橘屋跡の良寛坐像。
今年初のゴルフに誘われての出雲崎。帰りに良寛堂に寄りました。
宝暦八年(1758)に良寛(幼名を栄蔵)はここ出雲崎の名主橘屋山本家四男三女の長子として生まれました。
奈良時代の皇族、橘諸兄(たちばなのもろえ)を家祖と仰ぎ近くの石井神社の神職も兼ねた名門です。
行政の末端に役割を持つ名主には清濁併せ呑む大きな度量が宿命なのでしょうが、度量とは純粋であるほど難しいことなのでしょう。
18で名主見習役として務めたわずか50日足らずの後に家出した栄蔵の心に、修業の道へと進んだ良寛の旅の始まりがあるように思います。
橘屋跡の良寛堂。
日本画家安田靫彦(やすだゆきひこ)が日本海に佐渡を背景の浮御堂に見えるよう設計、大正11年完成。
良寛堂の中。格子戸からのぞけます。
石の塔に、良寛が持仏として大切にしていた石の枕地蔵がはめ込まれ、自筆の歌が刻まれています。
「いにしへに かはらぬものは ありそみと むかひに見ゆる佐渡の島なり」
石地蔵は良寛の母の故郷佐渡の椿尾の地産といわれます。
佐渡の島影を母の寝姿とも見て暮らしたという良寛の思いが伝わるお堂です。
いつまでも変わらぬ景色、荒波寄せる荒磯海と向こうに佐渡の島を見る良寛さんです。
1689年8月18日、ここ出雲崎で芭蕉が見た「あまの川」をこの場所で撮ってみたいものです。
「あら海や佐渡に横たふあまの川」芭蕉
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