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過ぎし昔が思はるゝ 良寛の思い

2015-10-01 09:43:54 | 良寛さん

「加茂の社(やしろ)の杉さへ見れば過ぎし昔が思はるゝ」  良寛

秋空の加茂山公園。今日は11月に予定する高齢者の会ハイキングの下見をかねてルート(?)ハンティング。トイレの有り無しから危険ヵ所、見どころ押さえます。①JR信越本線加茂駅東口前集合→徒歩5分青海神社→モミジ谷→多宝塔→翁杉→見晴らし台→剣ヶ峰砦跡→要害山城跡から下条川ダム湖畔で昼食。約4kmのハイキングコースを往復してOK出しました。チョット山道がしんどいかな?滑るので雨天は中止です。

 

原田鵲斎(じャくさい)を偲んだ歌とある。鵲斎って? 栄蔵良寛は元服して文孝を名乗り18歳までの数年間、地蔵堂中村家に寄宿して漢学者大森子陽の狭川塾に学んでいる。出雲崎橘屋山本家の跡継ぎとして呼び戻されてまもなく家出し出雲崎光照寺で出家。原因諸説(?)のなか領主の手先として清濁併せ吞む支配層の末端、首切り獄門にも立ち会ったろう名主の立場に相容れぬ自分があったとするのに納得する。ともに狭川塾に学んだ原田有則(後、医師鵲斎)が家出後の良寛をフォローしたようだ。国上寺五合庵も鵲斎の伝手だという。晩年加茂に隠居した鵲斎と酒飲みながら「過ぎし昔」のどんな話をしていたのだろうか?

 

 

神亀3年(726)創建、その後京都の賀茂別雷神社、賀茂御祖神社の分霊を遷祀したことから一帯は京都賀茂神社の神領となったとある。小京都と呼ばれる所以か。

 

玉を右手(足?)に掲げる狛犬。こんなのはじめて。

 

昼飯予定地、下条川ダムサイト。平日なのにヘラブナ釣り師がいっぱい。奥早出粟守門県立自然公園のはずれにいる。

 

2時間おきのバス。上があれば下下条もある?

帰路ふたたび同じ山道に。見晴台からは長~い滑り台に大人ダメとなかったので滑った。上にはマット備えてなく、ローラーの上を素ケツで滑ったので昨日から尻が真っ赤に腫れて汁にじんで痛いのなんの。

スポンジマットは終着点に備えてあった。本番ではマットするように。さて紅葉し始め11月4日ハイキング、雨天中止で案内作ってメンバーに配ると何人参加するかな?要害山城跡から先が健脚コースになっているのでチョットきつめの案内にして参加者絞ろうと思うのは幹事役の特権だ。高齢者大学OB会とはいえ元気印ばっかりだから絞り切れないか・・・。思いがけず良寛さんにも出会えたのは収穫のロケハンだった。


 

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