍遥軒のいる信州・高遠城から
信州・小県の禰津城に移動する際に
護衛もなく、信虎やその娘のための輿すら用意してもらえず、
雪深い信州の山道をみんなひたすら徒歩で移動していたところなど、
実に象徴的だと思われる。

そもそも、たとえ信虎の過去や人間性がどれほど立派でも
一度、当主の座を退いた者がしゃしゃり出てきては混乱のもとだと思う。
武田家を救うためだとしても、自分が当主になりかわるのではなく
あくまで一家臣として武田家を支えるべきだろう。
例えば、信虎の場合は甲斐追放後に手に入れたであろう
人脈なり経験を最大限、活用するなどの手段が考えられる
(外交上の窓口の一翼を担う、あるいは諜報活動の一翼を担うなど)。
また、信虎の寿命がいつ尽きてもおかしくないので、
手に入れた人脈などを若い家臣に引き継ぐことも必要だろう。
甲斐追放後に見聞きしたことをできうる限り情報提供したうえで
アドバイスをするだけでも有益かもしれないが、
それもあまりしつこく言うべきではないように思う。
ーーもっとも、これはあくまでも個人的な理想論で
信虎の立場なら心配すぎて自分が表に出ずにはいられなくなるだろうし
ましてや孫の勝頼が寵臣の言うことしか聞かない猪武者とあっては
危なっかしくてたまらないだろう。

ただ、この映画の信虎の心中には、
お家を守らねばならないという使命感以上に
武田家当主が務まるのは自分しかいないという強い自惚れが、
多分にあるように感じられる。
命がけで戻ってきても甲斐本国までは入れさせてもらえず、
自分が再び武田家当主になろうと言っても支持を得られなかった
にもかかわらず、武田家を取り仕切る勝頼の許可をとりつけることもせず
独断で次々にお家存続活動を展開する。
例えば、眼力で人の心を操る秘術「妙見の秘術」を使ったうえで
一族の一人に「武田に万一のことあらば寝返って存続を図れ」と
言ってみたり、越後の上杉謙信に兵を引くよう勝手に書状を送ってみたり。
信虎に勝頼を立てる気持ちがあるなら、
これらのことを進めて良いか必ず事前に相談するはずである。

信虎自身は、あくまでも純粋に武田家のことを案じて
こうした活動をしているつもりかもしれない。
特に、修行して「妙見の秘術」を会得して
武田家存続の望みを自覚した後の彼は、
息子・信玄の悪口は言わなくなってむしろ褒めるようになるなど、
多少の心境の変化も見られた。
だが思うに、それでもなお、昔年の突然の甲斐追放の無念は
ぬぐいきれなかったように見受けられる。
だからこそ、最初は自分が再び当主になることを提案し
それが却下されても自分が当主であるかのように
独断でお家存続活動を続けていたように感じられた。
現代に伝わる信虎の肖像画があって、
その顔もたしかに眼光鋭いのだが、「無人斎道有」の法名に相応しく
ある日突然強制的に国造りの夢を絶たれた無念と
これを乗り越えて前向きに生きようとする野心とが
ないまぜになったような、実に複雑な表情をしている。

追記:映画の冒頭の謎に関する考察については、ツイッターをご覧ください。
こちら

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映画『信虎』オフィシャルサイト

10月22日(金)よりTOHOシネマズ甲府にて先行公開!11月12日 (金) よりTOHOシネマズ日本橋ほか全国公開!

映画『信虎』オフィシャルサイト

 


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