だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

原発震災(29)根源的な問い

2011-06-16 16:04:22 | Weblog

 6月11日は忙しい一日だった。朝一番は福島大学と京都精華大学の先生方による福島市内の除染作業を見学。その後、子どもを放射能から守る福島ネットのイベントに参加。午後は飯舘村を訪問して小林麻里さんのお宅におじゃまして話を聞いた。夕方からはまた福島市内にもどって、市民グループによる学習会に麻里さんとともに参加した。
 学習会はチェルノブイリ救援・中部の河田昌東先生による菜の花プロジェクトの話だった。チェルノブイリ原発事故で汚染されたウクライナの広大な農地を復活させるために菜の花を用いる手法を試みているという内容。菜の花では放射性セシウムを劇的に取り除くことはできない。でも、菜種油という有価物を生産しながら(食用にできない場合はバイオディーゼル燃料にする)、その大地を放棄することなく、その場で人々が暮らしつつ、時間をかけて少しずつ放射能を取り除いていくという考え方である。

 講演は早めに終わり、総合討論となった。さまざまな質問や意見が出るなかで、「剥ぎ取り法」の話題となった。福島大学、京都精華大学の先生方も会場に来られていて、山田國廣先生からその日の朝試みた内容が報告された。前の記事に書いたとおり、たいへん合理的なやり方で、会場内は、この方法をよく学んでぜひみんなでやっていきましょう、という空気になった。

 私はなかなかよい雰囲気になったと思っていたのであるが、となりに座っていた麻里さんの様子が少しおかしい。聞くと、「もう耐えられないから出ましょう」と言う。それで会場を後にして今回私の福島行きをコーディネートしてくれた戸上昭司さんと3人で遅い夕食をとることにした。

 麻里さんが感じた違和感は次のようなものである。剥ぎ取り法を麻里さんのお宅のようないなかでやろうとすれば、田畑のあぜや森の中の草を根こそぎとり、木の枝をことごとく落とす、ということになる。「それはあんまりでしょ。人間の都合ばかりで生き物たちに申し訳なくないの?」というのが麻里さんの意見である。今回は人間の都合により生き物たちが放射性物質で汚染されてしまった。それをとりのぞくのに、人間の都合で、人工化学物質で固めてしまって、そこにいる生き物たちを根こそぎ「剥ぎ取って」よいのか?
 合理的なやり方が価値があると考えられてきた。しかし、そういう類の合理的なやり方をエネルギーの分野でつきつめたのが原子力ではなかったのか。その結果がこの汚染である。それを取り除くのに同じ発想の合理性でよいのか。フクシマの現実はその合理性をこそ反省することを求めているのではないのか。

 麻里さんの問いかけは根源的なものであり、そして究極の選択を迫るものである。剥ぎ取り法をやらなければマイクロホットスポットが日常の暮らしの中にありつづける。それをやるのか、やらないのか。それは私たちの普通の暮らしや私たちが当然と思ってきた価値や発想を根底から問い直す、あるいは問い質す問いとなる。

 誤解のないように。私は山田先生らの剥ぎ取り法を開発される努力を批判したり非難したりする気持ちはまったくない。その努力に最大限の敬意を表したい。それを住民が必要と思えばどんどんやっていただきたい。子どもたちが通学路で無用な被曝をする必要はない。

 一方で、麻里さんの感覚が痛いほど分かる。ようはこのとりかえしのつかない放射能汚染を前にして、一つの「合理的な」答えはもはやないのだ。住民ひとりひとりの感性と理解と覚悟において、その答えはちがうということ、その違いがフクシマでは特に先鋭的にあらわになってしまうということである。そしてその感性と理解と覚悟は、フクシマの外にいる者にこそ問われているということを理解する必要がある。

 私は剥ぎ取り法開発の努力に対して最大限の敬意を払いつつ、それでもやはり私がそれに貢献しなくてもよいと思った。私が貢献するとしたら、菜の花プロジェクトのような、放射能の満ちている中でも、生き物の世界の中で人間も暮らしていく、人間にも居場所がもらえるようなやり方だと、麻里さんの意見を聞いて、あらためて思ったのである。
 フクシマでは人間も動植物も微生物も放射能とともに生きていくほかはない。植物や微生物たちとて放射性セシウムは好きではないだろう。きっと、それを排除していく仕組みを持っているのではないかと思う。それを発見しながら、そこに人間の努力も加えさせてもらえるようなやり方を見いだしたいと思う。


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2 コメント

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芝と粘土の除去 (島田敏)
2011-06-25 09:25:07
はじめまして、あまり役にたたないかもしれませんが、これまで調べてきたことを提供させて下さい。農家の人達には、馬鹿にされそうですが、芝生を使ったファイトレメディエーションと薄い表土の除去と、土の水洗いでの粘土成分の除去を組みあわせたらどうだろうかと考えてきました。http://bokumeta.blogspot.com/2011/06/blog-post_6056.html 豊かな土壌や植生は、その土壌の下にあるまだ放射性物質が浸透していない安全な土壌をきちんと守ってくれていると僕は考えたいと思っています。
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芝と粘土の除去 (島田敏)
2011-06-25 09:25:30
はじめまして、あまり役にたたないかもしれませんが、これまで調べてきたことを提供させて下さい。農家の人達には、馬鹿にされそうですが、芝生を使ったファイトレメディエーションと薄い表土の除去と、土の水洗いでの粘土成分の除去を組みあわせたらどうだろうかと考えてきました。http://bokumeta.blogspot.com/2011/06/blog-post_6056.html 豊かな土壌や植生は、その土壌の下にあるまだ放射性物質が浸透していない安全な土壌をきちんと守ってくれていると僕は考えたいと思っています。
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