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「千二百七十歩なり露の橋」

2014-04-18 11:22:58 | ふるさとの四季

水温む信濃川萬代橋を渡ってきました。


桜色と柳の緑が川岸に一緒に見られるのはこの時期だけです。
やすらぎ堤はチューリップの原色も加わってトリコロールです。
さらに歩道に雪柳の白が連なります。


西詰めオークラホテル前に虚子の句碑があるのに初めて気付きました。数え切れないほど渡っているのに気付かない虚子です。

「千二百七十歩なり露の橋」虚子

大正十三年(1924)九月、虚子先生を新潟に迎へたる時の先生の句・・とあります。
16回も訪れたほど虚子を師と仰ぐ人たちが新潟にいたようです。
子規の後継者として「ホトトギス」を全国に広めた虚子の力は文化勲章に値する偉大なことだったようです。


明治19年に架けられた萬代橋は当時日本最長782mの木造橋で東詰は流作場五差路に始まります。。
明治41年の火事で焼け翌年再建。今の橋は昭和4年にできたコンクリートアーチ橋で309mと国交省HPにあります。
かの新潟地震にもビクともしなかったアーチ橋は土木学会の「選奨土木遺産」でもあります。
大正11年に大河津分水ができて川幅が1/3になるほど水量が激減。今の万代シティや日報メディアシップの土地は埋立てでできたウォーターフロント開発のハシリだったのです。
河口が港だった新潟島は川岸に多くの旅館があり、虚子は近くの旅館から露の早朝散歩に出たのでしょう。

それにしても1,270歩とはよく数えたものです。
782m/1,270歩=61.6cm/一歩の計算です。
人の歩幅は「歩行の速度」とその人の身体の大きさ、目安は「身長」で簡易的に割り出すことが出来るとされます。
ゆっくり歩き 身長×0.37
普通歩き   身長×0.45
早歩き    身長×0.50
ゆっくり歩きで割返すと61.6cm/0.37=166.5cmの身長となるので、どうも長身だった虚子の実測でなく弟子が数えたのではないかと思ってしまいます。
しかし1,270歩とは「客観写生」そのものではありませんか。

虚子は本名の清(きよし)から。
野球好きで自分の幼名、升(のぼる)から野球(のぼーる)の雅号を用いた子規同様笑ってしまいます。



新潟日報メディアシップ展望室から見た萬代橋。


新潟県の過疎の山村。
少子化で子牛と一緒に入学卒業した小学生の少女が獣医になる夢を叶えたTVドキュメンタリーを以前TeNYで見た私は、映画になった「夢は牛のお医者さん」を見にシネウィンドに。
時間が合わずに「夢」つながりでフィンランド映画「旅人は夢を奏でる」を見ることに。
なんとフィンランドで大ヒットして世界を回っている父親と息子のロードムービー。
ミッション・インポッシブルもいいけど、「セ・ラヴィ これが人生さ、人生ってこんなものさ」の心を温かくしてくれる映画もいいな。
まだ埋め立て前の西堀の西側にあった小林劇場や小林百貨店2階のグランド劇場、古町のライフ知ってるのは年寄りだね。小林ではリチャードバートンの「寒い国から帰ったスパイ」を覚えてますが15才に冷戦は難解でした。ジョージペパード「ブルーマックス」を曽根の同級生とグランドまで観に来ました。アーシュラアンドレスの裸体は高2に刺激的でした。



 
万代シティから東映ホテル裏、クオリスビル前の飲み屋街を新潟駅に向かいます。
一斗樽をデコレーションした居酒屋。新潟にはまだ百軒近くの造り酒屋があるのです。


南口への連絡通路にあった新潟鳥瞰のポスター。
新潟デスティネーションキャンペーンが4月から始まったんだって。
なんでも昭和53年に始まったJRと協同でやる観光キャンペーンのことで京都が25回で1番。「そうだ、京都。行こう」はさすがです。


6時から駅南のホテルであった同窓会。
壇上中央に大渕健県議。応援団ゆずりは立派な形になっています。
今日はここに校歌歌いに来たのです。
気持ちは40数年前に遡ります。

新潟をそぞろ歩きの一日でした。

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