多摩の神社準備室

偽神道家「掃部助」と申します。
旧武蔵国多摩郡の神社を紹介していきます。
一日一社紹介予定!

日野市「程久保神明神社」

2011年04月15日 | 神社
程久保神明神社 

鎮座地 程久保445

祭神 国常立命(くにとこたちのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 正福寺(廃寺)

例大祭 9月2日

解説 
上分の秋葉社、下分の山王社を合祀した程久保村の総鎮守。

本殿は嘉永7年(1854)の築。

万治3年(1660)の棟札も伝わる。

ご神体の国常立命像は実は善神雨法童子像。

日野市「平山八幡神社」

2011年04月14日 | 神社
平山八幡神社 

鎮座地 西平山1-23

祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと)

旧格式 村社

例大祭 9月第一日曜

解説 
平山村の鎮守で若宮八幡・正八幡と言われた。

文治年間(1185~90)平山季重によって鎌倉鶴岡八幡宮のご分霊が遷されたという。

江戸時代には徳川将軍家より8石7斗の朱印地を賜る。

徳川家康が当社の由来を聞き奉納したという「日月紋入り軍配」とこれに伴う「袱紗」
伝天海奉納・至道無難筆の「三世不可得」の旗、
藤原氏奉納の「青銅鏡」などの社宝が伝わる。

神職は江戸時代より大沢氏が勤め隼人助などを名乗った。

日野市「日野宮神社」

2011年04月13日 | 神社
日野宮神社 栄町2-27

祭神 天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)
    高魂尊(たかみむすびのみこと)
    日奉宗頼(ひまつりよりむね)
    日奉宗忠(ひまつりむねただ)

旧格式 ?  

別当寺 薬王寺

例大祭 9月15日

解説 
平安時代、日奉宗頼は武蔵国司を務め、
任期終了後当地に土着して祖神を祀ったのが当社の創建という。

孫の宗忠は西内太夫と称し武蔵七党のひとつ西党嫡流の祖となった。

それ以来、子孫は代々当地に住み、日野宮権現として祖先を祀った。

日野の地名は当社に由来するという説もある。

現在は八坂神社の兼務社。

拝殿にはもと四谷阿弥陀堂にあった仏像が安置されている。
そのうち一体阿弥陀如来立像は永正14年(1517)造で、日野市指定有形文化財。

日野市「八坂神社」

2011年04月12日 | 神社
日野八坂神社 

鎮座地 日野本町3-14

祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 普門寺

例大祭 9月15日

解説 
応永5年(1398)多摩川の洪水があり神霊が漂着した。
これを普門寺開山義雲が祀り牛頭天王を寺の鎮守とした。

江戸時代には日野宿の鎮守として、
慶安元年(1648)徳川家光より朱印地14石を賜る。

ご神体の牛頭天王像は、元文元年(1736)普門寺住職長快が、
当地の有力者佐藤八兵衛忠勝と土方甚八郎等の援助を受け、
江戸の仏師に依頼して安置したもの。

また現在の本殿は寛政12年(1800)再建で権僧正法印尊盛によって造られた。

明治の神仏分離の際普門寺住職隆宥は弟子の土淵蔵人を神職とした。
以来土淵氏が代々神主を務める。

その他、新選組の母体となる天然理心流門人による奉納額がある事で知られている。

「八坂社」の扁額は有栖川宮熾仁親王の筆による。


八坂神社の狛犬



・奉納年 大正14年(1925)
・石工 藤○信太郎
・右 阿形
・左 吽形

日野市「日野神明社」

2011年04月11日 | 神社
日野神明社 神明4-11

祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)

旧格式 無格社  

別当寺 普門寺

例大祭 9月19日

解説 
元亀元年(1570)に谷伊予が伊勢神宮のご分霊を遷して祀った。

日野市「日枝神社」

2011年04月10日 | 神社
日枝神社 

鎮座地 堀之内594

祭神 大山咋命(おおやまくいのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 延命寺

例大祭 9月1日

解説 
江戸時代初期に名主が近江日吉大神の御分霊を遷し村の鎮守としたとも、
延命寺の鎮守として創建されたともいう。

もと日吉山王権現・山王社・山王宮といわれた。

例大祭は本来なら「山王祭」とすべきだが、
もと摂社に天王社があったため「天王祭」といわれている。


日枝神社のご神木ムク



目通り 4.45メートル
樹高 23メートル
樹齢 300年以上
記事 日野市指定天然記念物

日野市「別府神社」

2011年04月09日 | 神社
別府神社 

鎮座地 宮50

祭神 不明 別府太郎?

