黒い瞳のジプシー生活

生来のさすらい者と思われた私もまさかの定住。。。

アニメ化されてるー

2007-11-29 21:30:09 | 日常
驚いたことに、
イギリスのコメディ「Mr.ビーン」が
なんとアニメ化されていることに気づいた。
いや・・・でも、よく考えてみると、
そもそもビーンを演じるローワン・アトキンソンの
あの顔のつくりは、アニメ化されるために
あるようなものだったのかもしれない。
(↑・・・なんだか、すごく失礼!?)
でも、アニメも見てみたいなあ。

アニメのMr.ビーン

確か・不確か

2007-11-28 23:59:10 | 思索系
NHKの「そのとき歴史が動いた」を見ていた。
今日の話題は、福澤諭吉らの恩師・緒方洪庵による
天然痘撲滅のための活動であった。
緒方洪庵は今の岡山県出身だそうだが、
『県民性は7392通り!』
(著:矢野新一 発行:H&I)によると、
昔から工業が盛んな岡山の人間は
合理的でクールな人が多いそうなので、
(もちろんそうとは言えない人もいるのだろうが)
洪庵は岡山人らしい人だったのかな、と思い
興味深かった。

だが、それ以上に強く感じたことが、
ゆるぎない確かな事実の効力の、なんと強いことか。
すなわち、不確かな偏見に支配された民衆の心や
腰が重かったであろう江戸幕府の
お役人さまを動かしたのは、牛痘ワクチンが実際
天然痘に対して絶大な効果を発揮したという
確かな事実であった。
また、洪庵が信念を貫くための助けになっていたのも、
「牛痘ワクチンは天然痘に効くのだ」という
ゆるぎない事実だったに違いない。

ただし思うに、事実は単独では有効にならない。
つまり、お上が「牛痘ワクチンを使いましょう」と
スローガンを掲げただけでは、
事実は単独のままで有効にはならないので、
有効にするには、最下の現場に行って
実際にワクチンを地方に無料で医師に配り歩いたりして
行動しなければならない(庶民がワクチンの効果を
目の当たりにすることができたのは、
洪庵がこのように行動してきたからである)。

そしてそれだけではなく、事実を有効にするには、
さらに事実が迷信や金儲けに勝利しなければならない。
もし事実が、金儲けに負けるかたちで
有効でなくなったならば・・・
洪庵を苦しめたヤブ医者のように、
偽のワクチンを危険なやり方で広めることになるだろう。

不確かなことばかりを追及している私は、
愚かな人間かもしれない――
私は時々、このような思いにかられることがある。
だが、もし不確かなことを追求する人間を
愚かだと決めるのであれば、
人類の永遠の謎である普遍の真理に挑む今昔の大哲学者も
愚かだと言わねばならなくなる。
(仮に私個人は愚かであると断定できても、)
そしてこう考えてみると、この決め付けは明らかに
私の理解を超えてしまうのだ。

愛すべき者を守る神

2007-11-25 22:20:19 | 思索系
毎週恒例、大河ドラマの話。
今日は上杉謙信が自分の「おごり」に
気がついた話であった。
前回の話から思うと、おそらく勘助のほうは
「謀略で何でも思いどおりになる」という
「おごり」にまだ気がついてないようなので、
勘助に先んじて自分の「おごり」に気づくことが
できたのは、幸運なことであろう。

神と人間の違いに関しては
(「不変か無常か」だけではなくて、)
常に愛を持っているか、いつもそうとは限らないか、
あるいは何でも知っているか、知らないこともあるか、
という違いもある。
だから、成田氏に怒った無知の謙信は神とは言えない。
成田氏の妻はおそらくこんなふうな指摘をして、
謙信は自分が神でなく人間であることを思い出した。

人間であることを思い出した謙信はその後、
人間を超えるという決心をする。
「人間を超える」というのは、家の未来永劫の存続
という、ある種の不死性を手に入れるということだ。
そしてその家を守るためにも謙信は、
御仏のように家族を愛するようになった。
同じ高野山の僧のもとで勘助と語った頃では
人を愛することを「淫欲」と決めつけて
毛嫌いしていた謙信だったが、謙信の姉が語るように、
そのころとは明らかに様子が変わっていた。

話が戻るが、
神に変わらない愛が宿っているということは、
勘助が「ミツ」や由布姫や「リツ」に渡していた
あの「マリシテン」は、勘助の変わらぬ愛の証である、
ということになる。
「マリシテン」も神であるからだ。
勘助は謙信よりも先んじて
愛すべき「城」(マリシテンを渡した相手)を守ってきた。
そして今、若い香坂弾正に愛すべき「城」(=リツ)を
渡して、その城を守る術を学ばせようとしているのだろう。

雪椿

2007-11-23 22:37:53 | 美術・音楽系
今日は、日本テレビで14時5分前から
二時間半も歌謡曲が放送されていて楽しかった。
特に、小林幸子さんの「雪椿」は
なんとなくなら何度も聴いたことのある曲だったが、
作曲した遠藤実さんがこの歌のレッスン中に
母を思い出して涙を流したという
エピソードを今日あの番組で知って、
その後で流れてきた「雪椿」をきいていたら、
なぜかこちらもジーンときた。
良い曲だったんだなあ。

伝説の洞窟発見??

