和納中37年入学

同級生と和納と旅行をアップ。誰だか分かる?

なにとなくこゝろさやぎていねられず・・

2024-01-30 20:30:39 | 良寛さん
1/26日 11:00am 中野孝次「風の良寛」を読んで思いたった。日本中が凍てついた寒波が去った翌日、約15km西の五合庵を訪ねる。国上寺から下る山道にはまだ雪が残り足跡はない。 良寛は父を京都で亡くして約20年ここ五合庵に、59歳には乙子神社、69歳に島崎の木村家に移るまでの約30年間をここ国上山で暮らしたとされる。 酒を携えて、良寛が作った大根を喰いに五合庵をたびたび訪ね来た阿部定珍への . . . 本文を読む
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ダイコンの季節 良寛の大根(おおね)

2022-11-24 11:54:17 | 良寛さん
晴れ間を見てダイコンこいできた。世間ではタネ蒔きしてから密集した苗を間引きして10cm以上の間隔にして土を寄せ、まっすぐに立たせて育てる大根。この手間をサボると密集し、葉っぱの重みで真っすぐ立ってないので曲がったダイコンができる。ま、味に変わりないので自家用には十分。なおかついろんな大きさに育ってバリエーションある収穫だ。   「定珍は酒造屋だからときどき酒を贈ったり、みずから携えて . . . 本文を読む
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心月輪

2016-11-14 20:19:22 | 良寛さん
先週、新くんに誘われて自慢の軸を見せてもらいに二人で健さんの自宅を訪ねた。三人とも中学の同級、道はそれぞれ違ったが気心知れた仲、軸にはちとうるさい(??)。近くの夏井の古道具屋で見つけたという一帖の屏風には右隻に「月落烏啼霜満天・・」有名な寒山寺の七言絶句、左隻に寒山拾得。拓本と絵のハイブリッド、もちろんの印刷だが健さん自慢顔は最高潮。 次には鍋蓋に良寛さんが書いた文字が「心月輪」。墨のままにし . . . 本文を読む
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出雲崎にて・・・

2016-06-27 12:11:08 | 良寛さん
「うたたね」仲田彰夫 50F・油彩・アクリル孔版・2012第13回日仏現代美術世界展日仏賞 大好きな俳優と同じ名前の同級、健さんからのメール。「出雲崎に行く機会があったら寄って来てね。知人の絵の展覧会を妻入会館でやってるから・・・。」なんでも同世代リタイヤした元学校の絵の先生らしい。   友人樋口君がちょうど「お昼でもどう?」と来たので、いつもの弥彦神社にお参りのあとみやげ物屋西澤商店おでんセッ . . . 本文を読む
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過ぎし昔が思はるゝ 良寛の思い

2015-10-01 09:43:54 | 良寛さん
「加茂の社(やしろ)の杉さへ見れば過ぎし昔が思はるゝ」  良寛 秋空の加茂山公園。今日は11月に予定する高齢者の会ハイキングの下見をかねてルート(?)ハンティング。トイレの有り無しから危険ヵ所、見どころ押さえます。①JR信越本線加茂駅東口前集合→徒歩5分青海神社→モミジ谷→多宝塔→翁杉→見晴らし台→剣ヶ峰砦跡→要害山城跡から下 . . . 本文を読む
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「鳴琴堂にて詠める」

2014-11-15 19:39:34 | 良寛さん
今日15日、岩室駅前にできた鳴琴堂(めいきんどう)良寛歌碑「鳴琴堂にて詠める 虫は鳴く千草は咲きぬこの庵を 今宵は借らむ月出づるまで」良寛岩室良寛会と山岸楽斎を知る会が合同で岩室駅前に建立した良寛歌碑の式典会場。除幕のあと福成寺住職の入魂読経。宝暦8年(1758)出雲崎の廻船問屋橘屋山本家に生まれた栄蔵のち良寛。諸国を巡ったあと48歳で国上山五合庵に居住し日々托鉢と書と詩歌の生活を始めます。足が弱 . . . 本文を読む
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向かひに見ゆる佐渡の島なり

2013-06-21 18:44:06 | 良寛さん
橘屋跡の良寛坐像。今年初のゴルフに誘われての出雲崎。帰りに良寛堂に寄りました。宝暦八年(1758)に良寛(幼名を栄蔵)はここ出雲崎の名主橘屋山本家四男三女の長子として生まれました。奈良時代の皇族、橘諸兄(たちばなのもろえ)を家祖と仰ぎ近くの石井神社の神職も兼ねた名門です。行政の末端に役割を持つ名主には清濁併せ呑む大きな度量が宿命なのでしょうが、度量とは純粋であるほど難しいことなのでしょう。18で名 . . . 本文を読む
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五合庵の良寛