旧格式 村社  

別当寺 真福寺

例大祭 9月1日

解説 
宮村の鎮守。

昔別府太郎という武将が戦に敗れて負傷し、
この地まで落ち延びて来たところで沼の深みにはまってついに落命してしまった。

村人は彼を哀れみこの地に埋葬、塚を築き祠を建て別府権現として祀った。

かつてのご神体は別府が白馬に乗っていた事から白馬に乗った武将像であった。

また、宮村では白馬に変わる葦毛の馬は農耕馬として使わず、
豚や犬猫も白いものは飼わないという。

以上のような創建伝説があるが真相は定かではなく、
一説には武蔵国造、伊狭知直が祀られているともいう。

日野市「秋葉神社」

2011年04月08日 | 神社
秋葉神社 

鎮座地 程久保6-3

祭神 火之迦具土大神(ほのかぐつちのおおかみ)

解説 
程久保村上分の人々によって祀られた祠。

程久保神明神社に合祀されていたものを旧地に祀り直したものと思われる。

秋葉大権現社ともいわれる。

羽村市の神社概略

2011年04月07日 | 神社
羽村市の神社概略

羽村市は羽村・五ノ神・川崎の3村が合併してできた市で、
かつては西多摩村といった時期もあった。

江戸時代初期に江戸の生活用水を確保するために作られた玉川上水の取水口がある事で知られている。

市内の阿蘇神社は「将門伝説」を伝える古社で古くからこのあたりに人が住んでいた事がわかるが、
水田は羽村村の多摩川沿いの一部にしかなく、ほとんどが畑作という地域である。

なお当地で江戸時代末期、小林藤馬という宮大工が活躍し数多くの神社建築を残している。


これにて羽村市は終了。
明日より日野市の神社を紹介予定!

羽村市「玉川水神社」

2011年04月07日 | 神社
玉川水神社 

鎮座地 羽東3-8

祭神 水分大神(みくまりのおおかみ)
    彌波能賣命(みずはのめのみこと)

旧格式 なし  

別当寺 幕府持ち

例大祭 9月5日

解説 
玉川上水の守護神。

承応2年(1653)玉川上水の完成に合わせて、
玉川庄右衛門・清衛門のいわゆる玉川兄弟によって水神宮として創建された。

明治26年(1893)玉川水神社と改名される。

もと取入口近くにあったが、大正時代水門の工事に伴い現在地に遷る。

本殿は小林藤馬の作。

その他多摩川上流42村の筏乗りたちによって寄進された灯篭が残る。

写真の門は玉川上水羽村陣屋の門。

羽村市「玉川神社」

2011年04月06日 | 神社
玉川神社 

鎮座地 羽中4-1

祭神 建御名方命(たけみなかたのみこと)
    大山祇命(おおやまつみのみこと)

旧格式 無格社  

別当寺 神主宮沢氏持ち

例大祭 8月28日

解説 
奈賀部地区の鎮守。

寿永年間(1182~85)畠山重忠の一族が信濃諏訪大社のご分霊を遷したのが創建という。

天保年間 (1830~44)社家の火災のため文献を焼失し、
江戸時代以前の姿は不明であるが、諏訪宮・諏訪大明神・多摩大明神と言われた。

明治2年(1869)諏訪神社と改名。

明治15年(1883)日枝神社を合祀し玉川神社と改める。

社殿は信濃諏訪大社下社秋宮東御宝殿を昭和61年(1986)に移したもの。

ご神体の銅鏡は鎌倉時代の「松樹双雀鏡」である。

また、明治10年(1879)佐々蔚によって西多摩学校が境内に開かれ、
「大菩薩峠」の作者、文豪中里介山もここで薫陶を受けまた教鞭も揮った。

その他明治17年(1885)奉納の甲源一刀流奉納額などが伝わる。

羽村市「聖徳神社」

2011年04月05日 | 神社
聖徳神社 

鎮座地 羽東1-11

祭神 聖徳太子(しょうとくたいし)

解説 
江戸時代末、地元の職人を中心に「太子講」が成立し、
その流れを組む羽村町建設工業会によって聖徳太子の神像が奉納され当社が創建された。

羽村市「神明神社」

2011年04月04日 | 神社
神明神社 

鎮座地 神明台1-16

祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)

旧格式 村社  

別当寺 村持ち

例大祭 8月31日

解説 
川崎村の鎮守。

当社のあたりはもと芝生が生い茂り、
その中心に老桜の大樹があり様々な怪事が起こっていた。

そのため村人が相談の末樹下に小祠を建てて祀った。

やがてこの小祠が川崎村の鎮守になったという。

なお現在では住宅地と化しているが、
かつてはお伊勢森といわれる森林であった。



神明神社の狛犬



・奉納年 万延元年(1860)

羽村市「三社宮」

2011年04月03日 | 神社
三社宮 

鎮座地 川崎3-9

祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)

旧格式 神明神社の境外摂社

解説 
詳細不明。

かつて八雲大神牛頭天王が祀られており神明神社に合祀されたという。

それならば祭神は素盞嗚命と思われるので、祭神の欄はそのように記した。

羽村市「大原稲荷神社」

2011年04月02日 | 神社
大原稲荷神社 

鎮座地 羽西1-6

祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

解説 
江戸時代中期頃より橋本氏の屋敷神として祀られてきた祠。

当地の稲荷講の人々からも信仰されており、
明治時代に神社合祀の沙汰があった時も人々の努力で回避された。

大正13年(1924)より社地は共有林になり、
現在では講の人々によって管理されている。

また羽加美地区には小原稲荷神社という小祠も存在するようだが詳細は不明。