はい、実は私移住を試みたことがあったんです!
かれこれ話は17年前にさかのぼります。
当時私と旦那はオーストラリアのシドニーに住んでいました。
私は学生ビザでビジネス学校へ通い、彼は自転車屋でメカニックとして働いており、彼のお給料だけで生活していました。
その当時、貯金$はゼロ。
結婚の約束したものの、お金はないし、私のビザの更新期限は迫ってくるし、旦那の家族にも紹介してもらわないといけないし、色々なことを考えると、シドニーにいても将来結婚へは結びつかない。
それならいっそオーストラリア生活を引き上げてニュージーランドへ移るのが良かろうかということになったのです。
これ「移住」ですよね~。
シドニーに2年くらい住んでましたから、感覚的にお隣の県に移るくらいの気持ちだったんですが、少ない家財道具を全部持って、とりあえずハミルトンの義妹のフラットへ身を寄せることにしました。
当時私が入国したのは観光ビザ。その期限が迫るころ、旦那がスポンサーとなってビジタービザに切り替えした・・・という事実を、先週書類を整理したときに見つけました。
当時は英語よく読めなかったんです(笑)。周りで何が起こっているかよく分ってなかった。
どこかの事務所で手続きしたなーっていう記憶はあるんですが、それがイミグレのオフィスだったんだと最近分りました。
で、とりあえず要らない物をシドニーで売って作ったお金で車を買ったんですが、超オンボロ車で、ヒーターもありません。
助手席の足元に小さな穴が開いていて風が吹き込んでくるので、寒い日は毛布がかかせませんでした。800ドルくらいだったと思います。
その車と同じ型の車が、最近東京の中古車専門店で目の飛び出るような値段で売られてましたから、世の中分りません。
この頃、ベイオブプレンティーの「ファカタネ」へ移ります。
何せ田舎なので車ないと不自由ですし、免許とろうとコードブックを読むのですが英語力がなくて理解できず、無免許で運転してました。
かなり無謀です。でも当時は周りに無免許でも許されてしまうおおらかさがあったのです。田舎だし。
旦那の兄弟たちには頻繁に泣かされてました。私。でもニュージーランド人ってそんなのものだと思ってましたから、若さもあってか、割と慣れるのも早かったです。元々おおざっぱで気にしない性質ですし。
彼らの基準が、ニュージーランド人にとっても逸脱している(笑)ことが分ってきたのは、英語が少しずつ上達して会話に参加できるようになってからでした。
今考えると、よく、やってたなぁ・・・
若さってすばらしい
異文化を肌で受け止め馴染んでしまう柔軟性がありました。
お金はなかなか貯まりませんでしたけど。
旦那はこの頃、16時間働いて8時間休む、というハードなシフト制の工場で働いてました。義兄の家から朝早くマイクロバスに乗って他の従業員と出勤し、帰りは夜遅く帰ってくる毎日。
でも・・・居候生活って結構ストレスになるんです。
ニュージーランドに移る前、シドニーでも「シェア」(NZでいう「フラッティング」)が続いてましたから、気遣いながら生活すること自体に耐えられなくなってきてました。
気疲れもあって、結局は数ヶ月で私が日本へ、あとから旦那が追うように来日するわけですが、あの時の移住経験は、日本での生活の原動力になりました!
