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黒い瞳のジプシー生活

生来のさすらい者と思われた私もまさかの定住。。。

ジーラ・ジーラ&泣き虫

2011-08-31 18:15:55 | 美術・音楽系
先日gooブログで「アクセス解析体験キャンペーン」が
おこなわれていて、そのおかげで私も自分のどの記事が
よく読まれているのかを特別に知ることができた。
(gooブログを有料で使用してれば常に知ることができるの
だろうが、私は無料で使用しているので、こうした機会が
無いと知ることができない)。
私のブログ内でよく読まれている記事の一つに
アルゼンチン・タンゴの名曲「ジーラ・ジーラ」に
関する記事があったが、その記事を再読してみると
どうも日本語の歌詞を詳細に載せてなかったようなので
このたびそれだけここで引用したい。
なお、引用元は『世界の名曲とレコード ラテン・
フォルクローレ・タンゴ』(著:永田文夫 誠文堂新光社
昭和52年)である。

訳詞:
石ころだらけの運命が、おまえをしくじりにしくじらせ、
途方にくれたまま突き放す時、うまく道に乗っかっても、
行くあてもなく、おまえが絶望している時、
信ずるものもなく、陽に干した昨日のマテ茶もなくなった
時、糊口をしのぐはした銭を求めて、おまえがわらじを
すりへらす時、つんぼでおしの世の冷たさを今こそ
おまえは悟るだろう。
☆すべてがいつわりで、愛もむなしく、
世間にとってはなんの関係もないのだと知るだろう。
ジーラよ、ジーラよ。たとえ人生がおまえを踏みにじり、
苦しみがおまえをさいなもうとも、決して助けを
待ってはいけない。ひとつの手をも、好意さえも・・・。

おまえが抱かれて死ぬために、兄弟の胸をさがしつつ、
押す呼び鈴のすべての電池がかわいている時、
私にしたのと同じように、世間がおまえを貧乏暮らしの
そのあとで放り出して捨て去る時、
おまえの手放そうとする服を人が試しに着てみるそばで、
おまえがメシにありつく時、おまえは思い出すだろう。
いつか疲れて泣き出した、このお人好しのことを・・・。


引用元の訳詞は、ここで終わっている。
――が、私の記憶が正しければ、☆以下の歌詞が
この後また繰り返されるはずである。


なお、私はこのタンゴの他に、お気に入りのものとして
「El lloron (泣き虫)」もとりあげたことがあるが、
これも日本語の歌詞の詳細は載せていなかった。
先に引用した本にもこの歌の訳詞はついているのだが、
私の手持ちのCDに書かれたもののほうが
スッキリとまとまった訳になっているし、
CDの訳は同じ永田文夫さんによるものらしいので、
CDのほうから引用したいと思う。

訳詞:
おれ様は恋にかけてはとっても弱い
女を征服するためには
時々涙を見せてやらなくっちゃ
惚れさせるにゃ、泣き虫のふりをするのだ。

今日、みんなはおれに言う:
「何言ってるんだい? 泣き虫」と。
何て言われたって、分っているのさ
恋にかけちゃ、泣き虫でなけりゃ
決してうまくいかないって…。

(2度くりかえす)
泣き虫!
何て言われたって気にしない。
泣き虫!
時には一番モテる奴が泣くのさ。
泣き虫!
おれにとっちゃ、どんな男も同じこと
結局おれが一番なんだから…。

おれは北部の鉢雀
踊りのステップは免許皆伝
公園でもサロンでもしゃべりまくり
ダンスを躍らせりゃ、まるでコマみたい。

どんな相手にも弱みを見せずに、
おれはうたう、「フロールかい?」じゃ全部賭けよう
このおれは、恋にかけては口先だけの甘いシロップ。
注意しろ、おれ様のお通りだい!

