次は、高校段階の改革を考えてみよう。ここでは実際に生きる(衣食住エネルギーを得て、必要なお金を稼ぐ)ことができるためのスキルと知識と哲学を習得することが目標となる。そのために直接かかわらない教科内容は思い切って省いて、スキルを磨く実習の時間を増やしたい。
◎教科
◆哲学 日本、アジア、西欧の世界観、死生観、信仰
◆数学 複素数、二次方程式、微分、積分、微分方程式
◆理科 運動方程式、質点の運動、仕事とエネルギー、熱力学、電気と磁気
化学分析、化学合成
細胞学、微生物学、遺伝学、生態学
地球史、物質循環、気候変動
◆社会 福祉、環境問題、持続可能な社会
◆国語 文献読解とレポート・論文作成、プレゼンテーション、コミュニケーション
◆外国語 討論、テキストの読解、作文
◎実習科目
◆食 コメ、野菜の栽培、山菜、キノコなどの採取、畜産、狩猟、調理、保存食、食品加工
◆衣 ワタ、アサ、羊毛、生糸、染、織、裁縫
◆住 森林管理、木材の伐採、搬出、製材、設計、木工、建築
◆エネルギー 自然エネルギー技術、建築設備
◆心と体のケア 自然療法、東洋医学
実習科目は地域の中のプロや名人にプロボノとして授業をやってもらうか、それらの人の仕事の現場で生徒がインターンとして学ばせてもらう、というやり方で実施する。
この高校段階を修了すれば、地域社会の中で働き暮らすことができる。最初は地域の事業者や農家でインターンとしてさらに専門的な技術を学び、その後独立するような形が望ましい。
次に大学段階を考えよう。大学は、学生の知的共同体として運営する。学生といっても、ようは高校修了後、生涯にわたってさらに専門的な知識やリベラルアーツを学びたい人が集まって、自分たちが学びたい内容の講座を企画運営していけばよい。今日、たいていのことは本を読んでインターネットで情報を調べれば勉強できる。そこで大切なのは、ともに学び議論する仲間の存在である。一人では何を勉強したらよいかすら雲をつかむような話でよくわからない。仲間同士、それぞれの得意分野の観点からのアドバイスをし合いつつ、勉強してきたことを発表するセミナーをもつ。そこでの対話と議論が学びを前進させ確かなものにする。
研究もその延長線上にある。実践の中から必要とされる新たな農法の開発、自然エネルギー技術の開発など、農学的、工学的な研究や、地域の課題を見つけ定式化し、解決の方策をさぐる社会科学的な研究など、共通の問題意識をもった人がグループをつくればそれが研究室である。研究費が必要なら自分たちで出し合うか、研究室ごとに外部資金を申請する。
地域外の高い専門知識やスキルをもった講師を呼びたいときは、みんなでお金を出し合って講座を企画して招聘する。
この私案では、中等教育までの段階で科目の中に体育と芸術系科目を入れなかった。これは私としては、こどもだけ教室に集めて授業をする必然性があまり感じられないからである。おとなもこどもも興味をもった人があつまって、各種スポーツや美術、音楽、書道、文学などのサークルをつくり、地域の中でスキルのある人が指導すればよい。それぞれのサークルは日常活動のみならず、地域の中でコンサートや展覧会、スポーツイベントなどを企画運営する。これらを大学の活動として位置づけることがふさわしいだろう。
このような大学が全国にできるならば、お互いに行き来して交流を深めたい。交流試合とでも言おうか。年に一回集まって成果を発表する学会をやってもよい。それらの成果をまとめた書物が続々と出版される(今日では電子出版ならコストが安い)ことを期待したい。また志を同じくして連携できる学びの場が海外にもあれば、お互いに留学しあうことができる。世界を見て、地域に帰ってくる若者たちを育てたいものである。
以上、まったく夢のような話であるが、こうやって構想を書いてみると、やろうと思えばできそうな気もする。いかがだろう。
学習だけならこれで十分。
本来学校で学習するべき、社会性もこちらで学び、登校すれば学級崩壊もなくなるのでは。
そう、学習は教科に限らず、ソーシャル面のレベルアップも必要です。