先の22日、大河ドラマ「天地人」が最終回をむかえた。
幸運にもその日のうちに放送を観ることはできたのだが、
「天地人」に関する感想は一応、直江兼続を題材にした
昨夜の「歴史秘話ヒストリア」を見てから
載せるつもりであった。
これは「ヒストリア」を観て初めて知ったことであるが、
家康たちに負けた兼続が領地を1/4に減らされても
召し抱えている武士の数を減らさなかった理由については、
ただ単に「義」を貫きたかったからなのではなくて、
「ことごとく家康の味方になっていた周辺諸国から
戦いを再び仕掛けられる心配があるので戦力になる家臣の
数を削ぐわけにはいかない」と考えたからなのだそうである。
「義を貫きたい」などという精神論的な理由よりも
この理由のほうが実際的に思えるので、
ドラマ「天地人」でもこの実際的な理由を採用したほうが
ドラマの内容にリアリティが増して面白くなるような気がする。
――とまぁ例えばこんなふうに、私は
毎週毎週わかったような事を偉そうに記しつづけ
的外れな意見もだいぶ多く述べてきた。
先の「天地人」の最終回自体については
今となっては私の記憶が古くなりつつあるので
もはやそう細かいことを述べるわけにはいかないが、
まずは1年間にわたる「天地人」の放送を振り返ってみる。
いつかも記したように、私はついに
今年の大河ドラマをあまり好きになれなかった。
その理由は一つではないが、おそらく最も大きいのは
その人物描写の強引さや薄っぺらさにある。
具体的には、
「兼続のことを自分でよく知りもしなかったり
兼続に何か大したことをしてもらったわけでもなかったり
むしろある意味兼続の被害にあってたりするはずなのに
どうしてそんなに兼続を高く評価できるのか」と
ツッコミたくなりような登場人物が多かったところ、
また、たまたま兼続の政敵だったからといって
遠山康光や徳川家康を人間的にも悪者に仕立て上げてしまう
ところである。政治的な利害関係と各武将の人間性との間に
必ずしも関連があるとは限らないはずだし、
政敵といえども人として同じように悩み、苦労し、
それでもひたむきに生きようとしていたはずなのである。
例えば遠山康光という武将は実際は
主君・上杉景虎のために追い腹できるほどの
忠誠心の持ち主だったようだし、徳川家康についても――
彼は全ての現代人に好かれているわけではないだろうが、
彼とて上杉と同じように国替えの憂き目にあっていたし
彼が三河武士たちの人望を集めていたことや
「三方ヶ原の戦い」で見せた信長に対する律儀さ
――(家康は若かりし頃、「三方ヶ原の戦い」を経験した。
それは当時、家康が同盟を組んでいた信長よりも強力な
武田信玄を相手にせねばならない戦いである。
もし家康が並の律儀さしか持ちあわせていない武将であれば
ここで信長から武田信玄への寝返りをするはずであるが、
家康はあくまでも信長との同盟関係を貫き、
信長はそんな家康を信頼するようになった――というのが、
別冊歴史読本『徳川家康 天下人への跳躍』に載っている
司馬遼太郎さんの家康論のごく一部である。
またこの家康論によれば、秀吉の死後、
秀吉の大名たちがこぞって家康のもとに奔った理由の一つも、
それまで秀吉に律儀に従ってきた家康に対する
信頼感ゆえであるという――)を思うと、
家康にもむしろドラマの兼続が好みそうな側面が
あったのではないかと思えてくるのである。
最終回のドラマの家康は、自分の人生を振り返って
「裏切ったり裏切られたりの人生じゃった」と言い
息子・秀忠にも嫌われている苦悩を吐露していたが、
家康をそのように描くつもりなら、なぜもっと早いうちから
彼の心の痛みをドラマで描いてやらなかったのだろう。
家康が兼続の流儀を理解し受け入れることはあっても、
逆に兼続が家康の流儀を理解し受け入れるということは
「天地人」ではついになかった。
たしかに自分が守るべき者や自分に似た価値観の持ち主は
大切にする反面、そうでない人間に対しては
非常に了見が狭く、立場や相手をわきまえずに
