和納中37年入学

同級生と和納と旅行をアップ。誰だか分かる?

YAMAHAのOEMヘリ

2013-06-20 14:58:18 | 日記
YAMAHA製 RMAX Type II
2サイクル水平対向2気筒 246cc 出力15.4kw
この地岩室開湯300年祭でのイベント飛行です。


あれ?ヤンマー製と仕様いっしょ?
そう。YAMAHA製のOEMだったのです。
HONDAと双璧のバイクメーカーに小型高出力エンジンではかなわないはずです。
GPS搭載の機体もラジコンもすべてOEM。本体価格約10,000,000円。
GPS位置情報でピンポイント散布可能だそうです。
そういえば10年近く昔、この無人ヘリを中国に輸出しようとしたYAMAHAが軍事転用可能で告発されたニュースがありました。
おもちゃのヘリでサリン撒こうとした宗教もありましたがGPS搭載自立飛行機をYAMAHAが開発する前につぶれてよかったですね。
テロ対策として警察は有効策を考えているんでしょうか?
きっと巻警察公安担当に見張られているんでしょうね。

100%YAMAHA製だったとは・・・ヤンマーは好きな会社なのでちょっとガッカリです。
「ヤン坊マー坊天気予報」がブランドイメージ一新から今年で消えるニュースにガッカリしたばかりです。
なんでも有名なあのフェラーリのデザイナー奥山清行氏がデザインしたトラクターやプレジャーボートがお目見えするそうです。
トラクターにも工業デザインが進出する時代です。

  
押して移動もかんたん。
近くの田んぼ上空でデモ飛行。

    
低空での薬剤散布はピンポイントで狭い田んぼも可能です。
じきにカメムシ防除が始まるそうです。
昭和4,50年代からでしょうか岩室村でも空中防除に早朝ヘリコプターの音が響いた時期がありました。
通勤中にフロントガラスに雨の様にかかったこともありました。
農協職員の苦労話も聞きました。乗って飛んだ話も。
なんでも戦闘機乗りだったジーちゃん操縦士もいたとか、あのときの女性操縦士が北海道で墜落したとか・・・
いま基準値超(一律基準は0.01ppm)の残留農薬を禁止する農薬取締法のいわゆる「ポジティブリスト制度」から、広範囲の航空防除は敬遠されて小回りの利くラジコンヘリ全盛のようです。

  
芸妓さんの岩室甚句よりこっち見られた子供はラッキーです。
記念写真も。


岩室開湯300年祭のメーンイベント会場はここ。
芸妓さんオールスターキャストです。
壇上が芸妓さん。下は民謡同好会だいろ会の方たち。


大八車で湯を運んだことから当時を再現してパレード。
湯女の引く車に乗っているのは風呂ですが。
ここらではなぜか「せーふろ」と言います。
「温泉は極北ナル薬師堂ノ下ヨリ湧出スル。村人ハ薬師授ケノ湯ト祝シ毎年八月七、八日ハ祭リヲシ非常ニ賑ヘル。鎮守ノ神明宮ノ祭リハ及ビモツカナイ・・・」と当時の風土記本。


祭りに神輿は付き物。
湯汲みの大八車引っ張った湯女たちにインタビューするFM角田山ぽかぽかラジオか?

    
ゆるキャラも待機。大賑わい。
新潟市出身の元ヤクルト青島健太氏。新潟サポータークラブ会長が応援に。
クイズを一発。「温泉好きな野球選手はー?」→「ダルビッシュ湯ー」だって・・・
「えいえいおー」でなく「えいえい湯ー!」


岩室ってこんなに美人が多かったっけ?
商工会女性部のチョコバナナは完売。


矢川橋を渡ると正面に見えるのが松ケ岳(174m)。左手には天神山(234m)から連なる多宝山(634m)が見えます。
岩室富士とも呼ばれる特異な山容が好きです。
突き当たり北国街道まで緩やかな登りは「堂坂(ドン坂)」と呼ばれ、馬車牛車の異様な素振りから掘り出された首の無い仏像が、修復されお堂に祀られた「堂坂の阿弥陀様」から由来します。


温泉街の山手にある「下の堤」の桜は去年伐採されて、記念の桜材で作った「屋号表札」
「ほれ、あのんちらて」と話はずむのは年寄りだけです。
真ん中のジーさんは306ルーム堀さん。
立派なサンシュユと枝垂れの梅、桜の庭の持ち主です。

正徳3年(1713)六代将軍家宣時代に公認された温泉所に始まり、当時37件もあった「湯組」は「湯女」を置いて北陸有数の歓楽街として全国区に岩室は繁盛していったと風土記などにあるようです。
なんでも、農繁期なのに若者が岩室通いで農作業が進まない。温泉所縮小の嘆願が近郷の庄屋連名で訴えが何度も出たそうです。
最盛期には200人もいた湯女たちに男どもはイチコロだったのは今も変わりません。
あの良寛さんも岩室の湯に入ってお酒飲むのは楽しみだったようです。

「岩室の酒禅君のもとにまかりけるに酒ばかりすすめらるるを・・・」良寛


岩室甚句は昭和初期に芸妓小龍によってお座敷踊りとして洗練されひろまったようですが、この温泉所認可当時から甚句=地の句として、近郷他国の湯治客たちが酒飲んで湯女たちと唄い騒いだときに歌われ始めたのがルーツではないかと郷土史家の資料にあります。

♪おらがヤァー若いとき 弥彦詣りをしたればナァー (ハヨシタヤ ヨシタヤ)
  馴染(なじょ)が見つけて 寄りなれと言うたども 嬶(かかぁ)がいたれば 返事がならぬ (ハヨシタヤ ヨシタヤ)
 おらがヤァー若いとき 一筆啓上 しからばその後 ことしきさらりと ちんちょちんちょと書いたる文を嬶に読まれて アノ 手が下がる

「綿々亭綿屋」「シンユ舘」と老舗が更地となる岩室ですが、正徳3年(1713)に始まった昔の繁盛は歓楽街として男性からの魅力です。
歴史のある岩室は今、別の魅力を探しているのだなと思います。



♪村のヤァー子どもと良寛様は日暮れ忘れてアノかくれんぼ
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2 コメント

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愛郷心 (AH)
2013-06-21 21:46:38
昨日角田山の帰りに「いわむろや」で写真展観てきました。
個性あふれる写真に郷土を愛する皆さんの心意気を感じてきました。

岩室開湯300年、賑やかですね。
歴史ある岩室を盛り上げるいいチャンスですね。
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郷土を知る (よしたか)
2013-06-22 00:17:02
>AHさん

「いわむろや」が出来てから少し変わってきたようです。
北国街道筋にあるたくさんの埋もれた歴史に触れるのも地元に居て楽しいものです。
冬妻ホタル、飛び始めました。
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