(※フロールとは、トランプの手、フラッシュのこと
だそうである)


――思えば、山本リンダさんの持ち歌
「狙いうち」に似たニオイがする歌である。
本に書かれた訳詞の一人称は「おれ様」ではなく
「ぼく」になっているが、歌詞の内容からすると
やはり「おれ様」がふさわしいように感じる。


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葵・徳川三代を回想

2011-02-02 21:51:25 | 美術・音楽系
先月発売されたばかりのアルバム
「決定版 大河ドラマ全曲集」を借りた。
大河ドラマのサウンドトラック集は以前にも
借りていたが、以前借りたものが
戦国時代と幕末・維新のドラマのオープニングに
限定されていたのに対し、このたび借りてきた
アルバムは最初の大河ドラマ「花の生涯」から
去年の大河ドラマ「龍馬伝」に至る
全てのオープニングを網羅したものである。

戦国時代や幕末・維新もの以外の大河ドラマのうち、
私の最も気に入っているオープニングは
2000年の大河ドラマ「葵 ~徳川三代~」である。
家康以下、徳川三代がうねりの波の戦乱から
太平の世をもたらすまでのプロセスが
うまく表現されていて、良い曲だと感じていた。
私はこの曲を聴くと、まず、
戦乱の世に散り急ぐ「又兵衛桜」の美しさに感動し
日光東照宮の真上にある北極星と
その周りを回る星たちに世の太平を見出して
感慨深くなったものである。


ところで「徳川三代」といえば、
津川雅彦さんの演じた徳川家康が斬新だったこと。
家康といえばどんな時もどっしりとかまえていて
決して人前では生の感情を見せないという
政治家然としたイメージが強かったのだが、
あの津川さんの家康は決然として元気よく声が通り
相手かまわず派手に感情表現する家康であったと
記憶している。
例えば関ヶ原の戦いで小早川秀秋がなかなか
自分に寝返ってくれないと思うと
「あの、こわっぱー!」などと叫んでみたり
イライラ感を持て余して太刀を振りまわしてみたり、
また関ヶ原の戦いとは別の場面で
息子・秀忠と取っ組み合いのケンカをしたり――
多少記憶の詳細は曖昧になっているかもしれないが
あの家康は印象的であった・・・!

それと先月、細川俊之さんがお亡くなりになった。
細川さんは若い頃からたくさんの役を演じてこられた
ようだが、時代劇以外の演劇はほとんど観ない
私にとって一番印象に残っている細川さんの演技が、
この「徳川三代」での大谷吉継の役であった。
大谷吉継とは石田三成の友人でもある
敦賀5万石の大名で、最初は三成に
「家康と戦うのはよしとけ」と説得したものの、
結局説得できないと悟ると自分の方針まで曲げて
石田三成と共に家康と戦う決意をし、
関ヶ原の戦いで戦死したことで知られる。
そのため「徳川三代」における吉継の出番は
少なかったが、細川さんの大谷吉継は
少々不気味でもなぜか主役級の存在感を放ち、
家康と戦う道を選んだ自分を清々しそうに
あざ笑えば観る者の言葉を奪い、
輿の上から無言で突撃の采配をふるえば
その威厳を感じさせ、切腹せざるをえない無念を
つぶやけば一抹の寂しさを感じさせたものだった。


――謹んで、細川さんのご冥福をお祈りします・・・


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恋のやまあらし

2010-11-23 23:56:59 | 美術・音楽系
先日、「戦国鍋TV」のエンディングだった
PUFFYさんの新曲「恋のやまあらし」を
ダウンロードした。
「戦国鍋TV」にはこの歌のほかにも様々な曲が
エンディングで流れていたが、この歌は
「過去のもの」に恋愛感情をいだいてしまった
女性の苦悩を描いた歌で、まさに「戦国鍋TV」に
ふさわしいエンディングだったといえる。


なにかのCMではないが、「運命の人」が今現在
この世に生きている異性とは限らない。
この「恋のやまあらし」の主人公は、
過去に生きていた人物に恋をしながらも
決してその現状に満足しているわけではなく、
おのれの孤独に涙したり孤独を美化したりしつつ
いつかは「愛しい誰かが現れる」と信じている。
「戦国鍋TV」のエンディングを聴くだけでは
気づきにくいことだが、
「恋のやまあらし」を最後まで聴いてみると、
この歌の主人公の心情の複雑さに気づかされる。

歴史上の人物に恋をするとは、
一体どのような感覚を得るものなのだろう。
私自身には持久力が無いのか、(歴史上の人物に
限らず)「自分には手の届かない人だ」と思い知ると
熱狂するようなことはまずありえないのだが、
それでも歴史を学んで人物に思いを馳せれば
たまに「こんな人とお付き合いしてみたかった」と
思う瞬間もあるので、少しは想像してみたい。