「義」の布教活動にいそしんだ「天地人」の兼続を
私は好きになれなかったが、
今の私にとって一つだけ確かなことは
そんなかたくなな私も実は「天地人」の兼続と大差が無い
ということなのであった。
それにしても、最近の大河ドラマの戦国武将は
心なしか草食系に見えるよう描かれている気がする。
まずドラマの中心的存在に選ばれる戦国武将が、
上杉謙信(一昨年の「風林火山」・「天地人」)、
山内一豊(3年前の「功名が辻」)、直江兼続などといった
妻を一人しか持たない(あるいは全く持たない)武将だったり、
2002年の「利家とまつ~加賀百万石物語~」の主役・
前田利家の場合は、実際には側室がわんさか居たものの
ドラマでは側室は一人しか出てこなかったらしい。
またさらに、再来年のドラマの主人公の夫・徳川秀忠も
ウィキペディアによれば基本的に恐妻家らしいのである。
現代の男の子たちのみならず、「きったはった」の世界の
戦国武将までもが草食系と化してしまうのは
一人のオンナとして寂しい気もするが、
まぁこのような法則を信じるとするなら
同じく恐妻家である福島正則がいつか主役に選ばれるのも
期待していいかもしれない。
漫画『風雲児たち』の作者・みなもと太郎さんは、このような
草食系戦国武将(山内一豊や、お静の方に恋する前の秀忠)を
バカにしているフシが見受けられるが
(ただし同じ恐妻家でも『風雲児たち』では出番が少ない
福島正則については、そうでもないようである)、
実は個人的にはどちらかというと
みなもと太郎さんの描き方に好感を持っている。
さて、昨夜の「歴史秘話ヒストリア」の題材は
厳密に言うと直江兼続一人ではなく、彼以降の世代の
「義の心を持った」米沢の武士たちも題材になっていて、
例えば、明治維新の戦いに敗れた挙句に職を失った
浪人たちのために職業を探すかたちで
彼らを立ち直らせようと奔走した雲井龍雄という
身分の低い一介の米沢藩士も題材になっていた。
しかし、当時の明治新政府はそんな雲井たちの求職活動を
新政府への反乱のための工作活動と見なして雲井らを逮捕し、
雲井は斬首されてしまったということである。
以前同じ番組で勝海舟が取りあげられ、
彼もまた明治維新で職を失った幕臣たちの再就職のために
日々奔走していたことを思い出すにつけ、
もし雲井龍雄が勝海舟の知遇を得ていたら
それが雲井にとってどれだけプラスになっただろうかと
残念に思ってしまった。勝海舟は豊富な人脈を持っていて
西郷隆盛にも高く評価されていたそうなので、
もし雲井が海舟の後ろ盾を得ていれば
それだけで斬首も逮捕も免れ、浪人のための求職活動も
少しは容易になったかもしれないのである
(雲井が斬首になった明治3年の時点でも、
西郷隆盛はまだ下野していないようである)。
昨夜の「ヒストリア」だけでなく「天地人」を観ていても
思ったことだが、やはり「義」を貫くためには
権力、数の力、後ろ盾などといったある種の「力」が
必要なのだということを覚えておかねばならない気がする。
というのも、自分が持っている「力」が大きければ大きいほど、
自分の影響力が及ぶ範囲も広くなっていくと思うからである。
昨夜の「ヒストリア」で取りあげられた
江戸時代後期の米沢藩主・上杉鷹山にしても、
米沢の領民を天明の飢饉から守りぬくことができたのは
彼の力が米沢一だったので米沢領内の隅々にまで
彼の影響力を及ぼすことができたからなのではないだろうか。
また、上杉鷹山の時代は比較的平和な時代であったが、
直江兼続が生きた戦国時代や幕末維新の時代のような
権力の定まらない時代において「力」を得ようとするなら
「次は誰の手に権力の座が転がりこむのか」を見極める
先見の明というものも必要になると思われるのである。
秀吉の死後になって家康を敵にまわしてしまった
「天地人」の兼続たちは、果たしてこれらのことを
認識できていたのだろうか。
