和納中37年入学

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鎧潟の東

2013-12-02 11:55:19 | 日記
:潟東歴史民俗資料館にて
かの写真家天野尚氏が遊んだという鎧潟(よろいがた)。
漁の写真が飾ってありました。いい写真だと思います。
どなたの作品か昭和30年代の写真でしょう。



2011.6.18 6:47pm 23mm f11 1/250秒 ISO400 クリーンセンター脇堤防から
角田山と弥彦、多宝を見ながら広がる潟は、昭和43年(1968)に10年に亘って干拓されて、いま水田が広がっています。
干拓といっても土(客土)入れて埋めたんでなく、ポンプで新川から排水して干したのです。
潟の向こう正面に昭和39年開校の興農館高校(現農業大学校)がシルエットで見えます。



   
日曜の昼、旧潟東村で人気の「かもん!カモねぎまつり」のカモ汁券を鷲さんにもらったのでカミさんと出かけました。
骨ミンチも入ったカモ汁を美味しくいただいた後、隣接の美術館と資料館無料の案内見てラッキーでした。
立志の名誉村民・樋口顕嗣氏寄贈による樋口美術館。
入口に氏の胸像と合併した二村の道路元標。
四ッ合村と大原村が昭和30年(1955)合併してできた潟東村。鎧潟の東にあったからとは明快です。
美術館は写真NGでしたが、民族?資料館は楽しめました。


  
俵から検査米を抜く竹製「コメ差し」。いまは紙袋に金属製のを刺します。
手鈎使って60kgを昔は人が担いだのです。馬なら2俵です。
すべて人力の時代。
コメ俵を覚えているのは昭和30年代前半生まれまででしょうか?

 
「又鍬」と「豆植え鎌」
この鍬で「田をぶつ」気が遠くなる世界です。
この鎌使って苗代の畔に豆を植えたの見たことあります? カミさんは知ってました。



農家は漁もしていたようです。
漁具の数々。



猟もしていたのです。
今も鉄砲と網でのノガモ猟がまつりのカモ汁になっています。
「コヤブチ:直径5尺(1.5m)くらいのたらいの上に、竹で骨組みを作り、ムシロやコモをかぶせた小屋を乗せます。この中に入り「呼びガモ」で引き寄せたノガモを鉄砲で撃ちます。福島潟でも行われました。」:説明文


 
天和二年(1682)五月、長岡藩の高札がありました。
「きりしたん宗門は累年御制禁たり自然不審成るもの之有らば申出ずへし・・・」

徳川幕府は5枚の高札により諸藩に制度を徹底させています。
そのうちの1枚、切支丹密告の高札。民衆への周知徹底のためにかな交じり文になっています。
なんと「御ほうび」は銀五百枚です。
1匁=3.75g
銀1枚=43匁=161g
金1両=銀60匁
とすると約360両となります。
江戸初期には10万円。末期の価値でも1両≒5万円(1万円以下とする本もあり)として18,000,000円です
当時の銀は値打ちありましたが今、相場は金4,365円/g 銀71.92円/g。
今の銀500枚の価値は、161*500*71.92≒5,790,000円となりますが、それでも大変なほうび額です。


「ばてれん」は分かりましたが「いるまん」は初めて聞きました。
ポルトガル語。布教者にも階級があったのですね。
どうもパードレが「ばてれん」のもとのようです。

伊留満,入満とも書く。〈神弟〉〈兄弟〉を意味するキリシタン用語。イエズス会の修道者のうち,司祭職にある者をパードレpadreといい,パードレを補佐する者をイルマンといった。キリシタン時代,イルマンを経てパードレに叙階されるのがふつうであった。また,信者の協働組織であるコンフラリアconfraria(組,講)の構成員もイルマンといった:kotobank


江戸幕府の切支丹弾圧は凄まじいものがあります。
密告により捕縛拷問された事件は「天草崩れ」「大村崩れ」「浦上一番~四番崩れ」などの名で伝えられています。
明治8年に横浜に着いた新島襄ですら布教に苦心しているのが八重の桜で見ました。
明治政府は神道を国教として幕府を引継ぎ、明治6年に条約改正の必要からこれを廃止するまで切支丹を邪宗門として信徒の弾圧を続けたのだそうです。
これは200年も間、ここで生き続けてきた高札です。
西蒲原にも隠れ切支丹はいたのでしょうか?高札場がどこにあったのか知りたいところです。



無料公開のおかげで入ることができました。近くにあって普段はあまり知らない旧潟東村の一面を見た一日でした。
公共の施設で利用料を取るというのは、受益者負担が公平なんだという考えなんでしょうが、それでは図書館は?体育館はと言いたくなります。
そもそも公共利用、公開を目的に作られ運営されてる施設が、有料のため客が入らず非公開状態にあるというのは本末転倒に思うのですが・・・
それともタダだから見ていこうかのタダの卑しいお客?の妄想でしょうか?




会場脇の公園では猟友会のカモ猟実演が。TENY新潟一番の取材クルーがVTR回してました。
警戒心のあるカモは容易には網に近づきません。それで囮の「呼びガモ」を置くのです。
夕方暗くなってから、辛抱してひたすら待つ猟のようです。一升瓶が欠かせないと言ってました。
カモに扮したスタッフ。立派な派手衣装でした。
生肉1羽3,000円で出てました。

 
近隣から動員参加「いわねちゃん」「かさぼん」も子供に大人気。



「けんさ焼き」。
ウチでは大晦日に孫じーさんがよろブチで焼いたのを懐かしく思い出します。
このショウガ味噌が美味いんです。


 
体育館いっぱいに幸せなお昼です。
1,800食用意と聞きました。
骨ミンチも肉塊もネギ、豆腐、こんにゃくと温ったまるカモ汁、潟東の皆さんごちそうさんでした。









 
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