まず、今生きている生身の女性は
歴史上の人物に恋をしても決して完全に満たされる
ものではないと思う(「恋のやまあらし」の主人公も、
おそらくはこのことに気づいている)。
少なくとも歴史上の人物とのスキンシップは
絶対にかなわないものだし、
歴史上の人物はしょせん「過去のもの」なので
その人物と苦楽を共にしながら未来を築いていく
作業もできないからである。

――しかしながら、だからといって
歴史上の人物への恋にも全く良いことがないわけでは
ないようにも思える。
(これは何も恋愛に限った話ではないだろうが)
生身の人間と深く付き合うことは一筋縄では
いかなかったり自分の思うようにならなかったりして
なかなかムツカシイものであるが、
歴史上の人物との恋にはそうしたムツカシさが
ないだろうからである。
恋人は、その相手たる歴史上の人物を
全く自分の意のままに操ることができるし、
そうすることで歴史上の人物から苦情を受けるという
心配もないのである。


本当に生身の異性と恋愛したいと思えば
人と深く付き合うムツカシさとも向き合う
エネルギーが必要になるし、場合によっては
「出会い」を自分で作り出す行動力も必要かもしれない。
「恋のやまあらし」の主人公には、
こうした必要性に応じることができない
何らかの事情をかかえているのだろうかと
想像してしまう。


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上村松園展

2010-10-19 00:12:44 | 美術・音楽系
先週、東京国立近代美術館で開催されていた
「上村松園展」に行ってきた。
上村松園とは、明治~昭和前期にかけて活躍した
女流日本画家のことである。
なお、この特別展はこの日曜日(17日)で
既に終わっている。

以前当ブロクでこの特別展を話題にしたとき、
自分にとっては初めて目にする作品で
《雪月花》の「雪」の部分と同じ題材であろう
《清女褰簾之図》との作品比較を楽しみにしていたが、
実際に展示室まで足を運んでみると
似たようなテーマやモチーフの作品が
この2点に限らず結構あることに気づかされた。
清少納言を題材にした作品は例の2点のみ見られたが
春夏秋冬を表した4人の女性とか
傘を差しかけている女性とか
蛍に気をとられている女性を題材にしたものは
けっこう多かった気がしている。
画家は自分や消費者が気に入った題材を
繰り返し描く傾向があるという意味なのか、
それとも以前の自分とは少し違う境地が開けると
むかし取り扱った題材も描き直したくなる
ということなのだろうか――
ともかく特別展では《雪月花》も展示されていたし
素人なりに《清女褰簾之図》との比較をしてみたが、
《清女褰簾之図》のほうがより技巧的で
故事のコアたる雪が見つけにくいという点には
ちょっとひっかかった。

ブログの以前の記事では「多少、作風に時代ごとの
変遷はあったにせよ・・・」としか述べなかったが、
やはり松園の作風は時代によって違っている。
今までボンヤリとしか感じられなかったのが、
このたびは多少、ハッキリとそう思えるようになった。
テレビ東京の番組「美の巨人たち」によると、
明治・大正時代、松園の美人画は
「現実味や感情が無い」と批判されることも
あったそうだが、悪いけどそんな批判が
出てきたというのも分かる気がする。
松園がスランプを乗り越えたあとの昭和時代の作品は
大好きなのだが、松園がまだデビューして間もない
頃の作品はこう・・・、どことなく技巧的で
作品によっては「私はこんなに絵がうまいのヨ」
などという声が聞こえてくるようで
見ていて嫌味な感じすらしたものだった。
まぁかりに自分の画力を見せつけたいと思っていた
としても「若さ」とはそうしたものであろうし、
自慢の画力を見せつけるぐらいの気概がなければ
当時の日本画壇という男社会や彼らの嫉妬と
戦えなかったのかもしれない。
もしかすると私も紫式部のような人から
「よく知らないくせに知識をひけらかす嫌な女」と
思われているかもしれないし――いまとなっては
画力を誇った作品を見ても特に気になるものはない。

