黒い瞳のジプシー生活

生来のさすらい者と思われた私もまさかの定住。。。

影の薄い河越重頼と京姫

2022-04-05 16:02:30 | 歴史系(ローカル)
今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を毎度、楽しみに観ている。
この時代には埼玉ゆかりの武士たちが多く登場するからであるが、
私の地元・埼玉県川越市ゆかりの武将・河越重頼もこの時代の人物で
その娘が源義経に嫁いでいる。その娘の本名は未だ不明であるが、
郷御前とか京姫の呼び名で知られ、「鎌倉殿の13人」では
「里」の名で登場している。

ところが、この河越重頼・京姫親子の出番の、なんと少ないことか。
まず、さる2005年では婿殿の義経が大河ドラマの主人公に選ばれた
にもかかわらず、主人公の舅にもなる重頼が登場したのは、
なにかの戦いのあとの論功行賞の場面の一瞬だけ。
京姫は父・重頼よりは出番が多かったものの、
同じく義経に嫁いだ京の白拍子・静御前の方が京姫よりも
圧倒的に登場が多く、強い存在感を放った。
また、先月まではアニメで「平家物語」が放送されたが、
そこでも、静御前はなぜか後半で登場しても、京姫までは登場しなかった。

さて、この点について「鎌倉殿の13人」ではどうなるだろうか。
史実では、源頼朝の挙兵後、最初は頼朝に敵対していた畠山重忠が
あとで一転して頼朝の味方になるが、河越重頼もこのとき
「はとこ」の畠山重忠と一緒に頼朝の味方になっている。
畠山重忠が頼朝に味方するべく合流する場面はドラマでも描かれたが、
その場面に河越重頼の姿は見られなかった。
源頼朝にとって、畠山重忠と同じく武蔵武士団を率いる実力者だったはずの
河越重頼が初めからこのような扱いでは、
下手すると一度も登場してこないかもしれない。
一方、「里」こと京姫は最近登場しはじめたが、
静御前が登場するのはまだこれからで、義経との愛の物語に彩られた
静御前は京姫よりは強い光を放って存在感を誇ることが予想される。

この、河越重頼・京姫親子の影が薄い謎の答えになるかもしれない
論文を、私は最近ネットで発見した。
「京都橘大学学術情報リポジトリ」というサイト内にある
河越重頼の娘――源義経の室――」という論文である(PDFファイル)。
この論文に即して、この謎に対する一つの答えをまとめていきたい。

まず、彼らの影が薄い直接の理由は、『吾妻鏡』のなかで
京姫よりも静御前に関する記事の方が多く、
また河越重頼に関する記事も、畠山重忠と比べて登場頻度が少ない
からであるが、この論文ではさらにその理由として
『吾妻鏡』の編纂者がそのように記事を「選択・操作」したからだとしている。
なぜ、そのようなことをしたのだろうか。

『吾妻鏡』は北条氏を正当化する立場にあるが、
「鎌倉殿の13人」でも比較的出番の多い畠山重忠は北条時政の娘を
妻にするため、北条時政の姻族と言える。
一方、前回の私の記事でとりあげたように、京姫は比企尼につながる女性でもある。
河越重頼の妻が、比企尼の次女だったからである。
そして、この比企一族は北条時政の政敵として滅ぼされた一族である――。

そもそも源頼朝にしてみれば、必ずしも北条氏だけを源家一族の外戚とする
つもりはなくて、だからこそ比企一族とも姻戚関係を築いていった。
しかし、源頼朝が亡くなると、権勢を強めた比企一族を脅威に感じた北条時政が
比企一族を滅ぼしてしまった。そして、そのあとで編纂者が『吾妻鏡』を
編纂する際には、北条氏とつながりのある畠山重忠に関する記事は載せるけれど
比企尼とつながる河越重頼と京姫に関する事績は隠ぺいする――
ということになったのではないか、というのである。
また、静御前が『吾妻鏡』で登場頻度が多いのも、彼女が北条氏とは
直接利害関係が無いからではないかということだ。

なお、ドラマの「鎌倉殿の13人」では頼朝のあずかり知らぬところで
義経と京姫(里)が結ばれてしまったが、この論文によると彼らの結婚は
もちろん頼朝の命令によって実現したもので、この命令には
「東国に所領や家人の基盤を持たなかった義経を、武蔵国留守所総検校職を
掌握した河越重頼の婿にすることで、東国の有力御家人の後見人を付ける
頼朝の厚意」があったのではないかとしている。
しかしながら、結婚後、頼朝と義経が対立することになると、
頼朝はそれこそ河越重頼が義経の後ろ盾になって対抗してくることを恐れ
重頼を息子・重房ともろとも誅殺してしまったのだった。


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