あの生活は、旦那と一緒にいれたのは良かったけど、精神的にも金銭的にも行き詰っていたんです。
なので今回の移住は、いわば自分の過去に対するリベンジ。
ファイト精神?にみなぎっております。
て、その前に準備しなくちゃ・・・ですね>自分
かれこれ話は17年前にさかのぼります。
当時私と旦那はオーストラリアのシドニーに住んでいました。
私は学生ビザでビジネス学校へ通い、彼は自転車屋でメカニックとして働いており、彼のお給料だけで生活していました。
その当時、貯金$はゼロ。
結婚の約束したものの、お金はないし、私のビザの更新期限は迫ってくるし、旦那の家族にも紹介してもらわないといけないし、色々なことを考えると、シドニーにいても将来結婚へは結びつかない。
それならいっそオーストラリア生活を引き上げてニュージーランドへ移るのが良かろうかということになったのです。
これ「移住」ですよね~。
シドニーに2年くらい住んでましたから、感覚的にお隣の県に移るくらいの気持ちだったんですが、少ない家財道具を全部持って、とりあえずハミルトンの義妹のフラットへ身を寄せることにしました。
当時私が入国したのは観光ビザ。その期限が迫るころ、旦那がスポンサーとなってビジタービザに切り替えした・・・という事実を、先週書類を整理したときに見つけました。
当時は英語よく読めなかったんです(笑)。周りで何が起こっているかよく分ってなかった。
どこかの事務所で手続きしたなーっていう記憶はあるんですが、それがイミグレのオフィスだったんだと最近分りました。
で、とりあえず要らない物をシドニーで売って作ったお金で車を買ったんですが、超オンボロ車で、ヒーターもありません。
助手席の足元に小さな穴が開いていて風が吹き込んでくるので、寒い日は毛布がかかせませんでした。800ドルくらいだったと思います。
その車と同じ型の車が、最近東京の中古車専門店で目の飛び出るような値段で売られてましたから、世の中分りません。
この頃、ベイオブプレンティーの「ファカタネ」へ移ります。
何せ田舎なので車ないと不自由ですし、免許とろうとコードブックを読むのですが英語力がなくて理解できず、無免許で運転してました。
かなり無謀です。でも当時は周りに無免許でも許されてしまうおおらかさがあったのです。田舎だし。
旦那の兄弟たちには頻繁に泣かされてました。私。でもニュージーランド人ってそんなのものだと思ってましたから、若さもあってか、割と慣れるのも早かったです。元々おおざっぱで気にしない性質ですし。
彼らの基準が、ニュージーランド人にとっても逸脱している(笑)ことが分ってきたのは、英語が少しずつ上達して会話に参加できるようになってからでした。
今考えると、よく、やってたなぁ・・・
若さってすばらしい
異文化を肌で受け止め馴染んでしまう柔軟性がありました。
お金はなかなか貯まりませんでしたけど。
旦那はこの頃、16時間働いて8時間休む、というハードなシフト制の工場で働いてました。義兄の家から朝早くマイクロバスに乗って他の従業員と出勤し、帰りは夜遅く帰ってくる毎日。
でも・・・居候生活って結構ストレスになるんです。
ニュージーランドに移る前、シドニーでも「シェア」(NZでいう「フラッティング」)が続いてましたから、気遣いながら生活すること自体に耐えられなくなってきてました。
気疲れもあって、結局は数ヶ月で私が日本へ、あとから旦那が追うように来日するわけですが、あの時の移住経験は、日本での生活の原動力になりました!
あの生活は、旦那と一緒にいれたのは良かったけど、精神的にも金銭的にも行き詰っていたんです。
なので今回の移住は、いわば自分の過去に対するリベンジ。
ファイト精神?にみなぎっております。
て、その前に準備しなくちゃ・・・ですね>自分
楽しいニュージーランドの生活が出来ることを祈っています。
楽しいニュージーランドの生活が出来ることを祈っています。
若かったので「大変」って全然感じませんでした。
その経験は貴重だったと思います。
そうそう!フエルト怪獣の写真拝見しましたよ。いい出来ですね。色と発想がよいです。
その頃の苦労と言うか、苦悩というか。。。お察しします。。。
私も、1年ですがシェア生活して、気苦労もあって、早く腰を据えたい。。。と思いましたね~
だんな様は、自転車やさんでメカニック?
ウチのダンナは、マウンテンバイク馬鹿で、暇さえあれば、ガレージでなんだかんだやってますよ。
話が合うかも知れませんね!
今回引っ越し先に部屋数があるのでフラッティングしようか、なんて話も出たのですが、日本滞在中はずっと同居だったので移住後は静かに二人で生活することにしました。逆に寂しくならないかなーとちょっと心配なのですが(笑)。
さてmarikoさんのご主人もプッシュバイク(笑)好きなんですね!健康にいいですよ~。marikoさんも、そういえばされる、ってブログの方に書かれていた記憶が。
ただうちはマウンテンバイクではなく、ロードレースなんです。そういうの、どうなんだろう。
同じ自転車カテゴリーで話が合うのか、微妙にズレるのか。
サルサとサンバの違いと同じだったら話はズレまくるのですが(笑)。
今の自分が頭の中そのままで20年前に戻ったとしたら、すぐ日本に帰ってしまうかもしれないなぁ、と時々思います。「あのころは若かった。よく移住なんかしたよね~。今だったらやらないよ。」とこちらもまたイギリスからの移民である連れ合いと言っています。
↑まったく同感です(笑)。そもそも今の自分だったら国際結婚をしていたかどうかも怪しいです^^;
まったく年と共に保守時になってしまったものです。
Johnnycakeさんの所は2人とも移住ですから、もっと苦労されているかと想像するのですが、若いってやっぱり素晴らしい?ですね(笑)