それでも、やはり私にとって一番魅力的なのは
昭和に入ってからの作品だ。
これはこのたびの特別展で学んだことだが、
昭和の作品はまず色彩が澄んでいるし、
背景のモチーフや人物の動作が
できるだけ簡潔に描かれている。その結果
描かれた人物は圧倒的な存在感を持つようになり
むき出しだった人物の情念は内に閉じこめられて
一見静かな印象になった。
またこれは個人的に感じたことだが、
大正時代までの作品の女性の目線には
いかにも若い娘らしい、どこか異性に媚びを
投げかけるような眼差しがみられたのに対し、
昭和に入ってからの作品になるとそれが消え、
若武者のようなキリリとした目つきに変わっている。
目は、「心の窓」というべきもの。
女性の凛とした内面をも描こうと思うなら、
眼差しも凛としたものでなければならないのだろう。


歌謡曲を聴いていて度々思うことだが、
意外と感情は生々しく表現されたものより
抑制的に表現されたものの方が
聴き手に強く訴えかけてくる。
松園の絵も、シンプルで人物の感情表現が
抑制的になることで
かえって見る側に訴えかける力を強めた感がある。
媚びのカケラもなく、「静かだが力強い」
松園の昭和の作品に、私は胸をうたれる・・・!


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今秋の気になる特別展

2010-08-05 23:56:44 | 美術・音楽系
思えば私は最近、美術館の特別展に対する興味を
失いつつあり、情報にも疎くなっていた。
それでも今、新たに気になっている特別展が
いくつか出てきたので少し記録にとどめておきたい。

まず、ナポリの王侯貴族が収集した美術品を紹介する
カポディモンテ美術館展(国立西洋美術館)。
これは既に国立西洋美術館で開催されており、
9/26まで観ることができる。
公式HPによれば、このカポディモンテ美術館が
日本で紹介されるのは初めてのことだそうな。

そしてもう一つは、上村松園という明治~昭和の
女流日本画家の特別展「上村松園展」。
これは9月7日から10月17日までの開催である
(東京国立近代美術館)。

上村松園の作品については、
過去に何度か観に行ったことがある。
彼女たちの作品を専門に展示する松伯美術館では
「生誕130年記念 上村松園展」に行ったし、
東京国立博物館では《雪月花》という
彼女の三部作を観ることができた
(特別展「皇室の名宝―日本美の華」で)。
多少、作風に時代ごとの変遷はあったにせよ
概して上品で心が洗われるような作品ばかりだし、
私にとって明らかに初見の作品も展示される
ようなので、まぁ行こうかどうか検討してみたい。
特に今秋展示される作品の一つ《清女褰簾之図》は
制作年代は離れていても題材が
《雪月花》の「雪」の部分と全く同じなので、
実際に《清女褰簾之図》を観に行って
《雪月花》と比較してみれば面白いかもしれない。


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「龍馬伝」のOP

2010-05-11 22:11:32 | 美術・音楽系
「龍馬伝」のオリジナル・サウンドトラックを
レンタルし、私にとってはお馴染みのオープニングを
初めてじっくり聴いてみた。

「龍馬伝」のオープニングを聴いたとき
私の心のなかではまず異様な「ドキドキ感」が起こったが、
これによく似た感情を、私はかつて別の場面で
持ったことがあった。すなわちそれは、
「大切にしたい人や物事のため」とかたく信じて
他に大切にしているものや自分なりの正義感を
犠牲にしてしまおうと決意したときの「ドキドキ感」で、
「どんな結末が待っているか分からない」不安感を
伴うものである。
そして、「龍馬伝」の主人公やその仲間たちも
これと同じ「ドキドキ感」をかかえながら
ある種の「革命」に身を投じていたのではないかと
想像した。

しかしながら、「革命」に身を投じた志士たちの心を
昔の私とダブらせて慮るのは
やはりおこがましいことなのかもしれない。
このオープニングを何度か聴くうちに映像として
頭に浮かんだのが、先人たちが築いた
身分差別の厳しい「時代」に翻弄される立場
(=最初のメロディが表現するもの)から
それを乗り越えて自力で新しい「時代」を切り開く
立場(=曲の中間部分が表現するもの)へと飛躍をとげる
幕末志士たちの姿だったからである。
彼らは、「時代」に打ちのめされたきりの私などとは
まるで魂のレベルが違う。
まぁ、そんな幕末志士は幕末志士で、
自分たちの手で変えていったはずの「時代」に
かえって再び翻弄されてしまうような側面も
持ちあわせていた(この点を表現しているのが、
最後に繰り返される最初のメロディのようである)のかも
しれないが――
ともかくこの曲は、たしかに「龍馬伝」というドラマに
ふさわしく出来ているように感じた。
特に歌声に注意を払わなくても3分未満の音を流すだけで
私にこれほどの深いドラマを見せてくれる作曲者は
やはりスゴいと思った。


