先週、新くんに誘われて自慢の軸を見せてもらいに二人で健さんの自宅を訪ねた。三人とも中学の同級、道はそれぞれ違ったが気心知れた仲、軸にはちとうるさい(??)。近くの夏井の古道具屋で見つけたという一帖の屏風には右隻に「月落烏啼霜満天・・」有名な寒山寺の七言絶句、左隻に寒山拾得。拓本と絵のハイブリッド、もちろんの印刷だが健さん自慢顔は最高潮。
次には鍋蓋に良寛さんが書いた文字が「心月輪」。墨のままにしておけばいいものを誰かが蓋を彫ったのでしょう。軸になっているということは拓本ということ?。拓本だってめったな人では手に入れることは難しい。持ってる人から貰いものを巻町の表具やで軸にしたと語る健さんのスゴイ人脈。本物の鍋蓋の文字を誰かが彫った文字から拓本したものも本物?っていうんだろうか? 心に点が一つ足りない気もするが・・・素人が何言ってんだか。
心、月輪のごとし・・と読む人もいる。なんとなく丸ーるい月や輪のように心も角なく円くありたいと我ら凡人にもわかる気がする。・・がコトバンクにはれっきとした仏教用語としてある。むずかしい。
心月輪(しんがちりん) 仏教用語。密教の金剛界法の修法のとき,行者はみずからの肉団心 (心臓) を円明無垢の月輪であると観じること。清らかに輝く満月は浄菩提心のたとえであるから,観念のなかで満月の姿が完成したとき,自己の菩提心も清浄になり仏の悟りの本体と同一になる。:コトバンク
なんと真言密教の瞑想法の一つに、胸中に月輪をイメージして精神統一を行い潜在能力を極限まで 引き出す方法としてあるのが月輪観(がちりんかん) とある。
満月を見て、誰も(?)が敬虔と神秘な感覚を覚えることから瞑想法になっているのに納得。 鍋蓋→満月→心月輪って修行僧だった良寛だから発想して書けた鍋蓋の心月輪。捨てられる鍋蓋を満月に見立てるなんて・・・くしくも今日はスーパームーン。
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