2007-11-22 22:24:23 | ギリシャ・ローマ系
昨日付けのヤフーニュースで、
「ローマ建国伝説の遺跡発見か」という
シュリーマン級の驚くべき記事を発見した。
(時事通信によるネタ、こちら
だがとりあえず、私はこの出来事について
もっと詳しく知りたいと思い、
さらに同じ記事を検索していった。
そしてその結果、
ヤフーの記事より日付が三時間半遅れている
共同通信の記事を発見した(こちら)。

日付の時間の差の小ささと、発見された
物と場所と建設年代からすると
おそらくこれらは同じ記事のようである。
しかしながら、前者の記事の内容が
ローマ建国伝説の証明のキッカケが
出てきたかのような表現になっているのに対し、
後者の記事のほうは、読んでみると
伝説の証明のキッカケには全くならないような
発見であったかのような表現になっている。

・・・・・・ひょっとすると、
結局のところローマ建国伝説の遺跡発見は
幻だったということだろうか。

地名と名字のルーツ

2007-11-21 23:41:09 | 歴史系
NHKの「そのとき歴史が動いた」を見ていた。
話題は、6世紀に天皇に即位した
越前の英傑・継体天皇(聖徳太子のひいじいさん)
であった。
学生だった頃、あの時代の日本史は苦手だったし、
正直、名前しか知らなかったので、ひたすら
ヘーヘーホーホー言っていただけなのだが、
それだけでなく、
番組を見ていると地名や名字のルーツを
垣間見ることもできたので面白かった。

ついさっき検索して確かめてもみたのだが、
現在の長崎・佐賀・熊本あたりは、その時代は
「火」と呼ばれ、どうもそれが武士の時代の
肥前・肥後の地名の由来になっているようだった。
同様に、継体天皇の時代に「豊」と呼ばれた
地域(大分あたり)は、武士の時代になると
豊前・豊後と呼ばれているようだった。
それにしても、なぜ現代ではこうした
「火」とか「豊」の字が全く県名に
活かされていないのか、不思議に思う
(もちろん現代の県名も、それはそれで
それぞれ何かにちなんではいるようだが)。
明治新政府の人間が、幕府色の強い地名だから
といった理由で、敢えて却下したのだろうか。

また、継体天皇が地方に設置した「屯倉」は、
どうやら「三宅さん」の名字に関連があるらしい。
屯倉の子孫が現代の三宅さんなのかな、と思って
検索してみれば、どうも違う説もあるようだし、
やっぱり一筋縄ではいかない感じだったが。

オモシロ名言集

2007-11-20 23:20:13 | 日常
『人生を奮い立たせるアウトロー100の言葉 』
(著:山口智司 彩図社)を買った。
そもそも紹介された有名人の大半は
アウトローとは言えないし、
(1992年の『カタカナ語新辞典』によると、
アウトローとは、法律の保護を奪われた人や、
法秩序からハミ出た人のことを指す)
どう考えても人生が奮い立つとは思えない
言葉もあったし、
(例えばマリリン・モンローの「シャネルの5番」
発言とか、心中相手だけを死なせてしまった
太宰治の釈明「その女が最後に呼んだ名は
ぼくの名じゃなかったのだ」とか)
個人的には「トンデモ名言」とでも題してあるほうが
まだ適切に思えるのだが、
もちろん知らなかった話も多かったし、
この本がキッカケで興味を持つ人物も
出てくるかもしれないし、
もしかすると多少なりとも思索の際のヒントに
なるかもしれないので買ってみた。

ブログを少し飾る

2007-11-19 23:39:01 | 日常
何となくデザインが殺風景に感じていたので、
ブログのタイトル部分を、少し飾った。
もっとも、そんなに殺風景さは
変わってないかもしれないが・・・
ロゴは、イリアスの冒頭部分を古代の碑文ふうに
仕立てたものである。
イリアスの冒頭の文は、下図の如くであり、



「メーニン アーエイデ テアー ペーレーイアーデオー
 アキレーオス ウーロメーネン ヘ ミュリー」
(ただし、この読みがなについては、
長音の位置などが間違っているかもしれない)

「怒りを歌え、女神よ。
ペレウスの子アキレウスの呪われた怒りを。」
の部分に相当する。

あてにならない人生

2007-11-18 22:03:45 | 思索系
毎週恒例、大河ドラマの話。今日は、
忍城(今の埼玉県行田市)が話題になった。
時代がだいぶ違う話だが、
江戸時代では、忍城下には最大で10万石の
「忍藩」が存在した。
そして、その石高にちなんで作られたのが
十万石まんじゅう」である。
私はあのまんじゅうだけは大好きで
(具体的には、あの上品な甘さのこし餡と、
しつこすぎを抑えた程よい大きさが好き)、
店を見つけたときにある程度お金があったら
大抵は買っていく。
ただし、私の地元の川越は
江戸時代の石高は最大で17万石であったが。

それはともかく、今日の話の中心は
「上杉謙信のおごり」であった。

宇佐美という家臣は、
「おやかた様とて人間だから、おごりが出てくると
危ない」ともらしていたが、
なぜ人間であるとおごりが出たときに危ういのか。
それはおそらく、人間の未来は神の未来と違って
不確かなものだからではないだろうか。
今まではうまくいっても、次もうまくいくとは限らない。
確かに、過去の実績は未来の実績を測るための
手がかりにはなるかもしれないが、
それは所詮過去の事実であって、未来の事実ではない。
そして、ここでもし「おごり」によって
過去の事実と未来の事実を混同してしまうと、
その時おそらく人は自分を神だと錯覚してしまうのであろう。
なぜなら、神には過去も現在も未来も無い
(=つまり、神は永久不変である)からである。

同じように、晩年になって自分を神だと信じた信長は、
本能寺で明智光秀の襲撃を知ったとき、
「是非に及ばず(=しょうがない)」と言った。
明智光秀の謀反の理由については諸説あるが、
もし信長が晩年になっても自分が人間であることを
忘れていなければ(=過去の事実と未来の事実を
混同せず、未来が不確かであることを忘れてなければ)、
用心深い信長の事だから「しょうがある」ことも
あった(つまり、本能寺に堀はあったにせよ、
もうちょっとマシな対処の仕方があった)のかもしれない。