それにしても、三菱地所のCMではないが
「時代のせいにしていたら、時代はこのまま変わらない」
という幕末志士たちの熱い声が
聞こえてくるかのような曲である。
だが私はまず、当分「時代」というものに注意を向けるのは
できるかぎり必要最低限にして
例えば「自分にとって本当にやりたいことは何なのか」
などといったビジョンだけを
模索し続けられたらいいなと思う次第である。


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「雪椿」に見る母の思い

2010-05-07 23:09:02 | 美術・音楽系
そろそろ「母の日」が近くなり、巷でも
商品を母の日のプレゼントとして買ってもらいたいと
アピールしているのをよく見かける。

そういえば、むかしカレとお付き合いしていたころ
当時のカレに「母の日に何かプレゼントしてみたら?」と
言われて母にプレゼントを買ったことがあった。
母の日ないし父の日を祝う習慣が我が家に無いのを知った
当時のカレが、そのようにアドバイスしたのである。
「母の日になってもプレゼントを贈る気になれないのは、
ただ単にそういう習慣がなかったからなのかもしれない」
――当時の私はそう思って、母にプレゼントを贈ってみた。

当時のカレと別れて仕事は相変わらずついてない
今になって考えてみれば、私はただそれだけの理由で
プレゼントを贈る気になれないのではない。
私がどんなものを母に贈ってみたところで
所詮それは父か母のお金で買ったものに変わりはなく、
どんなプレゼントも私には全て偽りにしか
思えないからである。
(私はもはや経済的にも自立していて、
母の日のプレゼントも自分のお金で買えなければならない
年齢なのである。)
私にとって、母の日などというイベントは
元カレと違って偽りのものしか贈れない自分の
情けなさと罪悪感のみ思い知らされる憂鬱の種なのである。

さて、そんな私の母が好む歌の一つに
小林幸子さんの「雪椿」がある。
母がこの歌を好むようになったのは、
私が就職できないまま大学を卒業したあげく
父に家を追いだされた頃からであろうか。
母がこの歌を歌ったり聞き入ったりするのを見るたび、
私は「生活力のない子だけど、あの子が
自分の娘なんだからしょうがない。我慢をすれば
そのうち春の日が来るでしょう」などという
母の独り言を聞かされたような気分になるのである
(特に、最初と3番目の歌詞を聞かされると――)。
母が「雪椿」を好むようになって早や4年あまり、
「我慢をすれば春の日が来る」などという保障を
私はどこにも見出せないどころか
信じることすらできないでいるだけに、
この母の独り言に似た「雪椿」を聞かされると
かなり辛いものがある。

私が影に日なたに毎日のように涙を流すようになって
ますます明るくふるまうようになった母である。
考えてみると、母とっては
「我慢をすれば春の日が来る」と信じることしか
できないということなのかもしれない。
「我慢をすれば春の日が来る」と信じることは
最初なら誰にでもできることかもしれないが、
他人ならそのうち「もう疲れた」と言って
見捨てるところだし、
当の私自身でさえ何度そう思ったことか。
――私は、涙なくして「雪椿」を聞くことも
歌うこともできない。


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ジーラ・ジーラ

2010-03-12 13:00:06 | 美術・音楽系
この度は、当ブログでたまに紹介している
アルゼンチン・タンゴの名曲「ジーラ・ジーラ」について
少し語りたいと思う。
――アルゼンチン・タンゴといえば、
バンクーバーオリンピックのフィギュアスケートで
銅メダルをとったカナダのロシェット選手が
ショートプログラムで「ラ・クンパルシータ」を
BGMに使っていたのが記憶に新しい。
この、「ラ・クンパルシータ」は
ヘラルド・エルナン・マトス・ロドリゲスという
ウルグアイ出身の人物が17歳の学生だったときに
作曲したもので、少なくとも90年以上前の作品であるが、
24時間365日、常に世界のどこかで演奏されていると
言われるほど有名な曲だそうである。
私はフィギュアスケートに詳しいわけではないが、
日本代表の選手も誰かアルゼンチン・タンゴで
演技をしてほしいな――などと勝手なことを
思いつつ、フィギュアスケートを観ていたものだった。