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幸運にもその日のうちに放送を観ることはできたのだが、
「天地人」に関する感想は一応、直江兼続を題材にした
昨夜の「歴史秘話ヒストリア」を見てから
載せるつもりであった。
これは「ヒストリア」を観て初めて知ったことであるが、
家康たちに負けた兼続が領地を1/4に減らされても
召し抱えている武士の数を減らさなかった理由については、
ただ単に「義」を貫きたかったからなのではなくて、
「ことごとく家康の味方になっていた周辺諸国から
戦いを再び仕掛けられる心配があるので戦力になる家臣の
数を削ぐわけにはいかない」と考えたからなのだそうである。
「義を貫きたい」などという精神論的な理由よりも
この理由のほうが実際的に思えるので、
ドラマ「天地人」でもこの実際的な理由を採用したほうが
ドラマの内容にリアリティが増して面白くなるような気がする。
――とまぁ例えばこんなふうに、私は
毎週毎週わかったような事を偉そうに記しつづけ
的外れな意見もだいぶ多く述べてきた。
先の「天地人」の最終回自体については
今となっては私の記憶が古くなりつつあるので
もはやそう細かいことを述べるわけにはいかないが、
まずは1年間にわたる「天地人」の放送を振り返ってみる。
いつかも記したように、私はついに
今年の大河ドラマをあまり好きになれなかった。
その理由は一つではないが、おそらく最も大きいのは
その人物描写の強引さや薄っぺらさにある。
具体的には、
「兼続のことを自分でよく知りもしなかったり
兼続に何か大したことをしてもらったわけでもなかったり
むしろある意味兼続の被害にあってたりするはずなのに
どうしてそんなに兼続を高く評価できるのか」と
ツッコミたくなりような登場人物が多かったところ、
また、たまたま兼続の政敵だったからといって
遠山康光や徳川家康を人間的にも悪者に仕立て上げてしまう
ところである。政治的な利害関係と各武将の人間性との間に
必ずしも関連があるとは限らないはずだし、
政敵といえども人として同じように悩み、苦労し、
それでもひたむきに生きようとしていたはずなのである。
例えば遠山康光という武将は実際は
主君・上杉景虎のために追い腹できるほどの
忠誠心の持ち主だったようだし、徳川家康についても――
彼は全ての現代人に好かれているわけではないだろうが、
彼とて上杉と同じように国替えの憂き目にあっていたし
彼が三河武士たちの人望を集めていたことや
「三方ヶ原の戦い」で見せた信長に対する律儀さ
――(家康は若かりし頃、「三方ヶ原の戦い」を経験した。
それは当時、家康が同盟を組んでいた信長よりも強力な
武田信玄を相手にせねばならない戦いである。
もし家康が並の律儀さしか持ちあわせていない武将であれば
ここで信長から武田信玄への寝返りをするはずであるが、
家康はあくまでも信長との同盟関係を貫き、
信長はそんな家康を信頼するようになった――というのが、
別冊歴史読本『徳川家康 天下人への跳躍』に載っている
司馬遼太郎さんの家康論のごく一部である。
またこの家康論によれば、秀吉の死後、
秀吉の大名たちがこぞって家康のもとに奔った理由の一つも、
それまで秀吉に律儀に従ってきた家康に対する
信頼感ゆえであるという――)を思うと、
家康にもむしろドラマの兼続が好みそうな側面が
あったのではないかと思えてくるのである。
最終回のドラマの家康は、自分の人生を振り返って
「裏切ったり裏切られたりの人生じゃった」と言い
息子・秀忠にも嫌われている苦悩を吐露していたが、
家康をそのように描くつもりなら、なぜもっと早いうちから
彼の心の痛みをドラマで描いてやらなかったのだろう。
家康が兼続の流儀を理解し受け入れることはあっても、
逆に兼続が家康の流儀を理解し受け入れるということは
「天地人」ではついになかった。
たしかに自分が守るべき者や自分に似た価値観の持ち主は
大切にする反面、そうでない人間に対しては
非常に了見が狭く、立場や相手をわきまえずに
