大河ドラマ「花燃ゆ」。このたびは、戦争が終わって
用済みとなった奇兵隊に解散命令が下り、これに反発
した者たちが反乱を起こしたが鎮圧された、という話。
時代は、反乱が起きた時点で1870年1月、美和28歳で
ある。今回とりあげられた騒動については、ウィキペ
ディアの奇兵隊の項で詳細に説明されている。これに
よれば、奇兵隊を含む長州諸隊5000余名の処遇を
めぐって、功績ではなく身分や役職によるより分けが
あったという。彼らのうち、四大隊2250人が御親兵
として再編された一方、残る3000余名は論功行賞も
無く解雇され常職を失ったが、例えば「藩正規軍に
あたる旧干城隊員が再雇用される一方で共に各地を
転戦した平民出身の諸隊士は失職した」そうである。
ドラマでは、奥御殿に侵入した若い隊士が欧米の
ような身分差別のない社会を夢見ていたが、実際の
彼は未だに身分差別を受け、その結果ああして不遇を
かこっている――ということだったのだろう。
一方、ドラマでは反乱を起こした隊員に、大殿様が
戊辰戦争での活躍についてねぎらいの言葉などを
かけていたが、果たしてそんなことが実際にあった
のか、疑問を感じる。たしかに、もし実際にあったの
なら、処刑される隊員たちも少しは浮かばれよう。
が、想像するに、大殿様がああして少しでも動けば
それはたちまち噂となって広まり、反乱軍の間でも
「今はあの場所に大殿様がいるから、そこにむけて
発砲してはマズい」という話に発展するはずである。
あくまでも想像だが、やはり大殿様はあそこまで
積極的には関わらなかったのではないのだろうか。
なお、これはドラマでは描かれなかったが、かつて
吉田松陰と同じ牢屋ですごし、一時期居候もしていた
漢学者・富永有隣も脱退騒動に加わり、藩政府軍と
戦っていたという。彼については、ウィキペディア
よりも別冊歴史読本 『【幕末維新】 動乱の長州と
人物群像』のほうが少し詳しく伝えているが、これに
よれば、かつて居候していたはずの彼は、松陰が二
度目に投獄されたあと、居づらくなったのか松下村
塾を去り、吉敷郡二島村(現在の山口市)に定基塾を
開いたが、1863年に結成直後の奇兵隊に加わっていた。
ところが、「横柄な性格」だったという彼はやっぱり
「憎まれっ子」だったのだろうか、その翌年に赤根
武人から除名処分を受けるなどしていたという。
だが一方、「憎まれっ子世に憚る」という言葉もある
ように、彼は脱退騒動後もしぶとく生き続ける。
各地へ逃亡を続けた彼は1877年にようやく逮捕され、
有罪判決を受けるも1884年に特赦により釈放、
以後は妹の元に身を寄せて塾を開き、1900年に
80歳で没したということである。ドラマと違って、
実際の彼は隻眼だったようだ。
また、これもドラマでは描かれなかったが、高杉
晋作の父・小忠太は、脱退騒動の際、皮肉にも木戸
孝允と共に鎮圧にあたっていたという。
しかし、このたびの脱退騒動について彼ら以上に
気がかりなのは、ドラマには登場しなかった村塾
門下生の前原一誠である。ウィキペディアの奇兵隊の
項などによると、当時彼は「諸隊の解雇および脱隊
者の討伐に猛反対し」ており、その他、徴兵令など
に反対したこともあって、のちに下野することに
なるのだ。時代が明治になると、奇兵隊ばかりで
なく、戦いを生業とする武士そのものが用済みに
なっていく。そんななかで、彼もまた不平士族を
集めて反乱を起こすことになるのだが、これは
ドラマでもとりあげられるのだろうか??