閑話休題。「ジーラ・ジーラ」という曲は、
エンリケ・サントス・ディセポロという人物が
1930年に作詞・作曲した曲である。
この曲は、皇太子妃時代と1990年代にアルゼンチンを
訪問された皇后陛下のお気に入りの一つだそうだが、
タンゴは同じ曲でも演奏する楽団や歌の有無によって
聞き手がいだく印象や感想もだいぶ変わると思われる。
皇后陛下は誰の演奏をお聞きになったのか、
その演奏に歌は付いていたのかいなかったのか、
そこまで調べることは私にはできなかった。

バンドネオンが冒頭から圧倒的な存在感で泣く
ホセ・バッソ楽団の演奏は、歌が入ってないと
華やかな感じがして私はそれはそれで気に入っているが、
他の演奏で歌が入っているのもまた感慨深いものがある。
そもそも「ジーラ」とは
街頭に立って客をひく売春婦のことで、
その歌詞をごく大ざっぱに要約してみれば――
「お前が人生にこれほど大きな苦労を感じるとき、
お前は世の無情を悟るだろう。
全てが偽りで愛もむなしく、(お前の苦労など)
世間にとっては何の関係もないことなのだと。
だがジーラよ、どんなに不遇で苦しくとも
決して助けを待ってはいけないのだ」――
・・・といった感じの、世の無情を説くような内容なのだ。

「助けを待つのはダメでも、必要なぶんだけ探す
ぐらいならいいのではないだろうか」・・・などというのは
ジーラよりは恵まれた人間の甘い考えかもしれないが、
ともかく私はそんなふうに信じてきた。
それでも、自分にとって「必要なぶん」というのが
一体どの程度なのかがなかなか分からないし、
そのうえ私の場合、「助け」と探そうと思っていると
往々にして明らかに必要以上の「助け」を
期待してしまったりするものである。
「運よく必要以上の『助け』を得られたとしたら
そのわりにはあんまり嬉しくなかったり
かえって卑屈になったりするかもしれないし、
逆に期待が裏切られた場合は強く恨むようになるだろう」
・・・というふうには思えるようになったものの。

「必要なぶんとは一体どの程度なのか」という問題も、
やはり歴史のことばかり考えていないで
普段から自分と向き合っていなければ
なかなか答えは出てこないものなのだろう。
結局はこの「ジーラ・ジーラ」という曲が、
私が自分と向き合うための「助け」になってくれたようだ。

c.f.ジーラ・ジーラのより詳細な訳詞


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和太鼓を聴く

2009-12-07 18:31:17 | 美術・音楽系
昨日、さいたま市で開催されていた和太鼓演奏
さいたま太鼓エキスパート2009」を見に行っていた。
歌の伴奏としてではなく和太鼓の演奏のみを鑑賞するというのは、
私はたぶんあれが初めてだっただろう。
素人だし、難しいことはよく分からないのだが
ウィキペディアの「和太鼓」の項によれば
「戦国大名達が自軍の統率をとるために太鼓を利用した陣太鼓には
人間の心臓の鼓動に太鼓の鼓動が『シンクロ』することによって
自らを鼓舞する性質がある」という説があるそうで、
オスマン・トルコの軍楽「メフテル」の生演奏を鑑賞した時と同様
その音色に心も少しだけ勇気づけられたような気がした
(メフテルの演奏にも、腹に響くような打楽器が使用される)。
ただ、たとえ太鼓の音色が勇壮であったとしても
「いよっ!」という奏者の掛け声が力強さの点において
太鼓に負けていると、こちらはそこでややガッカリしてしまう。
これは、「水戸黄門」という時代劇のクライマックスシーンで
殺陣のあとの助さん・格さんの「しずまれぃ!」という掛け声に
迫力がないと、こちらがガッカリしてしまうのと同じことである。