「義」の布教活動にいそしんだ「天地人」の兼続を
私は好きになれなかったが、
今の私にとって一つだけ確かなことは
そんなかたくなな私も実は「天地人」の兼続と大差が無い
ということなのであった。
それにしても、最近の大河ドラマの戦国武将は
心なしか草食系に見えるよう描かれている気がする。
まずドラマの中心的存在に選ばれる戦国武将が、
上杉謙信(一昨年の「風林火山」・「天地人」)、
山内一豊(3年前の「功名が辻」)、直江兼続などといった
妻を一人しか持たない(あるいは全く持たない)武将だったり、
2002年の「利家とまつ~加賀百万石物語~」の主役・
前田利家の場合は、実際には側室がわんさか居たものの
ドラマでは側室は一人しか出てこなかったらしい。
またさらに、再来年のドラマの主人公の夫・徳川秀忠も
ウィキペディアによれば基本的に恐妻家らしいのである。
現代の男の子たちのみならず、「きったはった」の世界の
戦国武将までもが草食系と化してしまうのは
一人のオンナとして寂しい気もするが、
まぁこのような法則を信じるとするなら
同じく恐妻家である福島正則がいつか主役に選ばれるのも
期待していいかもしれない。
漫画『風雲児たち』の作者・みなもと太郎さんは、このような
草食系戦国武将(山内一豊や、お静の方に恋する前の秀忠)を
バカにしているフシが見受けられるが
(ただし同じ恐妻家でも『風雲児たち』では出番が少ない
福島正則については、そうでもないようである)、
実は個人的にはどちらかというと
みなもと太郎さんの描き方に好感を持っている。
さて、昨夜の「歴史秘話ヒストリア」の題材は
厳密に言うと直江兼続一人ではなく、彼以降の世代の
「義の心を持った」米沢の武士たちも題材になっていて、
例えば、明治維新の戦いに敗れた挙句に職を失った
浪人たちのために職業を探すかたちで
彼らを立ち直らせようと奔走した雲井龍雄という
身分の低い一介の米沢藩士も題材になっていた。
しかし、当時の明治新政府はそんな雲井たちの求職活動を
新政府への反乱のための工作活動と見なして雲井らを逮捕し、
雲井は斬首されてしまったということである。
以前同じ番組で勝海舟が取りあげられ、
彼もまた明治維新で職を失った幕臣たちの再就職のために
日々奔走していたことを思い出すにつけ、
もし雲井龍雄が勝海舟の知遇を得ていたら
それが雲井にとってどれだけプラスになっただろうかと
残念に思ってしまった。勝海舟は豊富な人脈を持っていて
西郷隆盛にも高く評価されていたそうなので、
もし雲井が海舟の後ろ盾を得ていれば
それだけで斬首も逮捕も免れ、浪人のための求職活動も
少しは容易になったかもしれないのである
(雲井が斬首になった明治3年の時点でも、
西郷隆盛はまだ下野していないようである)。
昨夜の「ヒストリア」だけでなく「天地人」を観ていても
思ったことだが、やはり「義」を貫くためには
権力、数の力、後ろ盾などといったある種の「力」が
必要なのだということを覚えておかねばならない気がする。
というのも、自分が持っている「力」が大きければ大きいほど、
自分の影響力が及ぶ範囲も広くなっていくと思うからである。
昨夜の「ヒストリア」で取りあげられた
江戸時代後期の米沢藩主・上杉鷹山にしても、
米沢の領民を天明の飢饉から守りぬくことができたのは
彼の力が米沢一だったので米沢領内の隅々にまで
彼の影響力を及ぼすことができたからなのではないだろうか。
また、上杉鷹山の時代は比較的平和な時代であったが、
直江兼続が生きた戦国時代や幕末維新の時代のような
権力の定まらない時代において「力」を得ようとするなら
「次は誰の手に権力の座が転がりこむのか」を見極める
先見の明というものも必要になると思われるのである。
秀吉の死後になって家康を敵にまわしてしまった
「天地人」の兼続たちは、果たしてこれらのことを
認識できていたのだろうか。
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