――いずれにせよ、このたびの脱退騒動にしても、
のちに起こるであろう不平士族の反乱にしても、
社会的弱者に対する配慮の欠如が招いた結果のよう
でもあり、現代に対しても示唆に富んでいるように
感じられる。すなわち犯罪を少なくすることは、
畢竟、社会的弱者をいかにうまく支援していくかに
尽きるように思われるのである。
近代国家の創出を担った松下村塾生が多いのは従来
からよく知られてはいることだが、こうしてみると、
同じ塾生たちでさえ、実は決して歴史の表舞台で
活躍した人物ばかりではない。またこれは想像だが、
ましてや塾生でない長州人や、毛利の(直臣ではなく)
「陪臣」とされた周防出身の者などはなおさら
だろうと思われる。かつて志を同じくした志士たちが、
運命のいたずらによって引き裂かれていく明治時代。
1990年の大河ドラマ「翔ぶが如く」の村田新八では
ないが、みなが心を一つにして尊王攘夷運動をして
いたころが楽しかった――それが、美和とその周辺の
者たちの本音だろう。光がまばゆければまばゆいほど、
その闇の部分は深くなっているもの。あるいはそう
思えばこそ、私には薩長神話が胡散臭く感じられる
とも言えそうだ。隊員の解雇や鎮圧に反対した前原
一誠は登場しなかったのだし、相変わらず物足りない
感じはするが、闇の部分にもスポットを当てている
という点でこのたびは観てよかったと感じられた。
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用済みとなった奇兵隊に解散命令が下り、これに反発
した者たちが反乱を起こしたが鎮圧された、という話。
時代は、反乱が起きた時点で1870年1月、美和28歳で
ある。今回とりあげられた騒動については、ウィキペ
ディアの奇兵隊の項で詳細に説明されている。これに
よれば、奇兵隊を含む長州諸隊5000余名の処遇を
めぐって、功績ではなく身分や役職によるより分けが
あったという。彼らのうち、四大隊2250人が御親兵
として再編された一方、残る3000余名は論功行賞も
無く解雇され常職を失ったが、例えば「藩正規軍に
あたる旧干城隊員が再雇用される一方で共に各地を
転戦した平民出身の諸隊士は失職した」そうである。
ドラマでは、奥御殿に侵入した若い隊士が欧米の
ような身分差別のない社会を夢見ていたが、実際の
彼は未だに身分差別を受け、その結果ああして不遇を
かこっている――ということだったのだろう。
一方、ドラマでは反乱を起こした隊員に、大殿様が
戊辰戦争での活躍についてねぎらいの言葉などを
かけていたが、果たしてそんなことが実際にあった
のか、疑問を感じる。たしかに、もし実際にあったの
なら、処刑される隊員たちも少しは浮かばれよう。
が、想像するに、大殿様がああして少しでも動けば
それはたちまち噂となって広まり、反乱軍の間でも
「今はあの場所に大殿様がいるから、そこにむけて
発砲してはマズい」という話に発展するはずである。
あくまでも想像だが、やはり大殿様はあそこまで
積極的には関わらなかったのではないのだろうか。
なお、これはドラマでは描かれなかったが、かつて
吉田松陰と同じ牢屋ですごし、一時期居候もしていた
漢学者・富永有隣も脱退騒動に加わり、藩政府軍と
戦っていたという。彼については、ウィキペディア
よりも別冊歴史読本 『【幕末維新】 動乱の長州と
人物群像』のほうが少し詳しく伝えているが、これに
よれば、かつて居候していたはずの彼は、松陰が二
度目に投獄されたあと、居づらくなったのか松下村
塾を去り、吉敷郡二島村(現在の山口市)に定基塾を
開いたが、1863年に結成直後の奇兵隊に加わっていた。
ところが、「横柄な性格」だったという彼はやっぱり
「憎まれっ子」だったのだろうか、その翌年に赤根
武人から除名処分を受けるなどしていたという。
だが一方、「憎まれっ子世に憚る」という言葉もある
ように、彼は脱退騒動後もしぶとく生き続ける。
各地へ逃亡を続けた彼は1877年にようやく逮捕され、
有罪判決を受けるも1884年に特赦により釈放、
以後は妹の元に身を寄せて塾を開き、1900年に
80歳で没したということである。ドラマと違って、
実際の彼は隻眼だったようだ。
また、これもドラマでは描かれなかったが、高杉
晋作の父・小忠太は、脱退騒動の際、皮肉にも木戸
孝允と共に鎮圧にあたっていたという。
しかし、このたびの脱退騒動について彼ら以上に
気がかりなのは、ドラマには登場しなかった村塾
門下生の前原一誠である。ウィキペディアの奇兵隊の
項などによると、当時彼は「諸隊の解雇および脱隊
者の討伐に猛反対し」ており、その他、徴兵令など
に反対したこともあって、のちに下野することに
なるのだ。時代が明治になると、奇兵隊ばかりで
なく、戦いを生業とする武士そのものが用済みに
なっていく。そんななかで、彼もまた不平士族を
集めて反乱を起こすことになるのだが、これは
ドラマでもとりあげられるのだろうか??
――いずれにせよ、このたびの脱退騒動にしても、
のちに起こるであろう不平士族の反乱にしても、
社会的弱者に対する配慮の欠如が招いた結果のよう
でもあり、現代に対しても示唆に富んでいるように
感じられる。すなわち犯罪を少なくすることは、
畢竟、社会的弱者をいかにうまく支援していくかに
尽きるように思われるのである。
近代国家の創出を担った松下村塾生が多いのは従来
からよく知られてはいることだが、こうしてみると、
同じ塾生たちでさえ、実は決して歴史の表舞台で
活躍した人物ばかりではない。またこれは想像だが、
ましてや塾生でない長州人や、毛利の(直臣ではなく)
「陪臣」とされた周防出身の者などはなおさら
だろうと思われる。かつて志を同じくした志士たちが、
運命のいたずらによって引き裂かれていく明治時代。
1990年の大河ドラマ「翔ぶが如く」の村田新八では
ないが、みなが心を一つにして尊王攘夷運動をして
いたころが楽しかった――それが、美和とその周辺の
者たちの本音だろう。光がまばゆければまばゆいほど、
その闇の部分は深くなっているもの。あるいはそう
思えばこそ、私には薩長神話が胡散臭く感じられる
とも言えそうだ。隊員の解雇や鎮圧に反対した前原
一誠は登場しなかったのだし、相変わらず物足りない
感じはするが、闇の部分にもスポットを当てている
という点でこのたびは観てよかったと感じられた。
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