2013-06-03 22:19:44 | 良寛さん
久々の雨の翌日、国上山五合庵に出かけました。庵脇の句碑にあります。堂久保登盤 閑勢閑毛天久留 於知者可難 (焚くほどは風がもてくる落ち葉かな) 良寛  文政2年(1819)7月、9代長岡藩主の牧野忠精(ただきよ)が新潟を巡視した帰りみち国上乙子神社に居た良寛を尋ねて長岡城下にお迎えしたいと要請された折、良寛はこの句を詠まれて悠々自適の境地から誘いを断ったという逸話です。独り暮らしの煮炊きなど風が運 . . . 本文を読む
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弥彦の燈籠押し

2012-07-27 16:14:54 | 良寛さん
弥彦の夏祭り、燈籠押しに行ってきました。重要無形民俗文化財の名称は「弥彦神社燈籠おしと舞楽(ぶがく)」で県内外の燈籠が集まります。毎年7月25日の夜9時、神社拝殿から神輿渡御が始まり、花燈籠、田楽燈籠、氏子など1kmもの行列が町を回ります。我々和納拍子方は毎年4人、先導役の貝吹きに出かけます。6:42pm 拝殿に向かう弥彦神社氏子青年会 7:00pm 衣装換え場所到着。袴を着けるのは高校のクラブ以 . . . 本文を読む
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全国良寛会

2012-06-27 16:18:01 | 良寛さん
第35回全国良寛会岩室大会が巻文化会館で開かれ、全国から会員が集まりました。総会の後、平山征夫国際情報大学長の記念講演。漱石の「則天去私」は「会天行道是吾禅」天に会して道を行うはこれ吾が禅良寛に影響された晩年だったと興味深いお話でした。以下はその一部。良寛の数少ない俳句を披露。「裏を見せ表を見せて散る紅葉(もみじ)」「雷をおそれぬ者はおろかなり」「鉄鉢に明日の米あり夕涼み」「散る桜残る桜も散る桜」 . . . 本文を読む
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岩室の良寛史跡

2012-06-08 23:00:01 | 良寛さん
:石田武(岩室良寛会)画  今日2日は岩室の良寛史跡探訪です。9:30am「いわむろや」に集合。会費500円なりでガイドブックをもらう。 バスに乗り込み間瀬海岸に出発。シーサイドライン越後七浦観音の駐車場から海辺の道を大巳貴神社の先を行く。案内は岩室良寛会の山上健さん石田武さん。 日本海を前にして岩にはめ込まれた「間瀬の浦」歌碑。「間瀬の浦の海人の刈る藻のよりよりに君も問い来よ我も待ちなむ」良寛 . . . 本文を読む
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種月寺の寒行

2012-02-25 09:03:10 | 良寛さん
曹洞宗福地山種月寺(ふくちさんしゅげつじ)ではこの時期に托鉢の寒行に出ます。越後の曹洞宗、村上の耕雲寺、石瀬の種月寺、村松の慈光寺、塩沢の雲洞庵は「越後四箇(しか)の道場」といわれ、それぞれ所属の末寺から若い修行僧が集まります。種月寺に出かけてきました。「文安三年(1446)の夏、一人の老僧が多宝山麓の北陸街道を往きつ戻りつされていたが、思い定められたか村はずれの谷間福地(ふくち)谷へと進まれ、夏 . . . 本文を読む
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馬越(まごし)の「越乃湯鉱泉」

2011-11-11 17:15:13 | 良寛さん
同級の鷲沢さんに誘われて行った与板町馬越の「越乃湯鉱泉」。500円で持ち込み可。暖ったまるいい湯だった。 明治三十三年に長岡病院の斎藤医師が「入浴或いは内服して諸病に効用ある」と効用証明を書いている。ほとんど(三、四を除き)当てはまる私には魔法の温泉のようだ。「強き塩味を有し、比重1.03にして反応は中性なり」とある。しょっぱかった。薄めてあるそうだ。CARREL10月号特集は「行きたい秋の湯」「 . . . 本文を読む
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国上寺と五合庵

2011-10-08 09:14:16 | 良寛さん
秋晴れの国上山(くがみやま 313m)に登る前に、国上寺(こくじょうじ)と良寛の五合庵に立ち寄る。写真:良寛書「天上大風」45x31cm 凧揚げの子供たちにせがまれ、揚がるように凧用に書いたとされる。  真言宗雲高山国上寺(和銅2年(709)に越後一の宮、弥彦大神の託宣により建立された、越後最古の古刹。額に「無量寿」むりょうじゅ とある。大辞泉→《(梵)amityusの訳。阿弥陀仏の寿命 . . . 本文を読む
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