大勢の津軽三味線奏者が一同、真正面を向いて
演奏しているのを見たときのような威圧感は感じなかったものの、
特に「長胴太鼓」を演奏している太鼓奏者の姿は
まるでなにか喧嘩でもしているか、
もしくは八つ当たりしているかのように見えた。
和太鼓の演奏が得意だという男・通称「無法松」が
「無法松の一生」という村田英雄さんの歌のなかで
愚痴や未練を玄界灘に捨てて太鼓を乱れ打ちたくなるのが
分かる気がする。「無法松の一生」という歌よりも古い
同名の映画についてはよく知らないので詳しい話はひかえたいが、
身分が卑しく気の荒い九州・小倉生まれの「無法松」は
身分の違いゆえに恋を実らすことが許されず
無償の愛を強いられたらしいのである
(彼が報われないと知りつつ無償の愛を捧げつづけた理由は、
好きになった未亡人のダンナさんが彼の友人だったからである)。


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港町の哀愁の音楽

2009-11-14 23:49:24 | 美術・音楽系
つい最近になって初めて興味を持ったものに、
「ファド」というポルトガルの音楽がある。
ファドの演奏に用いられる楽器というのは
ポルトガルの言葉で「ギターラ」と言うものであるが、
これが世界中で一般に「ギター」と呼ばれている
楽器とはまた違う種類の楽器である
(ややこしい話であるが、世界中で一般に
「ギター」と呼ばれている楽器のことを
スペイン人は「ギターラ」と呼び、
ポルトガル人は「ヴィオラ」と呼ぶのだそうである)。
哀愁ただようその音色はどこか海原のさざなみに似て、
私は海というゆりかごに揺られた赤ん坊のごとく
その音色に心地よさを覚えるのである。

隣国・スペインや彼の地のフラメンコが
よく「情熱の」などと形容されるのに対して、
このポルトガルやファドにふさわしい形容詞というのは
思うに「哀愁の」、である。
そして思うに、ファドやそれを生んだポルトガルから
醸しだされる哀愁の源というのが
「サウダード」という感情ではないのだろうか。
<ファドの魂>というアマリア・ロドリゲスの
CDの解説書によれば、「サウダード」とは
「遠い、あるいは消えてしまった人や物への、
ノスタルジックであると同時に心やさしい思い出のこと、
それらをふたたび見たり、もったりしたい欲望を
ともなう」感情、つまり、
「自分のそばにない――かつては、あった――ものを
想う甘美な悲しみ」の気持ちなのだそうである
(ポルノグラフィティというアーティストのヒット曲の
題名「サウダージ」は、その歌の内容からして
「サウダード」のブラジル的な発音なのだと思われる)。
同じく<ファドの魂>の解説書によれば、
国土が豊かなわけではない小国ポルトガルでは
「男たちは生きるために船に乗りだし、故郷を」想い、
「残された者たちは不安のなかに」生きたという
歴史があったので、サウダードという感情が
国民のあいだで育まれてきたのだということである。

以下のことは私の曖昧な記憶にすぎず
間違って記憶している部分があるかもしれないが、
かつてNHK系で放送された「世界は踊る 世界は歌う」
という番組(アルゼンチン・タンゴの回)によれば、
アルゼンチン・タンゴの哀愁も港町の哀愁からくるもの
なのだそうである。たしかアルゼンチン・タンゴの場合は
(主にスペインやイタリアなどといった)故郷を離れて
ブエノス・アイレスに移民してきた者たちの哀愁と、
それとは逆にこれから愛する者を残して
ブエノス・アイレスを離れねばならない者たちの哀愁が
アルゼンチン・タンゴの哀愁に由来するのだと。

そもそも飛行機なんてものが無かったり
あっても実用的ではなかったその昔、
港町という場所はおそらく現代以上に
「出会い」と「別れ」の舞台としての性格が強く、
したがって「別れ」ゆえの哀愁を心に秘めた人々も
現代以上に多く存在したのではないのだろうか。
私は基本的に海無し県民なので何ともいえないが、
港町と呼ばれる場所にはどんな地方であっても
未だにどこか哀愁がただよっていて、
それが訪れた人々の心をよくとらえたり
音楽関係のアーティストにインスピレーションを
与えたりしている――ということなのかもしれない。
実際、日本の演歌・歌謡曲にしても、
港町やそこに生きる人たちをテーマにした作品の
なんと多いことか。


城下町もさることながら、以前から私は港町を愛した。
そこに生きる人々の哀愁などというものを
実際に感じたり、意識してきたりしたわけでは
なかったが――これからも、
港町とその音楽が好きになれそうな気がしている。


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