和納中37年入学

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弥彦の燈籠押し

2012-07-27 16:14:54 | 良寛さん

弥彦の夏祭り、燈籠押しに行ってきました。
重要無形民俗文化財の名称は「弥彦神社燈籠おしと舞楽(ぶがく)」で県内外の燈籠が集まります。
毎年7月25日の夜9時、神社拝殿から神輿渡御が始まり、花燈籠、田楽燈籠、氏子など1kmもの行列が町を回ります。
我々和納拍子方は毎年4人、先導役の貝吹きに出かけます。

6:42pm 拝殿に向かう弥彦神社氏子青年会

 
7:00pm 衣装換え場所到着。
袴を着けるのは高校のクラブ以来久しぶりです。前から先に足入れるんだったっけ?
「猿田彦」の衣装。

   
7時半に二人の「稚児」を迎えに行く予定が、稚児を肩に乗せて運ぶ役が来ないため受付で待機。
その間、各地からの燈籠が町に繰出していきます。


8:30pm 「稚児」二人を家まで迎えに二組で出発。ほら貝が先導し肩に乗せてきました。
稚児役は旧社家の嫡男、旧神領農家の嫡男の9歳前後の児童から選ばれます。
今日の終了予定12時近くまで「稚児」は穢れた地面に降りません。3人で交代して肩に担いでいます。
担ぐほうも乗るほうも大変でしょう。

   
9:00pm 参道に列を組み出発。
先導はあの「猿田彦」です。猿田彦の後に我々ほら貝吹きの拍子方若手4人(左から大岩、岩崎、宝輪と私)が続きます。

「サルタヒコは、日本神話に登場する神。『古事記』および『日本書紀』の天孫降臨の段に登場し、『古事記』では猿田毘古神・猿田毘古大神・猿田毘古之男神、『日本書紀』では猿田彦命と表記する。
邇邇芸尊が天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた)に立って高天原から葦原中国までを照らす神がいた。その神の鼻長は七咫、背長は七尺、目が八咫鏡のように、またホオズキのように照り輝いているという姿であった。そこで天照大神と高木神は天宇受売命(あめのうずめ)に、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じた。その神が国津神の猿田彦で、邇邇芸尊らの先導をしようと迎えに来たのであった。」:Wikipedia

そうだったのか「猿田彦」。
邇邇芸尊(ににぎのみこと)が高千穂峰に降りたという有名な天孫降臨の神話の中で、道案内を勤めたのが「猿田彦」だとされることから、どこのお祭りでも神輿の先頭を歩いているんですなぁ。

 
町の中にある7箇所の神社の前で、祝詞(のりと)をあげます。
前を通らせていただきますのでよろしく。なのでしょうか。
そう、お弥彦様は出雲大社と同じく4回拍手するのです。


9:40pm 祭りの花。「花燈籠」を大勢で揺すります。笛太鼓の囃子もあります。
近くの公園で花火も上ります。


10:30pm 裏参道近くの神社で最後の祝詞。
稚児たちも肩車上で。

  
11:00pm 表参道から随神門をくぐり拝殿に戻ってきました。
特設の仮舞台の上で秘伝の稚児舞が始まります。
舞楽の神歌楽(かがらく)と天犬舞(あまいぬのまい)は神様にお見せする神事なので一般の人は当日見ることができません。
灯りの入った花灯篭が舞台の周りを囲みます。舞台の上は神職と氏子代表が取り囲み目隠し(?)するのです。


11:30pm 秘伝の舞が終了した特設舞台。
この後着替えて、ご祝儀のお神酒と杯をいただき「天香山命(あめのかごやまのみこと)」に感謝申し上げ帰路に着きました。

ずいぶん昔の若い頃のことです。弥彦神社の参道の途中で不遜にも放屁したことがありました。
そのとたん何故か掛けていたメガネがはずれ石畳の上でレンズが見事に割れたのです。
それ以来、どこの神社境内でも常に神の「目」を感じてしまう私がいます。

「よのなかは 何にたとへむ 伊夜彦に たゆたふ雲の 風のまにまに」 良寛


寺泊の海上から弥彦、国上を見る。
たゆたふ雲の風のまにまに・・・・

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