先月お手紙をくれた友人たち4人と、昨夜少し遊んだ。
連絡とるのも何年ぶりかという友人がほとんどである。
この年齢で根をはれずに肩身の狭い思いをしている私は
「今なにしてるの」と聞かれるのが嫌だったが、
今回は寂しさに負けて誘いにのったのだった。
手紙をくれた子とはまた別の友人だったが、
会ってみればやはり「みんな今なにしてるの」と
悪気のない質問をしてくる子がいた。
最後に私の番になってウソをついてもためにならないので
元カレとの別れの顛末もまじえて「働いてない」と
答えてみれば、
なぜか急に水をうったように静まりかえり、
誰も何も言葉を発してくれなかったので
私の方がいたたまれなくなって
話題を変えてしまった。
少なくとも彼女らは私が働いてないことを
バカにしていないように見えたし、
それが友情というものだということも
本当は彼女らに会う前から分かっていた。
ただ彼女らが友情というものを
経験的に理屈ぬきで理解できているのに対して、
私だけはまだ頭の中の理屈でしか理解できていない。
きっとこれは、友情というものにふれあうことなく育った
子供時代のことが響いているに違いない――
私は今日になって、ようやく思い知らされたようだ。
連絡とるのも何年ぶりかという友人がほとんどである。
この年齢で根をはれずに肩身の狭い思いをしている私は
「今なにしてるの」と聞かれるのが嫌だったが、
今回は寂しさに負けて誘いにのったのだった。
手紙をくれた子とはまた別の友人だったが、
会ってみればやはり「みんな今なにしてるの」と
悪気のない質問をしてくる子がいた。
最後に私の番になってウソをついてもためにならないので
元カレとの別れの顛末もまじえて「働いてない」と
答えてみれば、
なぜか急に水をうったように静まりかえり、
誰も何も言葉を発してくれなかったので
私の方がいたたまれなくなって
話題を変えてしまった。
少なくとも彼女らは私が働いてないことを
バカにしていないように見えたし、
それが友情というものだということも
本当は彼女らに会う前から分かっていた。
ただ彼女らが友情というものを
経験的に理屈ぬきで理解できているのに対して、
私だけはまだ頭の中の理屈でしか理解できていない。
きっとこれは、友情というものにふれあうことなく育った
子供時代のことが響いているに違いない――
私は今日になって、ようやく思い知らされたようだ。